第38話

 

「何故お前がここに!?」


 セレーナと同様、突然のフィクスの登場に驚いたデビットは大声を上げる。


「デビット・ウェリンドット……。セレーナから離れて剣を手放せ。従わないなら……殺すよ」

「ヒィ……!」


 フィクスは既に剣を構えており、その表情は酷く恐ろしい。

 地面を這うように低い声は自分に向けられているものではないというのに、セレーナは恐怖から息を呑んだ。


(……それにしても、フィクス様が、どうして、ここに)


 その疑問が思考を支配するが、今はなによりも、デビットを制圧することのほうが大切だ。

 フィクスに危険が及ばないよう、デビットをしっかりと制圧しなければ。


 そう考えたセレーナが、デビットに意識を戻した、その時だった。


「く、くそぉ! このまま捕まってたまるか! せめて一人ぐらいは……!!」


 フィクスが来たことで計画が叶わないことを悟ったのか、デビットはセレーナだけでも殺さんと剣を持つ手に力を込めた。


「……っ」


 セレーナは剣で防御しようとするが、怪我の痛みのせいでいつもより反応が遅れてしまう。

 どんどん近付いてくる切っ先に、間に合わないかもと覚悟をした、のだけれど。


「──デビット・ウェリンドット。聞こえなかった?」


 キィンという剣と剣が交わる音の直後のこと。

 目にも止まらぬ速さで、フィクスは手に持つ剣で、デビットの剣を弾いていた。


「あ、あれ……?」


 なにが起こったのか理解が追いつかなかったデビットは、自分の手を見ながら間抜けな声を漏らした。


 先程までデビットの手にあった剣は部屋の端の床に落ちている。


 フィクスは手ぶらになったデビットの喉仏に、切っ先を向けた。


「言ったよね、俺。……従わないなら、殺すって」

「ヒィィィ……!! 命だけはぁ! 命だけはご容赦をぉぉ!!」


 ──この瞬間、デビットの負けは確定した。



 それから、セレーナの説得──犯罪者は法律で裁かれるべきであることと、万が一にでもデビットを殺したことでフィクスの立場が悪くなることが嫌だと伝えたことで、フィクスはデビットの鳩尾を思い切り柄頭で殴り、彼を気絶させるだけに留めた。


 直後、セレーナは怪我の痛みで地面に座り込む。

 フィクスは急いでセレーナに駆け寄ると、彼女の体を支えた。


「セレーナ、大丈夫!?」

「は、はい……なんとか……。助けに来てくださり、ありがとう、ございま……うっ」


 これでもう、フィクスに危険が及ぶことがないのだと思うと、安堵感に包みこまれる。 


 しかし、そのせいか緊張が解け、先程までよりも数段激しい痛みがセレーナを襲った。

 体に力が入らず、抱き締めるようにして支えてくれているフィクスに、体を預けざるを得なかった。


(早く退かないと……ご迷惑をかてしま、う……)


 そう思うものの、体は言うことを聞いてくれない。

 セレーナは何度も「申し訳ありません……」と掠れた声を零した。


「謝らなくても良い……! 直ぐに医者のところに──」


 フィクスの声は聞こえているのに、うまく頭に入ってこない。

 全身が寒くて、指先一本さえ動かすのが億劫だ。


(だめだ……まだ、やることがあるのに)


 デビットを拘束し、目覚めた時に抵抗できないように処置しなければ。

 仲間の騎士たちと情報を共有し、他の者に被害がないか、他の脱獄者が居ないかなどの確認をしなければ。


 騎士として、こんなところで休んでいるわけにはいかないというのに、抗えようのない眠気のようなものまで襲ってきた。


「セレーナ! セレーナしっかりして……! 気をしっかり持て……! 直ぐに医者のところに連れて行くから……!」

「…………」


 ふわりと感じる浮遊感。フィクスに姫抱きされたのだということは、直ぐに分かった。


「……っ、出血が……」


 セレーナを抱き上げたフィクスが、切羽詰まった声色で呟く。

 おそらく、抱き上げた際にセレーナの体からぼとぼとと床に流れ落ちる血を見たからなのだろう。


 どうりで、寒いはずだ。おそらくかなり血が流れているのだろう。

 デビットに再会する前にフィクスに姫抱きされた時とは違い、彼の体のぬくもりや、腕の感触があまり感じられないのも、そのせいだろうか。

 痛覚が、どんどん鈍くなっているように思えた。


(私……死ぬ、のかな……)


 今まで騎士として生きてきたので、令嬢として暮らしていれば負うことのない怪我はいくつも経験してきたけれど、死を想像したのは初めてだ。


(もし、私が死んだら──)


 セレーナは意識が薄くなる中で、大切な人たちのことを頭に思い浮かべる。


(お父様、お母様、兄様、キャロル様、リッチェル、騎士の皆に、キャロル様の侍女さんたち……)


 その他にも、今までお世話になった人の顔が、頭に流れ込んでくる。


 ──けれど、一番に浮かんだのは。


「フィクス、さま……っ」

「……っ、セレーナ! 無理して話すな……! 絶対に助けるから……!」


 部屋から出て、地下の通路を必死に走るフィクスの顔は、意識が朦朧としているセレーナには良く見えない。

 ただ、乱れた呼吸と声色から、フィクスが必死に助けようとしてくれていることだけは伝わってくる。


(本当に、優しいなぁ……。ああ、好きだな……)


 ──人生で初めて好きになった人は、別の女性に恋をしていた。それも六年間も、ずっと。


 それに気付いた時、なにか役に立てることはないかと考えたけれど、その後、セレーナはフィクスに恋をしてしまった。


 叶わない。絶対に叶わない、そんな恋。


 恋心を捨てると決めても、フィクスに会うと、声を聞くと、触れられると、その決心は簡単に揺らいでしまう。


 ──それでも、この気持ちだけは、伝えるつもりはなかったのに。


「す、き……」

「え……?」


 次に目が覚めた時、もう彼に会えないかものかもしれないと考えたら、もう二度と彼に名前を呼んでもらえないと考えたら、もう二度と彼の笑顔が見られないと考えたら。



「わ、たし、フィクスさまが、す、き……」



 心の奥にしまい込んだはずの気持ちが溢れたセレーナは直後、意識を手放した。

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