22.記念すべき日なんだから、もっとゆっくりさせてくれ

「♪ふふ~、ふふ~んふ、ふ~んふ~んふふ~ん」


(((上機嫌ですねえ)))


 鼻歌、と言うにはガッツリ口ずさんでいる俺に、晩御飯の牛丼を食べながら話しかけるカンナ。最近、いつも何か食べてるなこの人……。


「いやあ、カンナのお蔭で、自分に隠れた才能があったって知っちゃったからなあ」

(((あれ、気付いていましたか)))

「そりゃあ、あれだけハッキリ魔力を飛ばせたんだから、気付くも気付かないもないよ」

(((ああ、其方そちらですか)))

「『そちら』?」

 よく分からない事を言うなあ?まあ今はお祝いムードが強過ぎてどうでもいいけどさ。

 

(((世事には疎いのですが)))

「なにさ」

(((氏の楽曲は、慶事に歌う物なのでしょうか?)))

「あんたホントに最近までダンジョンで引き籠ってたの?」

(((それとも、『金星』という曲がそういう物なのですか?)))

「詳し過ぎない!?」

 鼻歌検索出来るのおかしいだろ!なんでそんなサブカルに染まり切ってるんだこの人!?

(((貴方の記憶にありましたから)))

「それはそうなんだろうけどさあ…」

 だとしても、そんな細かい事覚えとかなくていいんだよ?とは思ったが、まあ本人が苦にしているわけでもなし、放っておこう。そこ、渋いとか古いとか言わない。


「まあそういうわけで、本日は久々のお風呂タイムなわけなんだけど」

(((何がどういうわけかは分かりませんが、お目出度めでとう御座います)))


 ここ丁都第十居住区では、一人一つ、風呂トイレ付きの部屋をあてがわれている。まあユニットバスなんだけど。

 水道代やガス代節約の為、俺はいつも最低限のシャワーだけで済ませている、のだが、偶にムショーに湯船が恋しくなることがある。だから、こういった祝うべき日には、自分へのご褒美として、お風呂を解禁しているのだ。

 勿論、先にシャワーは浴びて、バスタブは掃除した上で、なんだけど。


「準備は整った!俺は今から風呂に入る!」

(((どうぞ。何をそんなにかしこまっているのですか?)))


 言ってることは正論だが、しかしここで油断すると酷い目に遭うと、俺は学習済みである。


「今度は覗かないでくれよ?絶対やめてね?これフリじゃないからな?一人でゆっくり入りたいんだよ?」

(((信用無いですねえ…、如何してそこまで警戒するのですか?)))

「分からいでか!」


 カンナが初めてこの部屋で一夜を過ごした日、それはもう大変だったのだ。

 別に宙に浮いているだけ、しかも本来だったら睡眠も必要ないらしい彼女だが、俺が寝ようとするとやれ「二人っきりですね」だとか、やれ「その思春期の青い欲望を私にぶつけるんですか」だとか、意味深長な物言いで妨害してくるのだ。

 挙句の果てにシャワー中の俺を覗きに来て、「あれ、可愛いですね」とか言い出す始末。「一緒に浴びますか?」とも言っていた。あんた物に触れられないのに水浴びなんて無意味だろ!


 兎に角俺の平穏と尊厳はズタボロとなり、プライベートイベントでは漏れなく恥ずかしい思いをしなければならなくなった。トイレ中まで観察しようとし始めた時は、流石に本気で拒絶した。男の自尊心を守る為の戦いだった筈なのに、そこにはもう人としてのプライドなんて無かった。ただただ如何なる手段を以てしても最後の一線を死守する、それだけを胸に全てを捨てた死兵がそこに居た。


 と、そういう感じで、この少女は平気な顔して、俺のパーソナルスペースを侵略するのだ。何も言わずに入浴でもしたら、浴槽の隣に居座りかねない。いや、こいつは間違いなくやる。だから念入りに、釘を刺しておく必要があるのだ。


「今日の俺はリラックスするからな」

(((『金星』を歌いながら?)))

「別に『金星』はいいだろ!?さっきから『金星』の何に引っ掛かってんの!?」

(((それと、湯船で歌うなら、口笛の方がお洒落ですよ?)))

「いや風呂にオシャレとかいう概念無いから」

(((ちょっと吹いてみて下さい)))

「………………ふうっ…、ふひー…、ふぃー…」

(((ふっ、くすっ…)))

「出てけ!」


 よく分からない所に琴線を持つ彼女を押し出し——と言っても触れないんだけど——、服を脱ぎ捨ていざ至福の一時へ!

 カーテンを開けた先で俺を出迎えるホカホカの湯船。


(((あれ、遅かったですね)))


 と、何故か一足先に浸かっているカンナだった。


「いやなんでだよ!」

 これまでで最速のカーテン閉め。だけどもう割と手遅れだ。頭にき付いた。あのキレイな肌が水面越しとは言え一糸も纏わずあらわになって、しかも水滴でコーティングされていたせいで余計に破壊力が増していた。心臓が痛い。至近距離で女性の裸を見た事が無い俺を殺す気かと、本気でそんなことを思った。


「っていうか脱げるのかよ……」

(((貴方になら、素肌を見せても狂死しない事は、検証済みですからね。これから諸々、試していこうと思いまして)))


 耐久実験ヤメテ。

 水を掻く音や狭い室内に響く甘い声が、そこに“女性”の存在を容赦無く形成し、俺の頭からモヤつきの行き場を失わせていく。


「あの、そこにいると、入れないんだけど」

(((何故です?貴方は私に触れないのですから、そのまま入れば、何の問題もありませんよ?)))

「問題しかない!俺にこ、こここ混浴しろと言いたいのか!?」

(((急に鶏の真似ですか?童貞君)))

「童貞と分かってるならハードルを下げい!」

(((仕方ありませんね……)))

 

 そこで大きく動くような水音。分かってくれたかと安堵したのも束の間。


(((どうぞ。十分な隙間を開けておきましたよ?)))


 ああ、これ、あれだ。

 今日風呂に入りたければ、本当にやらないといけないやつだ。相手は姿だけのモンスターである以上、のぼせるまで耐久させる手も使えない。詰んでる。


 心を落ち着かせる為に深呼吸して、いつもとは違う清涼感となまめかしさのある空気を吸い込んだ事で余計に意識させられ、結局何の対策も無いままにカーテンを開き、ほとんど目を瞑りながら小さくまとまり、肩まで浸かる。今自分とカンナの体がどの辺で重なってるのかとか、そういうことを気にしてはいけない。このバスタブの広さでは、どう足掻いてもどこかが触れるのだ。

 こいつは見えてるだけ実体を持たない見えてるだけ実体を持たない見えてる実体を持たない………


(((結構大胆な触り方するんですね?)))

「頼むからやめてくんない!?秒でのぼせそうなんだけど!」


 すぐ近くからクスクスと流れて来る嘲笑ですら、今の俺には劇物だ。正直言って、息すら止めて大人しくしていて欲しい。なんか声にまで香りがあるような気がしてきた。もうダメかもしれない。


(((これは一応、貴方へのご褒美のつもりだったのですが、あまり喜ばれいのですね)))

「いや、その、赤ん坊にウォッカを与えるような暴挙と言うか…」


 こちとら女性と密着距離に居るだけでもしどろもどろになる幼気いたいけな少年だぞ?別に相手が全裸じゃなくても、だ。やるにしても段階を踏んで欲しい。


(((申し訳ありません。少々、加減を間違えてしまったようですね)))

 

 本気で言っているのか疑わしい所だが、しかし声音が思ったより沈んでいたから、少しだけ慌ててしまう。


「いや、その、俺の為にやってくれてるのは何となく分かるから、ありがたいことはありがたいって言うか、その、ほんとに、程度問題ってだけで」

(((ススム君はお人好しですねえ)))


 むぅん、やっぱり馬鹿にされてるだけな気がする。まあカンナがヘコんでるよりは、ニヤついてる方が良いか。

 などと一人納得している俺は直ぐに、自分の考えがまるで足りていなかったことを知る。


(((けれどススム君、今回はお疲れ様でした。見事、私が設けた課題を達し、過去の己を乗り越えましたね)))

「いや、俺一人じゃ何もできなかったからさ……。何と言うか、俺の方こそありがとうと言うか……」

(((頑張りましたね。偉いですよ)))

「そんな、ガキじゃないんだから」

 

 その時だった。俺の頭を優しく柔らかな、それでいて確かな感触が、髪を丁寧に梳くように、何度も、何度も、よぎったのは。引っ掛かりを感じさせず、けれど頭皮をほどよく揉むように刺激され、温かな水温の心地良さもあって、その場で眠ってしまいそうになり、

「え、あれ、触って——」

 撫でられている、その考えに辿り着いた俺は、驚いて思わず目を開けてしまった。


(((あれ)))

 

 目と鼻の先で、慈愛に溢れた笑顔のカンナが、何も隔てず、左手を伸ばしていた。

 長い髪は浸からないようにまとめ上げられ、耳や首元がしっとりとほのひかる。

 摩擦など持たないように振舞う灰色の肌は、瑞々しい血色にほんのりと火照り、顔貌を上気させ、一差しの色気を添える。

 水に浮く胸だとか、輪郭に張り付く濡れ髪だとか、差し伸べられた手の関節や脇が若干色付いて、陶器のような真っ直ぐさの中に、肉としての表情を見せたりだとか、そういう暴力的な情報が網膜を過熱し、焼き切り、更に左手が髪から頬にまでゆるりと下がって、


(((やっと、見てくれましたね)))


 そう言って心底嬉しそうに笑う。雪のように怜悧な少女が、華が咲くようにほころんで、燃ゆる瞳が細められ——


 俺のキャパシティは、そこで限界を迎えた。

 むしろよく持った方だと、自分自身を褒めてやりたい。

 体感時間は1時間にも1日にも感じたが、実際は数秒の出来事だっただろう。


 俺はそこで完全に意識を失った、のだと思う。

 正直記憶が曖昧だが、状況から見て確実だろう。


(((れ、また私が運ぶんですか?)))


 そんなボヤきが聞こえた気もするが、知ったこっちゃなかった。


 あからさまな自業自得、身から出た錆だ。

 自分で殺した死体くらい、運んどいてくれ。

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