3
校舎の壁にへばりついて、蝉がミンミンと鳴いている。こんなところで鳴くなんて、日に焼けてすぐ死んでしまうだろ。そう突っ込みつつ、生物室へと向かう。
生物室は卒業生の寄付により、公立の割には充実したホルマリン漬けの瓶が並んでいるのが目に入る。
体育会系の部は外のプレハブを部室として使っているけれど、文化系の部は空いている教室やら特別授業室を使って部活をやるのだ。専用の部室があるのなんて、せいぜい演劇部や放送部くらいだ。
今日の授業が終わったところで入ると、既に先客がいた。
今日も黒板いっぱいになにかの数式を書き出して、それを眺めながら、なにやらを組み立てている。ステンレスらしい板に、なにかの回線。これが工業学校通っているようなやつだったらまだわかるんだろうけれど、普通の公立高校生の僕だったら、それがなにかはちっとも見当つかない。
小泉は今日も暢気に自分の趣味に集中していたのに、げんなりとする。
「こんちはー」
僕のそのひと言でも、小泉は手をやすめることはない。
天才だからなのか、そもそも小泉が空気読めない人間なのか、一度作業に没頭したら、ちょっとやそっとじゃ顔を上げることはしない。
「こ・ん・に・ち・は!」
そう大声を上げるのは、僕と同じく生物室に入ってきた池谷だけれど、小泉はそれでも無視する。
無茶苦茶黄色い声上げられているのにスルーできるなんて、イケメンすごいな。爆発すればいいのに。
僕はだんだんとイライラしてきたけれど、スルーされた池谷はどこ吹く風だ。そのスルースキルは少しだけ羨ましい。
池谷は小泉にハートを飛ばす視線を送りつつ、こちらに話を振ってきた。
「今日も小泉くん熱心だよね?」
「ああ、ああ……これが科学部じゃなくって天文部の活動じゃなかったらよっぽどな」
「うちに科学部なんてないじゃない」
池谷と不毛な会話を繰り広げている間に、ペンチでぷちんと回線を切る音が響いた。小泉はまたもワイヤーをステンレスの板に巻き付けているところで、生物室のドアが開いた。
うちの学校は部に必ず入らないといけない決まりはあるけれど、今いる僕たち以外だったら、残りは全員幽霊部員だ。文化祭前しか顔を出さない。
不審に思ってドアのほうを見たら、生物室にひょっこりと覗かせる頭のポニーテールがぷるんと揺れた。
「あの、天文部ってここですか?」
それに僕は喉が引きつった音を出したのを聞いた気がした。
何度こちらが挨拶しても顔を上げなかったというのに。ようやく小泉は顔を上げて、手元のそれをテーブルに置いた。
「そうだが。この季節に入部希望者か?」
「あ、はい……!」
入ってきたのは、案の定海鳴だった。
小泉を見た途端に顔を赤くさせるのに、僕は内心むっとする。
女は本当に男をイケメンとそれ以外でしか男を区別しない。
僕がムカムカした気持ちを飲み下しつつ、適当な席に座って頬杖をついている間に、池谷はひょこひょこと海鳴の傍へとやってきた。
「あれ、海鳴さん天文部に入りたいの? あ、同じクラスの池谷
「星とか、好きだから……あ、顔はすぐわかったよ。顔を覚えるのは得意なんだ」
「あはっ! ありがとう。うん、私も星大好き!」
いや、池谷が好きなのはそこのイケメンだろ。小泉っていう名前の変人だけれど。
僕は内心で毒を吐きつつ、ふたりとジト目で見ていたら、女子同士で話を弾ませていた海鳴がこっちに視線を寄こしてきた。
「で、あっちは」
なんだよ。殺す人間の顔は覚えておく主義なのかよ。せり上がってくるムカムカしたものを、どうにか喉で抑え込みながら、僕は頬杖をついたままそっちを睨んでやった。
池谷は僕の不機嫌さを無視して、さっさと紹介をはじめる。
「同じクラスの入江満くんね。彼ちょっとすぐにキレるけど、いい奴だから許してやってね」
すぐキレるのはいい奴なのか。僕がそう毒吐いている間もなく、「それでぇ」と池谷は今度は黄色い声を上げながら、小泉のほうを見る。
「あっちは部長の小泉
「あいにく数学コンテストは一位にならなかったらあまり意味がないがな。それで、君は入江くんと池谷くんと同じクラスだと言っていたな?」
「あ、はい」
小泉に話しかけられた途端、海鳴は頬を赤くさせて、背中をピンとさせる。
……なんなんだよ、本当に女子ってやつは。
僕はますますムカムカするが、小泉はいつものポーカーフェイスであっさりと言う。
「うちは星の研究を行っているが、それに興味が?」
「あ……星に詳しいってわけじゃないんですけど、見るのが好きなんですよ。それじゃ、駄目ですか?」
「別に悪くはない。ただ、お盆に入ったら合宿が入っていてな。途中入部だった場合はなかなか厳しいものがあるんだが」
おっ。僕は小泉が珍しくまっとうなことを言っているのに感動する。
そうだ、それが原因で入れないんだと追い出してくれないかな。これで少なくとも部活中に命の危険があることはない。僕はそう祈りを込めて小泉をガン見していたら、海鳴はピンの背筋を伸ばして続ける。
「お金はいくら支払えばいいですか?」
そういう問題じゃねえだろ。内心僕は毒を吐く。
一方、小泉は特に顔色を変えることもなく対応を続けている。このまま追い出してくれればいいのにと思うけれど、残念ながら変人の小泉は、海鳴のとんちきな言動に対して突っ込んだりも、注意したりすることもしない。
「……たしかに払えば追加はできるとは思うが、いきなりそれを言われても宿も困るだろう」
「部の邪魔はしません。わたし、星が大好きなんで」
そう言ってグイグイと迫る様に、僕はますますげんなりとする。
一方小泉は「ふむ……」と顎をしゃくると「ちょっと職員室で顧問に掛け合ってみる。入部届をくれないか。それで話をしてみる」と言って生物室を出て行った。
……マジかよ。僕はそれに目を半眼にする。
小泉の性格上、きっと海鳴のむっちりとした体型が気に入ったとかではないだろう。星好きっていう嘘か本当かわからないことを言い出したから、興味を持ったってところだ。
池谷は早速海鳴と仲良く話を再開しはじめた。
女子ってどうなってるんだろう。仲が死ぬほど悪いか距離感近過ぎるってくらいすぐ仲良くしてるかのどっちかだ。
「よかったね、小泉くんだったらきっと交渉成功してくれるよ!」
「うん。よかったあ……あ、そういえばあれってなに? 星は全然関係ないと思うんだけど」
そう言いながら海鳴が指を差した先。小泉が熱心に組み立てていた鉄板だ。それにきゃらきゃらと池谷が笑う。
「なんでもねえ、タイムマシンなんだって。前々から小泉くんは未来予知とか平行世界のか……んしょう?」
「時間観測だって」
僕がぼそりと補足を足すと、池谷はにこにこしながら手をポンと叩く。
「そう! 時間観測! するためにタイムマシンつくってるんだよねえ」
「ふうん……」
だいたいその説明をすると、小泉の変人さにドン引きして女子は顔を引きつらせるんだが、海鳴はマジマジとそれを見ているだけだった。
ここでだったら猫を被るのか。苛立ちが加速していくのは、窓から入り込んでくる日差しで熱が体中を回っているせいだ。茹るような暑さが抜けないせいだ。僕はそう思い込むことにした。
うちの部なんて、天文部のクセして部長も含めて星自体に興味のある人間なんてほとんどいない。
一応星座表だって部の備品として持っているし、プラネタリウムだって持っているけれど、どの星がどんな名前か、星と星を繋げたらいったいどんな星座になるのか、正確に答えられる人間なんてほとんどいない。
だから部活で集まったとしても、だらだらとペットボトルのジュースやお茶を飲みながら世間話をして、ときどき小泉のつくる妙ちくりんなものを眺めているくらいだっていうのに。
生物室には、模型や大量のホルマリン漬けの他に、天文部が所有している星座表が貼っている。大分前の先輩が文化祭用にまとめたものだから、少し端っこが丸まって寄ってしまっている。
海鳴は「あーっ!」と明るい声を上げながら、星座表を眺めて指を差す。
「すごい、この辺りって南のリース見られるんだ! わたしの前住んでたとこだったら、よく見えなかったんだあ!」
星座表には、一応文化祭で説明しないといけないからと、この辺りで見られる星座は春夏秋冬まとめている。でもこれらは大分前の先輩たちがまとめたものをそのまま流用しているだけで、僕たちは確認すらしていない。
海鳴の言葉に池谷は声を上げる。
「南のリースって?」
「ああ、名前だけ知ってても、逸話とかってあんまり知られてないよね。星座の名前なんだけれどね」
いや、そもそもそんな名前の星座をはじめて認識した。僕たちは文化祭への催し物への意欲が本気でないんだなと、今更実感したところだ。
池谷の無知を気にする素振りも見せずに、海鳴は明るく歌うように教えてくれた。
「他のメジャーな星座みたいに、神話や逸話はないんだよ。ただ花のリースを束ねたように見えるから、花束、リースに見立てて名前が付いただけで。他にも南の冠座って名前もあるけど、わたしはこっちのほうが好きだなあ」
そのつらつらと楽し気に並べる言葉に、僕は虚を突かれた。
……てっきり、僕を殺すための方便として、こんなしょうもない部に入ったんだとばかり思っていたのに。海鳴は本気で星が好きなんじゃないか?
僕の思惑はともかく、池谷は目をきらきらとさせて話を聞いている。
「すっごい! 海鳴さん詳しいね! もうちょっとメジャーな夏の大三角形とかだったら知ってたけど、南のリースは知らなかったなあ」
「うん、そこまで有名じゃないし。前住んでたところからだったらはっきりとは見えなかったんだ。天体観測したら、見られるかなあ?」
「多分見られると思うよ? 一応大分前の先輩たちが、この辺りで見られる星座でつくった星座表のはずだから。あ、小泉くんお帰りなさい!」
そうこう話をしている間に、小泉が帰ってきた。小泉はちらっと海鳴を見ると頷く。
「顧問が許可を降ろしてくれた。ようこそ海鳴くん、天文部へ。合宿への参加も了承済みだ」
途端に海鳴と池谷が弾けるような笑い声を上げて、抱き合いはじめた。……女子ってまじでどうなってんだよ、出会ってそうそう抱き合って喜び合うって。
ずっと夢に出てきて、僕を殺し続けていたっていうのに、こんなのを見せられたら拍子抜けてしまった。その様はどこからどう見ても、普通の女子そのもので、間違っても他人をダガーナイフを振り回して追いかける女子にも、ましてや殺そうとする女子には思えない。
海鳴は案外怖くないのかもしれない。
そう、思いたいけれど。でも僕はあのときの表情が頭の隅から消えてくれなかった。今池谷と笑い合っている顔は、まさしく普通の女の子、だ。
でも……教室で見せた、海鳴のあの顔。
あの僕を見ていたときの能面みたいに無表情な顔は、いったいどこから来たのか、なんの説明もできやしない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます