第8話 ――恋。
今朝、母を見送った後で、ユメは兄と今日の予定を決めていた。
午前中はしっかりと高校の見学をして、その後で近くのショッピングモールの更衣室で着替えをしてからランチをする。
それからユメが何度も妄想していた、兄との初デートに行きたいと思っていた場所に二人で行くのだ。
もちろん、そんなユメの妄想の話は兄には絶対に秘密。
「はぁ~……」
深い溜息が漏れた。
今、ユメはショッピングモールで着替えを終えて化粧室の鏡の前に立っているのだが、しかし鏡に映る自分の顔は、どうにも酷く暗い。
先輩から言われた言葉が、ユメの耳から離れなかったのだ。
楽しい筈のデートは、辛い気持ちでのスタートになってしまった。
「先輩が吹奏楽やめたなんて、嘘だ……」
ユメは自分に言い聞かせるように、またその言葉を口にしていた。もうさっきから何度、口にしたかも分からない言葉だった。
それだけ先程の言葉は、ずっと上地先輩に憧れていたユメにとって受け入れがたかったのだ。
受験を乗り越えれば、また先輩と演奏出来ると思えばこそ辛い受験勉強も頑張ってこれたのに、もう何処に自分のモチベーションを持っていけばいいのか分からなくなってしまった。
何よりユメにとって辛かったのは、もう先輩の演奏を聴けないことだった。
上地先輩の吹くホルンは、大草原の中で吹いている角笛みたいな勇壮さがあって、本当に風に乗って自由に飛び回っているような気持ちになれる爽やかな音色なのだ。あんな音色を奏でられる人を、ユメは他に知らない。
それにユメは、今日先輩と話していて気になったことがあった。
先輩は、とても疲れているというか…… 元気が、無かった。
ユメが先輩に対して大人っぽくなったと感じたのは、単純に見た目だけの事ではない。
ユメの知っている上地楓は吹奏楽が大好きで、特にホルンに対する情熱に溢れていた。いや、溢れ過ぎていたと言うべきだろう―――
その過ぎる情熱が時に彼女を奇行に走らせ、周りからは変人に見られる程だったのだ。
でも久しぶりに会った先輩は、すっかり落ち着いてしまっていた。
大人になったのだと言われればそうかもしれないが、今の先輩は何処かに覇気を失くしてしまっているようにユメには思えた。
そんな先輩の姿は、ユメを只々不安にさせた。
……それにあの時、先輩とお兄ちゃん何を話してたのかな?
先程、礼拝堂でユメが先輩の言葉にショックを受けて固まっている間に、何故か先輩は兄の処まで歩いていって、二人で何かを話していたのだ。
その時の兄の様子も変だった。
先輩を見つめる兄の表情は、明らかに普通じゃなかった。
まるで運命の人にでも出逢ったみたいに、カミナリを受けて硬直している様だった。
よく運命的な出逢いをした人達が、ビビッときたっていうけど……あんな感じなのかもしれない。
そんな兄の顔と、変わってしまった上地先輩の姿を振り払う様に、ユメは目を閉じて頭を振った。ゆっくりと目を開けてみれば、そこには鏡の中の自分がいる。
私―――は、まるで五月の空みたいに今にも泣きだしそうだ。
……ねぇ、なんて顔してるの?今は、夏―――だよ?
こんな梅雨空みたいな顔、お兄ちゃんに見せたくない。
……そうだよ。
今は、お兄ちゃんとのデートに集中しよう。
今日をすっごく楽しんで、一生忘れられない日にするんだ。
ユメはそう心に決めて、待ち合わせ場所になっている噴水に
―――今は、心配事に頭を悩ますのは後回しにしよ?
だって今、あの人は私のことだけを待っていてくれてるんだよ?
それだけで、私――― こんなに嬉しいんだよ?
もう、分かりきったことで悩むのはよそう。
………ねえ、お兄ちゃん。
ずっと、私は気付いてた。
自分の気持ちに気が付いていたの。
それが良いことか悪いことかなんて分かんないし、分かりたくもない。
だって私は、ただ―――
あなたのことを、どうしようもなく………
―――好き。
ユメにとってのその曲は、何種類もの楽器の音色が重なり合って奏でられるオーケストラみたいに色々な感情を教えてくれる。嬉しいのか悲しいのかさえ分からないけど、切実に心に響いてくるのだ。
ふわふわとしていて不確かなくせに、きっと世界中の誰に止められたって聴くことを止めたりなんて出来ない。
ほら……… あの人が気が付いてくれたよ?
優しい顔で、あなたを待ってくれてるよ?
もう、私は行かなくちゃダメだよ―――この気持ちの先に。
きっと………きっとね、お兄ちゃん。
きっと、この気持ちがそうなんだよね?
そう、きっとこれが―――恋。 なんだ。
それからユメは、この季節にぴったりな笑顔で駆け出した。
夏色の空は蝉の鳴き声と合わさって、ますます夏色に染まってゆく。
もくもくと立ち上がる大きな入道雲が白く輝いているのも、深緑の森がどこまでも太陽を吸い込んで緑を深くしてゆくのも、世界が夏色に染まりたがっているからなんじゃない?
そんな勘違いをしてしまう程、今日という日は夏だ。
空も、山も、海も、きっと私達だって! この夏を、楽しむに決まってる!
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森の中を走るアスファルトの道が少しだらけて溶け始めているけれど、そんな些細なこと、ユメの高鳴った胸のトキメキを後押しこそすれ抑える為の理由になんて少しも成りはしなかった。
流れていく木々に視線を送っている暇なんて無い。
だってここは―――
私の大好きな、場所だから!
「お兄ちゃん!こっちにキリンがいるって!見てみたい!」
サロペットのショートパンツを元気に着こなしながら、ユメは兄の腕を引いた。 ゆったりとした大きめのサイズで、夏らしく爽やかな白いデニム生地のお気に入りの服だ。
ちょっと子供っぽいかな?とも思ったが、でもこの場所にはピッタリのチョイスだと思う。
そう――ユメが初デートに選んだのは、動物園だった。
ユメは小さい頃から、この森の中にある地元の動物園が大好きだった。中学生になってからは足も遠退いたが、小さい頃の幸せな思い出が染みついたユメのパワースポットなのだ。
この場所に来ると必ず幸せな事が起こると、信じて疑わない場所だった。
記憶を失くしている今の兄は、この動物園での思い出はきっと無いのだろうけれど、だけどユメは覚えている。母と兄と三人で日がな一日、夢中でこの動物園を満喫した日のこと。
「そう、慌てるなって!キリンは何処にもいかないからさ」
そして今でも兄は、苦笑いを浮かべながらもユメの隣にいてくれる。
「うわ~!ねぇみてみて、お兄ちゃん!久しぶりに見ると、本当におっきいね、キリンて!」
「うお!ほんとだ。でかいな!」
キリンの飼育スペースの大きな広場には、大人のキリンが二頭と子供のキリンが二頭、群れながらゆっくりと歩いている。どうやら大人のキリンは
暫くその様子を眺めているとキリンの群れがゆっくりと近付いてきて、ユメ達に長い首を下げて挨拶をしてくれた。その様子が、久しぶりに姿をみせたユメ達に、おかえりっと言ってくれている気がして、ユメは思わず「ただいまっ!」と、口にしていた。
「ん?ただいまって何だ?」
兄が不思議そうな顔をしている。
「んっふふっ、ないしょだよ~!」
そんな兄に、ユメは悪戯っぽい笑顔で返した。
兄は少し困った顔をしていたが、ポリポリとした後で、「まあ、ユメが嬉しそうだから、それでいいか………」と、笑った。
その笑顔の眩しさに目を細めながら、ユメは、やっぱりだねって思う。
やはり、この場所は私を幸せな気持ちにさせてくれる。
だけど、子供の頃とは違う幸せなんだ。
今――私は本当に幸せだよ、お兄ちゃん。
だって―――
あなたが、こんなに近くにいてくれるんだもん!
そんな二人の楽し気な様子を、少し離れた場所から見つめる人影があった。
「あん? おい―――あれ、如月じゃねえか?」
「え?ユウくん!?どこどこ、何処にいるの!?」
「ほら、あそこ………キリンのところ」
「あっ!ほんとうにユウくんだ!ユメちゃんもいる!」
「如月の隣にいる女は誰だよ?ヤツに、彼女なんているのか?」
「違うよ、ユメちゃんだよ!」
「ゆめ?」
そんな話をしながら二人の様子を伺っていたのは、如月ユウのクラスメイト、
「しょ、翔子ちゃんGO~!ユウくんに向かってGOだよ!」
「てめー金森!GOじゃねぇ!あたしはお前のエンジンじゃねえんだよ!チッ!しゃ~ねえな、今回だけだぞ!しっかり掴まってろよ!」
そう言って水崎翔子は、金森いずみの座る車椅子を押しながら走り出した。
♪✿♫✿♪✿『ユメのひとこと』♪✿♩✿♬✿
皆さんこんにちは、ユメです。
はぁ~……そっか。そうなんですね。
この日に初めて、やっと私は自分がお兄ちゃんに恋をしているんだって認めたのか。思い返してみても、やっぱり私って ホントに、不器用ですよね?(苦笑)
でも、ここまで辿り着くのに本当に長かったから、頑張った自分を褒めてあげたいです!
(*^-^*)ヾ(・ω・`)ヨシヨシ…
―――それについに、です。
皆さん遂に、この人達が登場してしまいました。
お兄ちゃんのクラスメイトの水崎翔子さんと―――金森いずみさん。
お兄ちゃんの周りって、何故だか素敵すぎる女の人達が集まるんですよ。だから私は、心配で仕方なくって………だってお兄ちゃん、高校でのことあんまり話してくれないんだもん。
なので次回は、ちょっとだけお兄ちゃんの高校生活を覗き見してみようかな?って思っています。
―――え? はい、はい…… え~!?いいんですか!?💦
皆さん!どうやら次回は水崎さんが、学校でのお兄ちゃんについてお話してくれるみたいなので、耳を傾けてみましょう。
水崎さんの目から見たお兄ちゃんは、いったいどんな人なのかな?
気になります!
(>_<)💦
♪✿♫✿♪✿♭✿♪✿♮✿♪✿♯✿♪✿♩✿♬
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