公爵家の養女ですが、来世もパパの愛娘になりたいです
猪本夜
第一章 幼女編
第1話
失敗した! 失敗した! 失敗した!
リディは新月の夜の帝都の裏路地を、必死に走っていた。
帝都は広い。だから広い帝都でギーと会う可能性は高くはないはず。とはいっても、闇ギルドのボスのギーの縄張りであることは間違いない。なのに、まだギーがリディの存在を知らないはずだと、気を抜いていたなんて。いつどこで、ギーがリディを見ているとは限らないのに。
小さくて短い足を、死に物狂いで動かす。
帝都は散々走り回った庭のようなもの。いくら大人の足には敵わないとはいえ、今は夜で、リディの小さな体は、隠れようと思えば隠れるところも沢山ある。最悪、小さい箱の中にでも隠れて、ギーが諦めるまで息を潜めるしかない。
途中、後ろを振り返る。「捕まえろ!」「逃がすな!」そのように、ギーを含むギーの闇ギルドの手下共の足音と声がまだ響いている。
足が疲れた。それでも、まだ足を止めるわけにはいかない。
しばらく走れば、トンネルのような穴のある壁がある。子供しか通れないそこを通り過ぎれば、小さいリディでもやっとに隠れられる大きさの箱が、いくつも積み上げられている場所がある。そこに隠れよう。
リディは走り続けながら、どこで今のリディの存在をギーに知られてしまったのか考えていた。
リディは一ヶ月ほど前に帝都に来たばかりだった。それから、今までの一ヶ月間でギーに目を付けられたとすれば、今日しかないだろう。
「やっぱり失敗したぁ!」
小さく呟きながら、半泣きで足を動かす。
リディは今日、調子に乗って、綺麗な男の子を助けてしまった。それは、綺麗な銀髪で青い瞳が宝石のように輝く男の子。道に迷って困っていた子を、お姉さん振って助けたのが運のツキか。
いや、助けたところまでは悪くなかったはず。きっと悪かったのは、その後だ。つい、男の子の怪我をしているのが可哀想で、怪我を治してあげてしまったから。あれを見られたのだろうと、今更ながらに後悔しても遅い。
十日ほど前、別の蜂蜜色の髪の可愛い男の子を助けてあげた。感謝されて嬉しくて、感謝されることに味を占めてしまったのだろうか。
壁の穴を視界に捉える。息は上がっているけれど、もう少し。
壁の穴に到達し、穴を四つん這いで通り、壁の向こう側へ到達した時だった。
「はい、ご苦労」
「うぇ!?」
リディは右腕を持ち上げられた。そこにいたのは、今、最も会いたくない人物、ギーだった。
「離してぇ!」
ギーは立ったまま、リディの右腕のみを上げるものだから、体ごと宙刷りになったリディの腕が脱臼しそうだ。
「さぁて、このチビをどこに売っぱらおうかな……。やっぱり神殿か?」
歩き出したギーの拘束から逃れようとリディが腕を動かすが、大人と子供の差は大きく、びくともしない。ギーの思考は、すでにリディを売り払う算段へ移行しているようだ。
リディは今度はギーの横っ腹を蹴った。バタバタと両足を動かす。そのいくつかはギーの横っ腹に当たっているのに、右腕の拘束は解かれない。ただ、ギーがそこで立ち止まった。
「……おい、大人しくしていろ。これ以上暴れると、魔獣のエサにするぞ」
「……」
リディはギーの言葉を聞いた途端、大人しくした。
終わった。リディの今回の人生は、三ヶ月しかもたなかった。
リディは今回、十一回目のリディを生きていた。リディはリディという人生を、死んで生き返るのを繰り返していた。そう、リディは回帰していたのだ。前回の十回目の人生は、これまで回帰した中で一番最長に生きられた。今回の生きる目標は、前回より年を取って十三歳になりたかったのに。
前回十二歳で死んで、五歳に生き帰って、今回はたった三ヶ月。短すぎる。
いや、まだ分からない。これから売られる先の場所によっては、まだ生きていられるかもしれないのだから。ギーも言っていたが、売られる先が神殿なら、まだ希望はある。と、思いたい。ただ、神殿も地獄のような場所があるから、何とも言えないが。地獄かどうかは、買われ先の神官次第だ。
ギーが歩くのに合わせ、ぶらぶらと揺られるリディは、急にギーが立ち止まったのを感じ、前を見た。ギーの数メートル先にいるのは、偉そうな男を含む数名の男たち。
「……これはこれは、閣下ではありませんか。俺に何か用でも?」
ギーの近くには、いつのまにかギーのギルドの手下共が数名現れていた。いつもニヤけたようなギーのニヤけ面が、若干引きつっている。珍しい、ギーが誰かをこうも警戒するなんて。
『閣下』と呼ばれた男の出で立ちは、全身真っ黒ではあるが、着ているものが高価なのはすぐに分かる。どう見ても貴族で、しかも上級貴族だろうとリディは予想した。
「雄鹿はどうした」
「……金の角の雄鹿のことでしたら、まだ見つかっていません。発見次第、連絡すると伝えたはずですがね」
「依頼して一ヶ月も経っているのにか」
「いくら我々といえど、そんな珍しい雄鹿など、簡単には見つけられませんよ。だいたい、金の角を持つ雄鹿など、本当にいるのですか? 魔獣ではないのですか? 魔獣なら、閣下の領分でしょうに」
ギーが話す間、リディは閣下と呼ばれる男を見ていた。どこかで見たような気がする。
ここでリディが助けてと声を出せば、閣下が助けてくれる可能性はどれくらいあるだろう。片や金持ち上級貴族、片や薄汚れたチビ。うん、絶対に助けてなどくれまい。下手すれば、ギーより扱いが酷い可能性もある。
期待などせず、ただ成り行きを見ていたリディは、閣下と目が合った。
「……」
やばい。やはり見覚えがある。五回目か六回目の人生で、リディが死んだ原因の人物な気がする。これは関わらないのが無難だ。
「その子供は?」
「ああ、これですか? さっき捕まえたばかりの、生きの良いガキです。どうです? 閣下が買いますか?」
リディはギョッとして顔をぶんぶんと振った。ギーに売られるのは嫌だが、閣下に買われるのはもっと嫌だ。
「子供まで売っているとはな」
「大人も売るんですから、子供くらい売りますよ。まあ、子供はすぐに死ぬんで値段が安定しませんが、この子供は少し高めに売れそうです。なんせ、神聖力が使えるみたいなんで」
そう、リディは神聖力が使える。いや、厳密に言うと、本当は神聖力ではないのだけれど。まあ、似たような力のそれを使って、今日男の子の傷を治してあげたのだが、やはりそれをうっかりギーに見られていたのだろう。
なんて、うっかりでアホなリディ。調子に乗るから、こうなるのだ。
「……神聖力が使えるだと?」
少し興味を含む声の閣下をちらっと見たリディは、閣下の顔の横に、もやもやと黒い塊が浮いているのに気づいた。
「ぎゃあ! お化け!」
時々見えるそれのことを、もうこの世にいないリディの父は『お化け』だと言っていた。
リディは涙目で叫ぶと、ギーに言った。
「閣下は嫌! 怖いのいる! 売るなら神殿にして!」
「はぁ? お化けとか怖いのとか何言ってんだ、チビ」
「閣下の顔の横にお化けがいるじゃん! 黒いの! いいから、神殿ー!」
「おい、チビに決定権があると思うなよ」
リディの叫びを聞いた閣下とその横にいた青年が、小さい声で何やら話をしていた。何か考える様子の閣下だったが、次に口に出した言葉にリディは再びギョッとした。
「その子供はいくらだ?」
「お、買います?」
「や、やだー!」
リディが精いっぱい暴れても、ギーの顔色はなんのその。回帰前に何度かギーに売られた経験のあるリディは、いつもより法外な値段で閣下に買われてしまうのだった。
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