第18話

 

 ──迎えたパーティーの日。

 完全に陽が落ちた頃、宮殿内を歩いているセレーナは、ふぅ……と息を吐くことで、自らを落ち着かせた。


「セレーナ、緊張してる?」


 少し顔を傾け、覗き込むように問いかけてきたのは、隣を歩いているフィクスだ。

 正装に身を包んだ彼は先程から擦れ違う全員に振り返られる程に美しい。男女問わず魅了してしまう容姿を持つフィクスは、間違いなくこの国一番の色男だろう。


 一方セレーナは、髪の毛を後ろで編み込み、フィクスから贈られた髪留めでまとめている。

 ドレスは、令嬢たちが好んで着るプリンセスラインやAラインのものではなく、マーメイドドレスと呼ばれるものだ。腰からお尻にかけてぴたりと生地が体にくっついているので、身長が高く、よく鍛えられたセレーナの体を美しく見せてくれる。

 色は碧色で、自身の髪色とフィクスの瞳の色と同じものだ。これもフィクスが贈ってくれたもので、リッチェルには大好評だった。


 慣れないヒールで歩きながら、セレーナは百メートルほど先にある会場の入口を見つめた。


「……いえ、問題はない、かと思います。やれるだけのことはやりましたから」


 今日のパーティーの趣旨は、第二王子の誕生日を祝うものである。参加者は第二王子の家族である王族はもちろんのこと、全ての上位貴族たちと、第二王子と交流が深い下級貴族たちだ。

 セレーナにとっては、フィクスの婚約者になって初めての社交界である。

 ……というより、仕事に明け暮れていてばかりだったセレーナにとっては、四年以上ぶりの社交界だった。


「はは、大丈夫。セレーナがレッスンを受けている様子はたまに見てたけど、問題ないよ。それに、ずっと俺が隣に居るから、少しくらい失敗しても心配いらない」

「……いえ。フィクス様の婚約者になった身で、令嬢として最低限のマナーも備わっていないとなると、恥をかかせてしまいますから。必ず、完璧に努めます」


 数年社交界に出ていなかったセレーナには貴族令嬢としての振る舞いに不安があったので、フィクスに頼んでマナーの講師を紹介してもらっていた。

 講師に教えを受け、それを何度も復習し、パーティーに参加する貴族たちの情報も頭に叩き入れたため、それなりの準備はできたはず。


 しかし、そこに時間と意識を取られたこともあってか、フィクスには好きな人が居るのに、何故仮初の婚約者になることを認めたのか、という点については深く考えられていなかった。


(……それに関しては、パーティーが終わるまで一旦保留ね)


 そう自問自答したセレーナに、フィクスが話しかける。


「……ほんと、セレーナはなんでも頑張りやだね。ありがとう」

「……っ、い、いえ」


 あまりに穏やかな顔でフィクスが褒めてくるもので、なんだか体がむず痒い。セレーナは目を伏せると、頬はほんのりと赤く染まった。


 そんなセレーナの顔を見たフィクスは、ぴたりと足を止めた。


「フィクス様? どうかされましたか?」


 続くようにセレーナも足を止めると、僅かに広報に居るフィクスを見るために、セレーナは振り向いた。

 その際、ふわりと揺れる耳の前にある一束の碧い髪の毛。これは、リッチェルがこだわり抜いた部分である。

「顎にかけて髪の毛が少しあるだけで、とってもお顔が小さく見えるんですよ! セレーナ様はそんなことをしなくても、お顔は小さいですし美しいですけれどね!?」と、力説されたのは記憶に新しい。


「セレーナ、さっきの顔」

「……さっきの顔?」


 フィクスの言うさっきとは、若干照れた時のことだろうか。


(……だとしたらあまり掘り返さないでほしい)


 そう思ったセレーナだったが、それを口にすることはなく、フィクスを見つめる。

 すると、そっと頬に伸びてきたフィクスの手に、セレーナは反射的に一歩後退り、距離を取った。


「あ……」

「酷いなぁ、セレーナ。婚約者なんだから、そんなに露骨に避けなくても良いのに」


 なにを考えているか分かりづらいフィクスの声色。

 セレーナは咄嗟に腰を深く曲げて謝罪をした。


「も、申し訳ありません……!」


(仮初とはいえ婚約者だと言うのに、なんたる失敗を! しかも、誰が見ているか分からないのに……!)


 しかし、そんなセレーナの猛省をよそに、頭上から聞こえてくる、「はは」という笑い声は、紛れもなくフィクスのものだ。 


「セレーナ、別に怒ってはいないから、顔を上げて」

「は、はい」


 人通りがある場所で謝罪をすることもまた、周りに不信感を抱かせてしまうかもしれない。

 セレーナはフィクスの指示に従うと、流れるような動きで自身の左手をフィクスに優しく掴まれ、それは彼の口元へと誘われていた。


「えっ」


 上擦った自分の声。少し高い温度のフィクスの手。

 夜風のせいか、ひんやりと自分の手の甲に感じる生暖かな温度と、弾力のある柔らかな感触。……ちゅ、というリップ音。


「なっ、フィクス様……!」


 驚きのあまり、手の甲にキスをされたと気付くのには、少しばかり時間がかかってしまった。

 顔を真っ赤にして、半ば無理やり手を引っ込めたセレーナは、フィクスにじっと見つめられることにより、一層困惑を露わにした。


「可愛いね、セレーナ」

「……な、何故急にこんなことを……っ」


 フィクスはセレーナにぐいと顔を近付けてくる。セレーナには避けることができたけれど、婚約者なのだから不自然な行動はするべきではないと、その場に留まる。


 そんなセレーナの耳元で、フィクスは囁いた。


「照れてるセレーナがあまりに可愛くてさ。つい我慢できずにキスしちゃった。ごめんね?」

「〜〜っ」


 顔だけでなく、耳まで真っ赤にするセレーナの反応に、フィクスは満足そうに微笑んでから、再び口を開いた。


「さっきの顔もそうだけど、今みたいな可愛い顔、俺以外の前で見せないでね」

「……なっ!?」

「今日のセレーナは一段と綺麗なのに、そんな可愛い顔まで見せたら、周りの男が皆君に惚れてしまう」


 婚約者になってからというもの、フィクスの甘い言葉は底を知らないらしい。

 歯の浮くようなセリフをサラリと言ってのけたフィクスの表情は余裕綽々といったものだ。


(好きな方がいらっしゃるのならば、なにもここまで言わなくても良いのでは……っ)


 ほんの少しの反発心を持ったセレーナだったが、仮初の婚約者になりたいと言い出したのは自分だからと言葉は呑み込む。

 すると、少し離れたフィクスがセレーナに手を差し出した。


「……少しは緊張が解けたかな。そろそろ行こうか」

「えっ……」

「ほら、手を貸して。婚約者の俺に、しっかりエスコートをさせてね」


 言われるがままに、セレーナはフィクスへと手を伸ばした。


(……なんだ。全ては私の緊張を解くためだったのね)


 どうやら、フィクスの発言は、彼の気遣いからのものだったらしい。


 セレーナは「ありがとうございます」と伝えると、フィクスと腕を組んで、会場へと歩き出す。


「今日のパーティーには宰相も出席してるからね。しっかり頼むよ、セレーナ」

「もちろんです。お任せください」


 宰相は観察力が大変長けていると聞く。

 フィクスとの婚約関係を疑われないよう、気を引き締めなければいけない。


 ──そう、セレーナは思っていたというのに。


「第三王子殿下、セレーナ嬢! お二人のご婚約、心からお祝い申し上げます」

「さ、宰相様……?」

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