第12話

 

 王宮を出てから約三時間。

 馬車の窓から眺めた外は、王都の華やかなものから、川や森などの自然溢れる景色に変わっていた。

 ここは、ティアライズ伯爵領。


 後数分でティアライズ伯爵家に到着することを認識したセレーナは、そういえばと話題を切り出した。


「フィクス様は、私の兄──クロード兄様と、今も仲がよろしいのですか? 騎士学園に在学中は、よく一緒にいらっしゃいましたよね?」

「あー……。なんだかんだ腐れ縁ではあるかな。まあ、クロードが登城した時に顔を合わせたら、話す程度だけどね。そういえばクロード、今日あたりに辺境地の国境警備を終えて、屋敷に帰ってきてるんじゃないの?」


 セレーナの兄、クロード・ティアライズはフィクスと同じ歳で、同期生に当たる。

 因みに、セレーナはフィクスとクロードの二つ歳下で、二年間在学期間が被っている。そのため、フィクスとクロードが共に居るところを、よく見たことがあったのだ。


「はい。そのはずです。ですから、フィクス様と兄がゆっくりと話せる席を設けたほうが良いのかなと思っていたのですが……」

「ありがとうセレーナ。けど、気を使わなくて大丈夫だよ」


 ニッコリとした笑みを浮かべるフィクスからは、遠慮をしている感じはしない。


(……あ、そういえば学生時代、兄様からフィクス様の話を聞いたことがなかった気が……)


 一緒には居るが、家族につい話したくなるほどの関係性ではないのだろうか。

 そんなことを今更疑問に思ったセレーナだったが、まあ良いかと疑問を頭の端に追いやった。


「あ、到着したみたいだよ」


 フィクスがそう言うのとほぼ同時に、屋敷に連なる十メートルほどの距離の階段の前で、セレーナたちが乗っている馬車がゆっくりと停止した。


「セレーナ、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 先にフィクスが馬車を降り、手を差し出される。

 普段騎士として生活しているセレーナは慣れないながらもその手を取ると、フィクスの護衛や部下たちに、少し離れたところに馬を繋いでもらうよう伝えた。


「部下たちは後から来るはずだから、先に行こうか」

「はい! 屋敷まではこの階段を上がるだけですが、ご案内いたします」

「うん。ありがと……って」


 するとその時、屋敷の方向から、まるでなにかが駆けてくるような音が近付いてくる。


「まさか、敵襲……!?」


 騎士家系である我が家から敵襲が来ることなんてあるはずがないと思いつつも、セレーナは直ぐに馬車に戻って剣を握る。

 フィクスの前で剣を構えれば、背後から聞こえたフィクスの発言に、セレーナは驚いた。


「……やっぱりこうなるか」

「え?」


(やっぱり?)


 フィクスは、この足音の正体が分かっているのだろうか。


(……いや、今はそんなことどうでもいい。フィクス様のお命は、私がお守りせねば)


 決意を固くしたセレーナは、膝を軽く曲げて戦闘態勢を維持した、その時だった。


「フィクス、貴様ァァァァ!!」

「……! この声は……」


 聞き覚えのある、地面に響くような低い声。

 物凄い勢いで階段を下ってくるその人物の漆黒の髪と、自身と同じ琥珀色の瞳、剣を携えるための帯に着けられたたくさんのマスコットたちを視界に捉えたセレーナは、目を丸くした。


「己、フィクス……!! 俺の可愛い妹を誑かしたお前に決闘を挑む! だからセレーナはそこを退けぇぇ!」

「兄様なにをしているのですか……! 止まってください……!」


(王族に剣を向けるだけでも大事なのに、もし傷付けでもしたら……! というか誑かされた!?)


 予想外の事態に動揺して、思考が鈍くなる。

 しかし、とりあえずこの場でクロードとフィクスを戦わせることだけはまずい。そう考えたセレーナは、剣を握る手にギュッと力を込めた、のだけれど。


「セレーナ、守ってくれてありがとう。けど、大丈夫だよ」


 その瞬間、背後に居るフィクスの片手がセレーナのお腹辺りに伸び、彼女を抱き締めた。


「えっ……!?」


 驚いたセレーナは咄嗟に地面に剣を落として、無防備な状態となる。

 一方でフィクスは、セレーナの耳元で「とっておきがあるからね」と囁くと、空いている方の手で自身の懐からなにかを取り出した。


 そして、クロードに見せつけるように、それを持った手を前に伸ばした。


「おいフィクス! 剣を抜──」


 クロードとの距離はおよそ二メートル。

 剣を構えたクロードは、フィクスの手にあるものを見て、言葉を失った。


「クロード、これな~んだ?」

「そ、それは……! ちびマスコットシリーズの数量限定商品……! 『うさぎのらびたん、春の装いマスコット』ではないか!! どうしてお前がそれを持ってるんだ!!」


 ──ちびマスコットシリーズとは、ここマクフォーレン王国の子どもたちの間で絶大な人気を誇るおもちゃの一つである。

 その大きさは子どもの手のひらに載るくらいで、なにかしらの動物をモチーフにして作られている。

 ふわふわとした毛の質感と、赤子のほっぺたのような柔らかさ、愛らしい見た目が相まって、ファンが多い。


(兄様、さっきまでと打って変わって、目がキラキラとしていらっしゃる……)


 かくいうクロードも、そのファンの一人だった。それも、全財産をはたいてでも欲しがるほどの、熱烈なファンである。


 おそらく、クロードは任務で王都周辺から離れることが多いので、フィクスが手に持っている数量限定のマスコットは手に入らなかったのだろう。


(しかし、どうしてフィクス様がこれを?)


 そんなセレーナの疑問に答えるかのように、フィクスはクロードに対してふっと鼻で笑ってから、話し始めた。


「クロードが昔からセレーナ命であることは知っていたからね。ご両親から俺とセレーナが婚約者になったことを聞いて、怒り、こうやって決闘を挑んでくることは想定済みだったよ。だから……これを準備しておいたんだよね。部下に調べさせたら、クロードはこれが是が非でも欲しかったんでしょ?」


 探すのには苦労したよ、と話しながら、フィクスは手元のマスコットに視線を送る。


 同時に、クロードはまるで吸い寄せられるようにマスコットに手を伸ばすのだけれど、それに届くことはなかった。


 満面の笑みを浮かべたフィクスが、わざとらしく腕を引いたからである。


(い、意地悪では……?)


 セレーナはそう思ったものの、どう考えてもいきなり剣を向けてきたクロードが悪いので、口に出すことはなかった。


「酷いじゃないかフィクス! そうやって俺に見せるってことは、俺にくれるために持ってきたのではないのか!?」


 目に涙を溜めて声を荒げるクロードに、セレーナは若干憐れみの目を送る。

 クロードのことは兄として、騎士として尊敬しているし、大好きだが、正直ちょっと格好悪いなと思ってしまった。


 フィクスはもう一度マスコットを持った手をクロードの方に伸ばすと、にやりと片側の口角を上げた。


「じゃあ、俺がセレーナと婚約したことを祝福してくれる? そうしたら、これをあげるよ」

「……っ、狡いぞフィクス! らびたんを人質にするなど……! お前のような男に……セレーナを、ぐぬぅぅぅ!!」


(人質か……?)


 疑問に思ったものの、こんな二人の間に挟まれたセレーナがそれを言えるわけもなく。


「……それなら、このマスコットはもちろん、これから数量限定でこのシリーズが発売された時は、俺の方で確実に入手しておいてあげるよ? それならどう?」

「乗った!! ……って、俺はなにを……!」


 クロードは頭を抱えて慌てるが、一度口にした言葉は戻ってこない。


「クロード、いや、お兄様? 騎士に二言はなしだよ」

「……くっ、すまないセレーナ!!」


 その謝罪は、妹の心配よりもマスコットを選んだからなのか。それとも、醜聞を晒したからなのか。


(まあ、どちらにせよ)


 セレーナは鋭い目つきで、腰を深く折るクロードを睨みつけた。


「……兄様。私への謝罪はいりませんから、まずはフィクス様に誠心誠意謝罪してください。お二人の仲の良さがどの程度なのかは存じませんが、ご自身のなさったことくらい、お分かりですよね……?」


 すると、クロードは腰を折ったまま、しぶしぶ声を振り絞った。


「…………。殿下、申し訳ありませんでした」

「うん、許すよ。クロードは愛するセレーナの兄君だからね」


 クロードの声色はあまり反省したようには思えなかったが、とりあえずフィクスが謝罪を受け取ってくれたので、セレーナはホッと胸を撫で下ろし、冷静さを取り戻した。


(…………あれ?)


 しかし、弊害というわけか、未だにフィクスに背後から抱き締められていることを自覚したセレーナは、顔から火が出るほど恥ずかしかった。


 そんなセレーナの前で、クロードはフィクスから受け取ったマスコットを見つめて恍惚そうに目を細めていたとか。

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