第17話

群くんは、なんと翌日の部活にやってきた。

目を点にしている時生と対照的に、戸次先輩は誕生日とクリスマスを同時に迎えた小学生のようなはしゃぎっぷりだった。

更衣室がない中、階段のところで着替えを済ませた群くんを見て、時生はまた驚いた。

白のTシャツとグレーのスウェット、そして黒のダンスシューズ。派手ではないけれど、群くんらしくて様になっている。

「シューズだけは昨日買ってきたんだ……さすがに小学生のは使えないから」

と、群くんは恥ずかしそうに時生に言った。

マヨ先輩は群くんを見て、満足そうに言った。

「よし、練習曲の振り、通していくぞ。群は最初見てていいし、いけそうだったらなんとなくついてきて」

「はい」

ストレッチをしながら群くんが言った。

結論から言うと、群くんは抜群だった。

時生がヒイヒイ言いながら、なんとかついていった振り付けを、数回見るとすっかり覚えてしまった。細かいところはまだなんとなく合わせているような雰囲気だが、マヨ先輩と並んでも見劣りしない。

給水の時間に、

「すごいね、群くん!」

感心して時生が言うと、群くんは耳たぶを赤くした。

「ちょっとだけやってたんだ……小学生までの間に」

「ヒップホップ?」

「ううん。ジャズ」

「ジャズ? ジャズって、おしゃれな喫茶店でかかってる曲みたいな、シャンシャンしたやつ?」

すると、戸次先輩が時生の頭をポンポンと叩いた。


「ちがうちがう。ジャズっていうのは、モダンダンスのこと。ダンスの種類だよ。おしゃれな喫茶店でかかってるのもジャズだけど、別にコントラバスに合わせて踊るわけじゃない。マヨが好きなんだよ」

「えぇ? マヨ先輩が?」

「そう。あいつもオレも、高校からダンスを始めたんだけど、オレはヒップホップにはまって、ひたすらそればっかやってた。マヨはロックやジャズとか、いろいろ手ェ出して練習してたなあ」

「へえ……そうなんですね」

群くんはどことなく嬉しそうだった。

だけど、自分の上手さをひけらかすこともなく、淡々と練習をしていて、時生はそんなところに好感を抱いた。

群くんが正式に入部したのは、その翌週だった。




時期はもう六月になっていた。

いつもの基礎練習も、流れを把握してきたところだ。時生は群くんと一緒にアイソレーションをしながら、3年の先輩たちを待っていた。群くんは、付き合ってみると案外といいやつだった。地味だ地味だと思っていた印象は、音楽がかかるとスイッチが入れ替わる。群くんが立っているところがステージになるように、パッと華やぐのだった。それはきっと、ダンスの基礎がしっかりできているからだろうと時生は思った。

群くんが歩き、立つ仕草をするだけでも、動きとして美しいのだった。


アイソレーションとリズムどりが終わり、群くんがタオルで汗をぬぐいながら言った。

「それにしても……暑いねぇ」

時生も恨めしく太陽を見上げて言った。

「今日も30度越えだってさ」

今朝の天気予報は無情にも、三日間連続の記録的な夏日を告げていた。このまま気温は上昇していくに違いない。嬉しそうなのは水泳部くらいだ。

屋上でこの先練習していくことは可能なのだろうか。いや、物理的にかなり厳しい。時生が完全に振り付けを覚えて踊れるようになるのが先か、熱中症で倒れるのが先かといったところだ。

「あと一人入れば、部活になるんだろ?」

と、群くんが言った。

「そうなんだよなあ。何年でもいいから、もう一人入ってくれないかなあ。できれば群くんみたいな経験者でさ」

「そんな都合いい話、あんまりないんじゃないかなあ」

と、群くんは笑った。

そうだよな――。笑い返したそのとき、群くんのスポーツバックが時生の目に入った。頭の中にある場面がパッと浮かんだ。黒いエナメルのバッグ――そして、金色にかがやいたキーホルダー……円形の……。


「あっ!?」


急に叫んだ時生を群くんは胡乱げに見た。

「何? 虫でもいた?」

「ごめん、群くん、オレ今日早退する! マヨ先輩にうまくいっといて!」

「えっ? 堤くん?」

時生はダンスシューズを脱ぎ散らかすようにしてかき集め、階段をとてつもないスピードで駆け下りた。

向かったのは三年の教室だった。この時間なら、あるいは――。

「先輩ッ!」

と、時生が叫ぶと、その人は振り向いた。

「ん?」

「猪原先輩、ですよね」

「あー、戸次の後輩の」

猪原先輩は人の良さそうな顔で、にこやかに笑った。

「どしたの? また戸次、探してるの?」

「いえ、違います。今日は、猪原先輩を探しにきたんです」

「えー、オレ?」

「先輩ですよね」

「何が――」


「オレ、気付いちゃったんです。あの動画に映ってた、人形がいっぱいついてた大きなリング。人形はないけど、そのキーホルダーと同じですよね。それに、鞄も――黒のエナメルのスポーツバッグ。形も色も同じだ」


猪原先輩の笑顔が消えた。

「先輩が、Yですよね」

時生はまっすぐ猪原先輩の目を見て言った。


人のいない廊下に、二人は向かい合って棒立ちになっていた。

猪原先輩は顔をあげたが、その目はさっきと違っていた。優しそうだった柔和な顔つきは変わって、熱をもった目になり、そしてその頬は微妙な興奮を帯びていた。

「あー、すっげぇ。お前が初めてだよ、オレに気付いたの」

低い声だったが、時生の鼓膜にはちゃんと届いた。


「それで? 脅すつもりか? 金ならねーぞ」

「まさか」

時生は言った。

「先輩にとってもいい話だと思いますよ。ちょっとサインしてくれたらいいんです。入部届に」


猪原先輩は狐につままれたような顔をした。

時生は自分の勝利を確信した。


戸次先輩は明らかに驚いていた。

マヨ先輩でさえ、いつも眠そうな目をちょっと見開いたくらいだった。

猪原先輩は居心地悪そうに、屋上のドアをくぐった。


「猪原? えっ、何、どうしたの! えっ?」

「……入部する」

「えーっ!」

戸次先輩は大声で叫んだ。

マヨ先輩の猫背がなおっている。


「本気かよ」

と、マヨ先輩は言った。


先輩たちが驚くのも無理はない。

3年の6月といえば、受験勉強のために部活を退くことこそあれ、新しく参加するということは常識的に考えてありえないからだ。


「なんで、今……」

まっとうな疑問を戸次先輩がぶつけた。

猪原先輩は、

「あー……」

と、弱々しい声をあげて、時生を見た。


「この一年生に『お願い』されちゃったからね。断れなかった」

「すごいな堤! 3年を連れてくるなんて思いもしなかったぞ」

戸次先輩は飛び上がらんばかりだ。

とにかく、これで5人揃った。


屋上の気温は35度になりかけていた。

ようやく夏のまともな練習ができそうだ。

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