第40話
「あの、いや、あれは……!」
セレーナの顔が、熟した苺のように真っ赤に染まった。
目覚めてからすっかり忘れていたが、今ならはっきりと思い出せる。
──『わ、たし、フィクスさまが、す、き……』
死ぬかもしれないと思ったら、最後にこの思いだけは伝えたいからと、言葉が溢れ出したのだ。
助かってからのことなんて考えていなかったのセレーナは、現在困惑していた。
(本当だけれど、認めるわけには……っ!)
フィクスにはスカーレットという想い人がいて、おそらく二人は両思いなのだ。
セレーナが恋心を伝えたところで望む答えが返ってくるわけでもないし、そもそもフィクスのことを困らせたくない。ほんの少しでも、煩わせたくない。
(あれは、気が動転していたから深い意味はないって言い訳をするしか……!)
騎士たるもの言い訳など言語道断だ。
けれど、今回ばかりは致し方ないだろうと、セレーナが口を開こうとした、その時だった。
「……ねぇ、セレーナ。あんな時に冗談なんて言わないよね?」
椅子から立ち上がったフィクスがベッドに片手を付き、ぐいと顔を近付けてくる。
「……っ」
フィクスの顔は真剣そのもので、セレーナは息を呑んだ。
「……答えてよ」
「…………」
「お願い、セレーナ」
彼の吐息が感じられる距離。
縋るようなフィクスの声に胸が締め付けられたセレーナは、もう自分の気持ちに嘘なんてつけなかった。
「は、い。……好き、です」
至近距離じゃないと聞き取れないほどの小さな声で、途切れ途切れに言葉を発したセレーナ。
フィクスはそれを聞いて、一瞬顔を伏せた。
(……ああ、悩ませてしまっているのか)
フィクスが今どんな顔をしているかは分からないけれど、きっと戸惑っているのだろう。
彼は優しいから、どう断れば相手をあまり傷付けずに済むかを考えているのかもしれない。
──そう、思っていたというのに。
「セレーナ……」
「えっ」
名前を呼ばれたと思ったら、フィクスに抱き締められた。
傷に響かないようにという配慮からか、壊れ物に触れるかのように、酷く優しい。
「あ、の、フィクス様……?」
この状況の意味が分からない。振られるのはおろか、抱き締められるなんて、誰が想像できただろう。
「離してください……!」
もしかしたら両思いなのではないかと期待してしまいそうになったセレーナは身動ぎ、フィクスの腕の中から逃れようとするが、彼は腕を解いてはくれない。
「お願いします、離してください……っ、お願い、しま──」
そして、そう懇願したセレーナの声は、次のフィクスの言葉によって途切れた。
「俺も好きだ」
「えっ」
彼はなにを言っているのだろう。
冗談にしては質が悪い。本気ならば不思議でならない。
セレーナが上擦った声でピタリと体を硬直させると、フィクスはもう一度それを言葉にした。
「夢みたいだ……。けど、やっと言える。……愛してるよ、セレーナ」
「や、いやいやいや、えっ? だって──」
抱き締められていることもそうだが、フィクスの発言に理解が追いつかない。
「フィクス様は、六年もの間スカーレット様に片思いをしているのではないのですか……?」
だからセレーナは、素直に疑問を言葉にした。
すると、フィクスは「は?」ト驚いた声をあげると、一旦セレーナの背中から腕を解いて、彼女と向き合った。
不安と疑問が混じり合った瞳のフィクスと、視線が絡み合った。
「待って。どうしてそう思ってるの? 誰かから聞いた?」
「実は……フィクス様が我が家に挨拶に来てくださった際に、兄様と二人で話しているのを少し聞いてしまいまして……。その時、フィクス様がどなたかに六年間も片思いをしていらっしゃると、知ってしまいました」
「……なるほどね。じゃあ、なんでその相手がスカーレットになったわけ?」
互いに疑問を解消するためには、この場でしっかりと話さなければならいと判断したセレーナは、以前参加フィクスと共に参加したパーティーでスカーレットと挨拶をした時のことを話し始めた。
まず、フィクスとスカーレットが六年来の付き合いになると話していたこと。
二人がかなり砕けた様子で話し、ただの友人と呼ぶには些か疑問に思う程度には仲が良さそうに見えたこと。
それらのことから、フィクスの好きな相手がスカーレットだと考えたと話すセレーナに、フィクスは額あたりを手で押さえて溜息を漏らした。
「……結論から言うと、それはセレーナの勘違いだよ。俺はスカーレットのことを好きじゃない」
「……し、しかし、もしフィクス様がそうだったとしても、スカーレット様はフィクス様のことを思っていらっしゃるのではないのですか?」
「スカーレットが俺を?」
フィクスは目を見開く、口をあんぐりと開けている。よほど驚いているらしい。
「その理由も聞いても良い?」
「……はい。以前、フィクス様が手合わせの相手に私を選んでくださった時のことです。手合わせが中断してから、フィクス様とリック様がお話している様子を、スカーレット様が愛おしそうに見つめていましたので、てっきりそうかと。それに、スカーレット様は公爵令嬢という立場でまだ婚約者がいらっしゃらなかったので、フィクス様に想いを寄せているのかと」
「……ああ、うん。理解した。なるほどね……」
フィクスはもう一度溜息をつく。今度の溜息は、先程のよりもかなり大きくて長い。
セレーナが「あの」と声を掛けると、フィクスはセレーナの横髪を彼女の耳にかけながら口を開いた。
「セレーナ、手合わせの時にスカーレットが見ていたのは、俺じゃなくてリックだよ」
「え?」
「ちなみにスカーレットとリックは恋人同士だし」
「はい?」
今度はセレーナが目を見開き、口をあんぐりと開ける番だった。
「二人は前から恋人同士で、そろそろ正式に婚約者になるつもりだったんだけど、スカーレットの祖母に当たる人が亡くなって、喪があけるまでは婚約者の手続きは延期しようって話になってたんだ」
「……え!?」
「因みに俺がスカーレットと割と仲が良いのは、彼女が良くリックに会いに王城に来て、俺とも話す機会が多いからだよ」
その説明の後、「納得した?」とフィクスは問いかけてくる。
未だに心は追いつかないものの、フィクスが言っていることは理解できたセレーナは、大きく首を縦に振った。
「つまり、全ては私の勘違い、ということですね……。申し訳ありません」
呆然とした様子でそう囁いたセレーナだったが、それに対してフィクスは「謝らなくて良い」と首を横に振った。
「そもそも、俺がセレーナに好きだって伝えてなかったから、こんな誤解を生んだわけだしね。それに、偶然にも六年という月日は被ったわけだし」
「……あっ、その六年についてなのですが、詳しくお聞きしてもよろしいですか……?」
六年前といえば、セレーナもフィクスも騎士学園に通う学生だった。
しかし、二人は学年が違い、直接話したことはない。
それなのに、その時代にフィクスは好きになってくれたというのだ。
嬉しいという気持ちは大きいのだが、かなり疑問もあった。
「もちろん。ちゃんと話すよ。セレーナからしたら寝耳に水だもんね」
「それもそうなのですが……正直、まだフィクス様に好いていただいているなんて信じられない部分もあるといいますか。いえ、スカーレット様とのことについては、もう誤解はしていないのですが、好きになってくださったきっかけを知れば、フィクス様のお気持ちをしっかりと信じられるのではないかと思いまして……」
好きになってもらったきっかけを聞くのは少し恥ずかしいが、ちゃんと聞きたい。
(ちゃんと、フィクス様の気持ちを信じたい……)
そう思ったセレーナは、気恥ずかしさはありながらも、ジッとフィクスを見つめた。
フィクスは自らを落ち着かせるように、小さく深呼吸をして、微笑を零す。
「ちゃんと言ってくれて、ありがとう。六年前のこと、今から聞いてくれる?」
それからフィクスは、六年前のあの日のことを語り始めた。
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