それはいつかの、誰かの夢

 昨日までは晴れていたはずなのに、今日は生憎の雨だった。


「それでは、花嫁様。こちら置いておきますので、今日はお部屋でお過ごしください」

「うん。ありがとう」


 図書室から本を運んだルゥを、ヴィクトリアは見送った。


「よいしょっと。いろいろ借りてきたし、今日は一日これを読むとしよう」


 積み上げられた本を手にソファに座る。

 『花嫁』という立場を利用するのは正直心苦しいが、これも全てセレネとデュアルソレイユの平和のためだ。


(ヴァージルさんの金色の瞳のこととかも、やっぱり気になるし)


 『吸血鬼の花嫁』

 『月と太陽』

 『血の克服とその配合』

 『血の系譜』

 ……などなど。


 題名タイトルがいささか不穏なものも混じっている気もするが、気にしないこととする。

 ヴィクトリアは、早速本を読むことにした。

 本には、このようなことが書かれていた。


【吸血鬼の一族は、月の世界セレネで、『夜の王』と呼ばれていた。吸血鬼の一族は『花嫁』を選び、その血を飲むことで能力を強化することができた。】


 この話は、ヴィクトリアも知っているものだった。


【夜光歴二十二年。ルチア・グレイスは、『五家』のうち四家の庇護を受け『魔王』として即位した。蜘蛛族『グレイル家』・龍族『ロン家』・金色狼族『アンフィニ家』・黒烏こくう族『レイヴン家』をはじめとした力ある一族は、王配として彼女を支えた。】


 『夜光歴』――現在もセレネの歴史は、ルチア・グレイスの誕生から数えられる。

 リラ・ノアールにも残る記録によれば、ルチア・グレイスには四人の夫がいたとされる。


 当時、魔界セレネには、五人の大きな力を持つ種族とその当主が居り、吸血鬼の一族にコウモリ族が従属するように、強い力を持たない魔族の多くは、彼らに忠誠を誓う代わりに、庇護を受ける関係にあった。


 広いセレネの中で彼らは別々に暮しており、それぞれの『当主』たちは、『中立』・『友好』、もしくは『敵対』の関係にあった。


 そんな彼らをまとめ上げ、中心にいたのが『ルチア・グレイス』だったとされる。

 彼女は吸血鬼の一族を除く四人の当主たちの求婚を受け、全ての当主を平等にあつかうことを約束した上で、セレネの魔王となった。


 ルチア・グレイスは、当時のセレネにおいて唯一『同種』を持たない存在であり、『彼女の血を引く者がセレネを統べる』とまで言われていたとされていたため、彼女の即位と結婚は、セレネを混乱させないための処置でもあった。


【『五家』のうち、吸血鬼族『ヴァレンタイン家』のみが、ルチア・グレイスとの婚姻を結ばなかった。当時、ヴァレンタイン家の当主はすでに『花嫁』を迎えており、また種族の中で反対の意見も多かったためだ。これによりセレネは、二つに分断された。そして彼女の血を引く子どもたちは、『フォン』の名を名乗り、四家の力はより強固なものとなった。】


 カーライル・フォン・グレイル。

 ルーファス・フォン・アンフィニ。

 二人が今セレネでも強い力を持っているのは、その影響だともいえる。


【古来、セレネには月しか存在せず、世界はぼんやりと明るいだけだった。ルチア・グレイスが即位した当時、月の世界セレネでは、魔素中毒による死亡者が増えていた。この状況を憂いた初代魔王ルチア・グレイスは、己の命をかけて、月の世界セレネに、仮初の太陽が誕生させた。】


 本には、穏やかな表情をした美しい女性が、『太陽』を掲げる絵が描かれていた。


【しかしその魔法によって、ルチア・グレイスは斃れた。そして、彼女の血を継ぐ者のうち、家系魔法を引きつかず、ルチア・グレイスと同じ固有の魔法を持った唯一の姫が、次のセレネの王となった。】


 挿絵には、まだ大人に抱かれた赤子を前に、三人の少年が頭を垂れる姿あった。


【セレネに浮かんだ『太陽ソレイユ』により、魔素によって亡くなる魔族は減り、多様性の時代が訪れた。だが同時に、この太陽ソレイユにより、吸血鬼族は『夜の王』という地位を奪われた。初代魔王ルチア・グレイスによりこの世界にもたらされた光は、光を弱点とする吸血鬼の一族を弱体化へと導いた。吸血鬼族当主、ヴァージル・ド・ラ・ヴァレンタインは、光属性に対する耐性をつけるために、『花嫁』を他種族から求めることを奨励し、また、過去の行いにより他種族からの攻撃を防ぐため、ルチア・グレイスの娘である新魔王に恭順の意を示した。】


 つまり吸血鬼の一族は、 『夜の王』と呼ばれた誇りによってルチアを拒絶し、その後彼女の魔法によって、セレネでの地位を更に落としたことになる。


【当初、ヴァージル・ド・ラ・ヴァレンタインの考えに反発する者も居たが、彼の実験は功を為し、吸血鬼族は、ルチア・グレイスが生み出した『太陽』の下でも外を出歩くことのできる能力を獲得した。彼らはこれまでの吸血鬼族とは異なり、一人きりの『花嫁』からだけ血を吸うことができ、複数の相手を自身を強化するための『贄』とする事ができた。】


 ヴィクトリアはこの記述を見て頷いた。


 『今の吸血鬼』は、『花嫁』を必要としない――自分の記憶は、やはり正しかったらしい。

 ヴィンセント時代、吸血鬼の一族が、伴侶を『花嫁』と表現していた記憶は無い。彼らは血を吸う相手のことを、『贄』、もしくは『妻』としか言っていなかったはずだ。


(それはたぶん、彼らにとって『花嫁』が特別な意味を持っていたから)


 実際、借りてきた本をいくつか読んで分かった。

 どの本においても、『吸血鬼の花嫁』は金色狼が『つがい』に見せる執着のように、強い愛情を持ったことが描かれていた。


【それは吸血鬼族にとって『血と光の克服』であると同時に、崩壊の始まりでもあった。同族以外から『贄』を迎えるようになった吸血鬼族の力は徐々に衰え、黒髪や銀の髪、金色の瞳といった強い力を持った吸血鬼の数は減り、やがて『灰色の子どもたち』が生まれるようになった。】


 ヴィクトリアは、ダン・モルガンの姿を思いだした。


(彼の髪は、確か灰色だった気がする)


【やがて、セレネに『太陽』が誕生する前、吸血鬼族の中で劣るとされていた灰色が、逆に最も強い者の色となった。かつて『夜の王』とまで呼ばれた吸血鬼族の力は、ルチア・グレイスの血を引くフォンの名を継ぐ者たちには、遠く及ばなくなっていた。】


 ある意味、最も力を持ち横暴だった一族が衰退したことで、セレネには平穏が訪れたとも言える。

 だが、かつて権力を誇っていた種族が、その現状に満足するはずはない。


【長い時を経て、事態を重く見た吸血鬼族は、再び同族の中での婚姻を繰り返すようになった。力を持つ者が当主となり、当主は多くの妻を迎える。特に強い力を持つ者同士の結婚を繰り返すことで、かつて栄華を誇っていた時代の始祖を、この世界に再び誕生させるために。そうして我らはついに得た。艷やかな黒い髪。生まれながらにしてこの世の王となるべき子を!】


 本に書かれた筆跡は、その部分だけ、まるで興奮を抑えられないとでも言うように乱れていた。

 ヴィクトリアは嫌な予感がした。


【我らはその子に、尊き始祖の名を与えることにした。黒髪に金の瞳。空を覆うほどの黒い大翼を持った、魔王ルチア・グレイスより、遥かに古い歴史を持つ『夜の王』の名を。】


 その名前は――。


「……」


 続きを読むのが怖くなったヴィクトリアは、立ち上がった表紙に机にぶつかり、積み上げていた本の一冊を床に落とした。

 その拍子に本が開いて、ヴィクトリアは予想していなかった現象に声を上げた。


「わっ!?」


 本から木が生え、天井に向かいどんどん伸びていく。


「これは……系統樹けいとうじゅ?」


 ヴィクトリアは目を瞬かせて木を見上げた。

 枝分かれした木には、沢山の名前が書かれていた。


 そこにはヴァージル、ダン、そしてルイーズの名前もあった。


 先代の五人の妻は、多くの子どもを産んでいた。

 ダンは、先代当主にできた最初の子ども。それから生まれた子どもたちは、能力が低かったのか、すでに亡くなっているようだった。名前は、生きていそうな者の名前のみ光っていた。


(魔族の寿命は、基本その能力に依存するから――。きっと彼らは、黒でも、銀でも、灰色でもなかったんだろう)


 名前の下には、おそらく生まれた年であろう夜行歴が書かれていた。

 ダンは、ヴァージルより十年ほど早く生まれていた。ヴァージルが生まれてから十年後、生まれたのがルイーズ。


 このことを考えると、吸血鬼族は、まずダンを当主に据えようとしたはずだ。だがその後、『先祖返り』のヴァージルが生まれたとしたら、その瞬間ダンの当主就任の話は、たちきえたに違いない。そして、その後生まれた妹は、銀色を持って生まれ、ヴァージルの許婚になったとすると――……。


(捻くれるのも仕方ない、のかな)


 勿論、限度はあるとはヴィクトリアも思う。ただヴィクトリアは、少しだけダンを不憫に思った。


(……あれ? でも待って。じゃあルイーズさんは、ヴァージルさんの異母妹ってこと?)


 当主となる者のみがヴァレンタインの名を名乗り、その他の当主の子は母方の姓を名乗る。どうやらそういう仕組みらしいが――。

 いくらなんでも、それは血が近すぎるのではないかとヴィクトリアは思った。

 天井に伸びた系統樹は、やがて最後にきらきらと光り輝く粒子をちらしながら、その姿を消した。


(驚いた。……けど、とても綺麗だった)


 初めて見る魔法だったが、一体誰の魔法だろうか。ヴィクトリアが気になって本の奥付のページを開くと、そこには妙な文字が書かれていた。


「『ーーーーーーーから、ヴァージル・ド・ラ・ヴァレンタイン』へ?」

 

 前半の箇所は、何故か黒く塗りつぶされていた。


(血の系譜って、大事なものだと思うのに、一体誰の仕業だろう?)


 本を愛するヴィクトリアとしても、見逃せない行いだ。

 本を手に、ヴィクトリアが少し腹を立てていると、髪飾りから断続的な声が聞こえてきた。


『ヴィク……トリア、様』


 ざざ、ざざ。

 髪飾りから聞こえる声は、今日は少し乱れていた。


「ルーファス?」


『は……い』


「ごめんなさい。少し、音が悪いみたい。雨が降っているせいかも。悪いけど、そのまま話してくれる?」


『そう……です……か』


 ヴィクトリアがそう言うと、長い沈黙の後、ルーファスの低い声が聞こえた。


『…………申し訳、ございませんでした』


「え?」


『あんなことを、言ってしまって……』


(もしかして、反省してる?)


 クゥン、と、今にも悲しそうな鳴き声が聞こえてきそうな声だった。


『陛下が、他の誰を思われても構いません。だから、どうかこれからも、私をおそばにおいてください。私のことを、お捨てにならないでください』


(なんだか捨てられた犬みたいな言い方だ……)


 そんな声で言われたら、こちらがまるで悪人になったような気持ちになる。ヴィクトリアは、はあと短く息を吐いた。


「捨てないよ。私はルーファスのこと、大事に思ってるし。そうじゃなきゃ、命がけで貴方を守ろうとはしない」


 そもそも『ヴィンセント』の力を再び使ったのは、ルーファスのためだった。

 

「それに、『捨てる』だなんて、そんな言葉使わないで。ルーファスから言われると、私、悲しくなるよ」


『はい。……はい。陛下』


 ルーファスは、噛みしめるようにゆっくり頷いた。


『陛下』

「うん」


 それから少しだけ明るい声で、ルーファスはヴィクトリアを呼んだ。


『ずっと……お慕いしております』

「……うん?」


 プチッ。


「あれ? 切れた」


 回線が切れたような音がして、ヴィクトリアは少しの間呆然とした。


(……ルーファスに甘い言葉を囁かれるのは大分慣れたつもりだったけど、でも、あんな声でいわれると……)


 時間差で、じわじわと恥ずかしくなってくる。


「ルーファス、これを言うためだけに連絡してきたのかな……?」


 調査に対する報告ではないただの秘密の連絡は、まるで恋人同士の密会にも似ていた。


(昨日のこともあって少し疲れたし、ちょっとだけ横になろう……)


 ヴィクトリアは本を机に戻すと、ソファに横になって目を閉じた。



◇◆◇



『ヴィンセント。ヴィンセント、眠っているの? 敵がうろちょろしてるこんな場所で、安心して眠るなんて、君は相変わらず不用心だな』


 うとうととヴィクトリアがまどろみの中にいると、誰かの声が聞こえてヴィクトリアはぼんやりと覚醒した。


(誰かの、声がする?)


 誰かの手が、自分の頭に触れる。その感覚は確かにあるのに、ヴィクトリアは体を動かすことが出来なかった。


(もしかしてこれが噂に聞く『金縛り』ってやつ?)


『ああ。そう。君は、彼のことが知りたいんだね』


 声の主は、楽しそうに笑う。


(なんて、リアルな夢。……まるで本当に、誰かがそばにいるみたい)


 ヴィクトリアの髪を優しく手で梳いていた手は、瞼を押し上げようとしたヴィクトリアの唇に、ちょん、と軽く触れた。


『目を開けたら駄目。これは夢だから。それに目が覚めたら君は、全て忘れる』


(わす、れる……?)


 ぼんやりとした意識の中で、ヴィクトリアはその言葉を繰り返した。


『でも、そうだね。君が願うなら、君には特別に見せてあげよう。――彼らの、記憶の欠片を』


 『声』が、そう告げた瞬間。

 ヴィクトリアはまるで、自分の体がぐっと小さく箱の中に押し込まれるような感覚に襲われた。

 

 そしてその感覚の後に、彼女は、やけにリアルな光景を目にした。

 今にも雨が降りそうな、土の匂いがした。

 ヴィクトリアが瞼を押し上げると、そこには見覚えのある、しかしどこか今とは違う風景が広がっていた。


 魔王城リラ・ノアール。

 その庭に『ヴィンセント』が植えた木の前で、二人の男が言い争っていた。


『どうしてあの方を守らなかった。お前なら、わかっていはずだ。あの方が、どういうお方だったのか!』


 『ヴィンセント』が命を落とした頃――今よりまだ幼い顔をしたルーファスを、『誰か』が胸ぐらを掴んで叫ぶ。

 長い黒髪を乱して、『彼』は声を荒げていた。


『あの方は、あの方は……っ!』

『――ふざけるな』


 だがその『彼』の手を強い力で振り払ったルーファスは、ぎっと相手を憎しみの籠もった瞳で睨み付けた。

 

『そばにいることすらしなかったお前に、なにがわかる。……お前だって、わかっていたはずだ。お前は、俺と同じなんだから!』


 『彼』に――ヴァージルに向かって、ルーファスは言った。


『先祖返りのお前なら分かったはずだ。陛下の魂の形を知りながら、何故あの方の元を離れた!? なぜあの方の、お力になろうとしなかった?』


 今の吸血鬼族は、『花嫁』を必要としなくなり、光を恐れることはない。

 だから遠い昔の、力を持っていた頃の吸血鬼たちが、どのようにして『花嫁』を選んでいたかをヴィクトリアは知らない。

 吸血鬼の一族は、ルチア・グレイスの手を取らなかったから。


『俺を批判できるほど、お前があの方のために何をした!? ……何も。何もしなかったくせに。そんなお前に、俺達の気持ちのなにがわかる』


 ルーファスのその姿は、ヴィクトリアを前にしたいつもの彼とは、あまりにも様子が異なっていた。


『先祖返りであるお前が、もっと早く花嫁を選んでさえいれば、あの方を守れたかもしれないのに』


『しかし私は――たった一人しか選べない』


 ヴァージルの返答を聞いて、ルーファスは一瞬ピタリと動きを止めると、ハッと馬鹿にするように息を吐いた。


『それが……お前が人生を共にする相手こそがあのお方だと? ……ふざけるな。ふざけるな!』


 拳を握るルーファスの手は、自分の爪が食い込んで、地面には血が垂れていた。


 ルーファスはヴァージルを殴ろうと手を上げたが、少しも避けようとしない彼に気付くと、動きを止めて振り上げた腕をおろした。


『お前の顔なんて、二度と見たくない。……二度と、俺の前に姿を表すな』


 ルーファスはそう言うと、ヴァージルに背を向けて去って行った。


『貴方が、こんなことを命じられるはずがない』


 一人残されたヴァージルは、ずっとその場所を動かなかった。


 やがて雨が降ってきて、彼の体を冷たく濡らした。

 地面に落ちた血は、時を経て雨に流される。一人それを見下ろしていた彼は、雨雲に隠れた月を見上げるかのように、彼は空を見上げ、消え入りそうな声で呟いた。


『……貴方は。貴方なら…………』

 

 彼の頬を伝う雫が雨なのかそれ以外なのかは、ヴィクトリアにはわからない。


(――頭が、痛い)


 ヴィクトリアは頭痛がした。

 頭の中がはっきりしない。ヴィクトリアが痛みに目を細めると、ヴァージルの姿は、まるで雨の中硝子越しにみる景色のように、徐々に遠く薄れていった。


 ――パキン。


 その時、何かが、頭の中に覆いかぶさっていた薄い膜が割れるような感覚があって、ヴィクトリアはそれから、何故かずっと忘れていたことを思い出した。


『どうして、こんなところに一人でいる? 他の者たちに混ざらないのか?』


 魔王『ヴィンセント・グレイス』は、リラ・ノアールの庭で一人蹲る少年に声をかけた。


『……私は、彼らとは違います』


 黒髪の少年は、震える声で言った。


『私は……私の体には、ルチア様の血は流れていない』


 『ヴィンセント』に背を向けたまま、子どもはぎゅっと自分の体を抱きしめて言った。


『一族の悲願、なんて。そんなことのために、どうして私の人生を、勝手に決められなくてはならないんだ。……何故。どうして。どうして私だったんだ…!』


『涙を拭きなさい。目が腫れる。……何があった?』


『……父に、許嫁を決めたと言われました』

『許嫁? それは――』


 おめでとう、と告げようとしたヴィンセントの服の袖を、震える小さな手が掴む。


『……ヴィンセント、様』


 縋るような、涙混じりの声だった。

 

『お願いします。――……貴方が私の、花嫁になってください!』


 カーライルはかつて、ヴィクトリアのために子供を城に集めた。

 大人たちとは違い、まだ悪意に染まっていないであろう子ども達を。


 そしてそれは、『ヴィンセント』のときも同じように。


 ルーファスは城に集めた。

 『ヴィンセント』に敵意を持たぬ者たちを――初代魔王ルチア・グレイスの血を引く者と、彼女の娘に忠誠を誓ったかつてのこの世界の『夜の王』の子を。


 『先祖返り』であり、吸血鬼の一族の『最高傑作』。

 それは一種の監視であり、人質でもあった。

 だが、その子どもは。その子どもがこの世界に生まれて、初めて心を動かされたのは――……。


(頭が痛い。……何で私、今まで忘れてたんだろう)


 棘の抜かれた一輪の白い薔薇を差し出す少年。

 

 『ヴィンセント』に花を渡そうとしたのは、ルーファスではなかった。

 あの日々の中、忘れようとした記憶の中で、自分を見上げた子どもはもう一人居た。


 魔王『ヴィンセント』は男として生きていた。  

 当時の魔王の一族と吸血鬼の一族とはいわば『停戦状態』――友好的な関係とは言えなかった。


 だからその子どもの涙ながらの申し出を、『ヴィンセント』は断った。

 そしてその日引かれた一線は、やがて魔王が勇者に殺される日まで、その後の二人の距離となった。


 ヴィクトリアは、かつて少年だった彼の名を呟いた。



「……『ヴァージル・ド・ラ・ヴァレンタイン』」

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