第3話
キャロルを自室へ送り届けた後、一旦下がっても良いと指示を受けたセレーナは、騎士団棟へ向かべく、渡り廊下を歩いていた。
(この時間ならば、騎士団棟で訓練をしている騎士も多いはず。手合わせしてもらいましょう)
そう考えていたセレーナだったが、反対方向から歩いて来る人物に、はたと足を止めた。
それから、廊下の端に寄り、頭を垂れた。
「やあ、セレーナ。三日ぶりだね。遠征に行く前に顔を合わせた時以来かな?」
「第三王子殿下。長期間の遠征、お疲れ様でございました」
「固っ苦しい挨拶は良いから、顔を上げて。セレーナの顔を俺に良く見せて。それと、フィクスで良いって言ってるのに」
甘い声色の指示に従うように、セレーナは顔を上げる。
──彼はフィクス・マクフォーレン。
セレーナの二つ歳上の二十二歳で、マクフォーレン王国の第三王子。キャロルの兄の一人である。
キャロルと同じプラチナブロンドに、少し猫目ぎみの碧眼。
鼻筋はスッと通り、唇は薄め。第三王子として公務を熟しながら、騎士としても活躍している眉目秀麗な男性だ。
まだ未婚ということも相まって、フィクスは令嬢たちから大人気だった。
聞く所によると、フィクスを慕う令嬢の数は百を超えるだとか。訳あってか、フィクスはその全ての縁談を断っているらしいのだが。
「君に会えない間はまるで地面に放り出された魚のようだったよ」
「魚が地面に……。それは大変でございましたね。……して海魚ですか? 川魚ですか?」
「躱すのうまくなったものだね」
フィクスにこうやって話し掛けられるようになったのは、ちょうど四年前。セレーナが騎士学園を卒業し、騎士となった頃からだ。騎士学園の在学期間は二年被っているものの、学生時代は話しかけられたことはなかったように思う。
おそらく、女性騎士という数少ない職種に加え、
(とはいえ、会うたびに、このように私を誂いになるのはよしていただきたいのですが。まあ、ときおり女であることを理由に騎士として未熟だとかなんとか言ってくる方々に比べれば、大したことはないけれど)
動揺などしませんというように、眉毛をピクリともさせないセレーナに対し、フィクスは小さくふっと微笑んだ。
「セレーナは今からはどこに行くんだい?」
「騎士団棟に行くつもりです」
「そう、それなら一緒に行こうか」
「……殿下の進行方向とは逆だと存じますが」
「仕事の息抜きに散歩してただけだから、問題ないよ。セレーナは俺と一緒じゃ嫌?」
小首を傾げ、わざとらしく悲しそうな顔をして、そんな聞き方をするフィクスにセレーナは返答に困る。
立場上、セレーナに嫌だなんて言えるはずがないことを、フィクスは分かっているだろうに。
「そんなことはありませんが……」
少したじろぎながら、セレーナはそう答える。一歩後退ったのは、完全に無意識だった。
そんなセレーナの様子に、フィクスの口角に微笑が浮かんだ。
「そんなに警戒しないで。取って食いはしないよ」
「…………」
「さあ、行こうか。俺としてはこのままセレーナとずっと話していても良いけど」
そう言って、すっと伸ばされたフィクスの手が、セレーナのこめかみ辺りに向かって伸びてくる。
大きく一歩後退して咄嗟に避けたセレーナは、笑みを浮かべたままのフィクスの顔を鋭い目つきで射抜いた。
「はは。少し髪が乱れていたから直してあげようと思っただけなのに。そんなに警戒しないでよ」
「……申し訳有りませんが、お戯れはおやめください。私は毎日きっちりと髪を結んでいますし、今日は訓練前ですので、前髪以外が乱れることはないかと」
必死に動揺を隠すように、できるだけ冷静な声色で話すセレーナに、フィクスとは数度目を瞬かせた。
「……なるほど。それなら今度は前髪を直してあげるね」
「……っ、殿下! そういうことではありません」
「ごめんって。悪ふざけが過ぎたね」
ここ四年、フィクスはセレーナに会うたびに話し掛けるのはもちろんのこと、甘い言葉を向けられるのもしょっちゅうだった。ごく稀に髪や手に触れられることもある。
この一年ほどでやっと甘い言葉に反応しなくなったり、触れられそうになったら避けたりと対応できるようになってきたが、それまでセレーナはフィクスの前で動揺しっぱなしだった。
(おそらく、殿下にこのような扱いをされたら、ほとんどのうら若き令嬢は好意を持たれていると思うのだろうけれど)
セレーナはそうはならなかった。
これまで男性に女性扱いをされたことがほとんどなかったため、私のことを慕うはずはないだろうという思いが強かったからだ。
「殿下、前々からお伝えしておりますが、私はこれでも生物学上女です。度が過ぎた戯れは周りに良からぬ誤解を生む可能性があるため、お控えください」
フィクスは王子ということもあって社交性は高かったものの、決して女性に対して過度に甘い言葉を投げかけたりはしない。
だからこそ、セレーナとフィクスの間になにかあるのではと、変な噂が流れてしまう可能性があった。
(王族の方にこんなふうに進言したら、不敬と言われるかもしれないけれど)
それでもフィクスはキャロルの兄だ。
フィクスがセレーナの関係が噂になり、フィクスの評判に傷が付いてはいけない。
そんなことがあれば、キャロルも悲しむかもしれないと考えたセレーナは、心を鬼にしてそう告げのだけれど、フィクスはあっけらかんとした態度で言い放った。
「生物学上じゃなくて、俺からすれば、セレーナはどこからどう見ても可愛い女の子だけど」
「!?」
言われ慣れない『可愛い』という言葉に、セレーナの心臓は外部の音が聞こえないくらいにドクドクと音を立てる。
「それにしても誤解。誤解ね──。一筋縄じゃいかないな」
続け様にフィクスはポツリと呟くが、もちろんその言葉はセレーナに届くことはなく──。
(このお方は、可愛いの意味を分かっていない! 分かってるんだとしたら絶対おちょくってる……! ……おそらく私の反応を見て楽しんでいる。けれどこれも、もう少しの話だけれど)
結婚し、騎士を辞めればこんなふうにフィクスに可愛いと言われることはおろか、簡単に会うことも無くなるのだ。
いい機会だから、主人の兄であるフィクスには自身の縁談の話を伝えておこうか。
そう考えたセレーナは、心臓の激しい鼓動が通常時と変わらない程度まで落ち着いてから、おもむろに口を開いた。
「私事ではありますが、実は昨日、縁談が決まりましたので、一応ご報告をさせていただきます」
「……は? 誰の婚約が決まったって?」
さすが兄妹。キャロルと一言一句違わずに、同じ反応をするフィクスに驚いたセレーナだったが、それは一瞬だった。
「……! 殿下、なにを──」
瞬く間に詰め寄ってくるフィクスに後退ると、セレーナの背中はひんやりとした壁に追い込まれた。
すぐさま左右にはフィクスのすらりとした腕が伸びてきて逃げ道を塞がれ、目の前にはこちらを射抜く碧い瞳が二つ。
セレーナは激しく動揺していたけれど、フィクスに「詳しく話して」と冷たい声で命じられてしまえば従うほかない。ポツポツと事の顛末を話せば、フィクスはそれを復唱した。
「──つまり、ウェリンドット家の令息と婚約して? 三ヶ月後には輿入れして騎士も辞めるって言ったの? ……セレーナ、俺の聞き間違いだよね?」
「……いえ、全て正確に伝わっております」
いつも飄々とした様子のフィクスの、どこか険しい様子がなんとも恐ろしい。
しかし、相手が相手なので蹴り飛ばすことも抜刀することもできず、少ない選択肢の中でセレーナは、顔を伏せることを選んだ。
「だめ、こっち向いて」
「……!」
しかしそれは、威圧感のある声で命じられたことにより、数秒で叶わなくなる。
命令とあらば、立場上セレーナは従わざるを得なかったからだ。
「本当にそいつと結婚するの? セレーナは騎士の仕事を誇りに思ってるんじゃなかった?」
「それはそうですが──私とて貴族の娘。いつまでも自由に生きられるわけではありませんので」
(私だって辞めたくないけれど、こればっかりは諦めるしかない)
フィクスは一瞬目を細めてから「そう」と冷たく言い放つ。それから距離を取ってくれたフィクスに、セレーナはホッと胸を撫で下ろした。
フィクスはセレーナから視線を反らし、腕組みをして考える素振りを見せた。
「このことキャロルは?」
「先程お伝えしました。大変驚いていらっしゃいましたが、最終的にはデビッド様に興味を持ってくださって、今度お茶会に招くと」
「……なるほど。キャロルはその手でいくつもりか」
「その手?」
話の意図が読めない。オウム返しをするセレーナに、フィクスは一度逸らした視線を再びセレーナに向けた。
「いや、こっちの話。……分かった。とりあえず今日のところは婚約おめでとうと言っておくよ」
「ありがとうございます」
(……祝ってくださっているのに、何故悪寒が……)
フィクスからは、キャロルのような禍々しいオーラは見えない。違いと言えば、いつもよりやや声の抑揚が少ないくらいだろうか。
だというのに、セレーナは何故か底しれぬざわつきを覚えた。
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