暗闇の中の災
「満足ですか」
「大っ大っ大満足よ!」
「それは何より」
その後、味を占めた浅見先生に付き合って五回ほど湖面に向かって飛び降りた。
毎度毎度ミノムシのようにぶら下がりながら、タイミングを見計らってスカートを押さえつける俺の身にもなって欲しい。
太ももやケツを押さえられることに対して先生は何も思わないようで、むしろ「ちゃんと押さえてね!」と頼まれる始末。
慣れたのなら一人で飛んだらどうです、という提案が却下されたのもそれが理由だ。俺は浅見先生のパンツを守るために一緒に飛び降りる。
タイミングを見計らうのが面倒くさくなってきた頃には、飛ぶ前から先生のケツを抱え込んでいた。効率を重視した俺の行為は端から見たら、ただべったりと抱き合う熱々カップルにしか見えなかったらしく。
俺たちを送り出すスタート地点のスタッフや湖でボートに乗って回収作業に控えるスタッフが二人の間で潰れた小玉スイカとケツごとスカートを押さえる俺に対し、涎が垂れそうなほど羨望の眼差しを向けていたが気づかないフリをした。
確かに俺も先生を抱きしめてはいたが、それ以上の腕力で抱きついていたのは浅見先生だ。何度背中が折れるかと思ったことか。余裕が出てきたのは明らかなのに、抱きつく腕に力が入るってどういうことだよ。死ぬかと思ったわ。
そうして幾度となく体に痛手を負い予定外の時間をバンジーに割いてしまった俺は、興奮やまない浅見先生を女子に受け渡して部屋に戻り腰や背中をさすりながら再び本を手にした。
あれだけ飛んだんだ、先生へのお礼は十分だろう。願掛けもきっと上手くいくさ。
あとは目を逸らしたくなる現実に戻るのみ。作品を選んでないのは俺だけだ、早く決めないと。
先輩方は二分以内で朗読という目標は既にクリア。あとはいかに抑揚をつけ、感情豊かに表現できるか。コンテストの評価に大きく関わる技術的な面を磨いている最中だ。
朗読に関して俺は初心者だし、詳しいことは分からない。だけど一番上手だと思うのは優里先輩だ。楽しそうな声、悲しそうな声。分厚い長編のたった一部。前後の流れも分からないのに、彼女の朗読は心に訴えかける何かがある。
まあ俺にはそんな高度な技術はないので、できるだけ感情移入のしやすい部位を選ぶだけなんだが。合宿も終わり間近だというのに未だに読書に専念するしかないとは、さすがに焦りが生まれる。
間もなく訪れた夕食はじつに豪華なものだった。今日のスケジュールでは午後からフリーとなっていたが、先輩方は俺と違ってしっかりと午後も朗読の練習に勤しみつつ、いい塩梅でバカンスも堪能していたらしい。
浅見先生の代わりに午後の管理を任せられたのは優里先輩だからな、さすがとしか言えない。食事の場では敷地内にあるアドベンチャー施設について大盛り上がりだった。もちろん、その中に混じった浅見先生も興奮気味にバンジーのことばかり話す。
よほど楽しかったらしく、大袈裟なジェスチャーを交えては説明を繰り返す。そんな笑顔の絶えない浅見先生を見ていると心なしか頬が綻んだ。
(あんなに喜んでくれたなら良かったよ。練習の時間を割いた甲斐もあったってもんだ)
先生の話に苦笑しながらも、そんなことを思う。心がふわりと温かいものに包まれ、同時に違和感を覚える。
基本的にサービス精神旺盛なのが陽キャの性質だ。だけど今までは女を喜ばせるなんてこと、怖すぎてできなかった。そもそも、お礼なら言葉で十分だ。過分なお礼をして間違ってでも惚れられたら、そう思うからこそ必死に距離を置いた。
なのになぜ「良かった」なんて思ったのか。浅見先生の笑顔に満足感を得たからか。よく自分でも分からない。何かが俺の中で変わってきている気がした。
夕食後、部屋に戻った先輩方は持ち込んだゲームで遊びだした。俺はベランダのデッキチェアに陣取り、夜風に当たりながら本を手に取る。ほんと、もう少し早く読めるようになりてえ。俺、先輩方の四倍は時間かかってるからな。
すると輪から外れた俺に気付いた先輩が声をかけてくれた。
「如月くん、まだ読むの?」
「はい。まだ作品選んでないので」
「そっか。朗読は感情を入れなきゃいけないから、やっぱり好きなものを読まないと上手くいかないんだよね。早く見つかるといいね」
好きなものねぇ。とりあえず三冊は目を通してみたんだが、これ良さそう! ってのはなかったんだよなあ。基本ラノベしか読まないし。なんならもうラノベでも良いんじゃないかって思う。
感情移入できるかどうかは別として、好きな物という点に於いては問題ないし。
「先輩。一応確認なんですけど、自由作品ってラノベでもいいんですか?」
「うん、ダメだね。カテゴリだけは文芸って決まってるから」
ニッコリと笑った先輩にガックリと肩を落とす。やっぱりダメかー。コンテスト側からの指定文庫が本格的な文芸ばかりだから、薄々そんな気はしてたけどさ。
やっぱりこの分厚い本を読まないと始まらないな。深夜零時をまわっても先輩方はまだ寝るつもりはないらしく、部屋の中から絶え間なく笑い声が流れてくる。
聞こえてくる会話が恋バナに切り替わったところで、話を振られることを恐れた俺はそそくさと部屋を後にした。
(確かコテージは明日の朝まで利用可能だったはずだよな。そっちで読むか)
コテージはホテルの裏にある緑の芝生を真っ直ぐ突っ切って抜けた先。ブナの木が林立する辺りにある。コテージに続くレンガ造りの道には照明があるので、夜だろうと視界は悪くない。
周囲にひとの気配もないし、ここならメガネを外しても大丈夫そうだと、ケツポケットにメガネをしまって目頭を揉みほぐした時だった。どこからともなく、小さな悲鳴が飛び込んできたのは。
「ちょっと、やめてください!」
「あんたが誘ったんじゃないか」
「わたし、そんなことしていません!」
ついピタリと足を止めて耳をそばだてた。どうも道から逸れた林の中で聞こえたような。反射的に目を細めて林を凝視してみる。暗くてよく見えない上に会話も途絶えた。
――気のせいか? そう思ったが。
「ちょっと……触らないで!」
あ。やっぱりいた。姿は見えないが、林の中にいるのは確かだな。どうも雰囲気を見るからに女の方は嫌がってるみたいだけど。しかも、すっごく不愉快なことに浅見先生の声に似ている気がする。
俺は顔をしかめて林の中を睨みつける。
できれば女とは関わり合いたくない。けどな、強姦未遂の現場に居合わせて見て見ぬふりをするってのはどうなんだ? いくら女嫌いとはいえ、人間として最低だと思うぞ。
「はあ〜面倒くせえ」
特大のため息をついた俺は手にしたハード本で肩を叩き、ポキポキッと首を鳴らしながら林の中に足を踏み入れた。
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