番外編:分岐小説 夢の通い路 ルーファス編

「ううん? ここは……」


 ふわふわのクッションとぬいぐるみが山のように置いてある。

 とても自分が選ばないようなファンシーな部屋で目を覚ましたヴィクトリアは、部屋の中で遊ぶたくさんの子どもたちを見て、更に事態が飲み込めず目を丸くした。


(ここは一体どこだろう? 自分はリラ・ノアールの自室で眠ったはずなのに――)


 再び魔王としてセレネで生きていくなら、その座を狙う多くの魔族に命を狙われていることをヴィクトリアは理解していた。

 だから自分がさらわれることはある意味想定の範囲内だったが、牢に繋がれてなぶり殺されるならまだしも、誘拐されたあとに、こんな待遇を受けるなんて予想していなかった。


 (子どもたちは可愛いし、こんなの、拷問というよりご褒美なのでは……?)


 ヴィクトリアは、顔が緩みそうになって顔をぶんぶん横に振った。


 違う。こんな異常事態に、和んでいる場合ではない。

 これがもし自分に対する罠だとすれば、これから自分は、こんなに可愛い子どもたちを盾に脅されるかもしれないのだ。

 

 ヴィクトリアは通俗小説で、子どもを盾に脅される主人公を思い出した。


『この子たちに痛い思いさせたくなかったら、ここで首を切るんだなあ!』

『うわああん。お姉ちゃん助けて!』

『なんて卑劣な! それが人間のやることか!』

『はっ。俺たちは人間じゃなくて魔族なんだよなあ!』


 確か、悪役の台詞は概ねそんな感じだった気がする。

 ヴィクトリアはうんと頷いてから、静かに眼を細めた。


 そんな極悪非道、許していい訳がない。

 ヴィクトリアは心の中で、何があっても子どもたちを守り抜くことを誓った。

 ただ冷静になって考えると、レイモンドたちの監視の目をくぐり抜け、眠っていた自分をここまで連れてこれたのなら、その間に殺すことなんて簡単だったのではとも彼女は思った。


(――本当に、ここはいったいどこなんだろう?)


 そう、ヴィクトリアが首を傾げていると。


「ママ!」


 子どものうちの一人が、元気よくヴィクトリアに抱きついて、絵本を手渡してきた。


「あのね、ぼく、このご本読んでほしいの!」


(……え?)


 ヴィクトリアは、目を丸くした。


「えっと、ママに……私に本を読んでほしいの?」

「うん。これが『じゅんあい』なんだって、パパがそう言ってたの!」


 子どもが手にしていたのは、金色狼に伝わるあの血なまぐさいお話の絵本だった。


(純愛……?)


 ヴィクトリアは頭痛がした。

 生まれ変わって、新しい人生を歩もうとしていた花嫁を攫って自分のものにするのが純愛だって?

 ここは大人として、子どもたちに正しい倫理観を教えねばならない。

 ヴィクトリアは子どもにそう告げようとして――子どものある言葉に気付いてピタリと動きを止めた。


「え? パパ?」


 金色狼の逸話を元にした絵本。子どもたちは冷静になってよく見てみると、尻尾や耳がはえている子もいた。


(待って。私がママで、子どもたちが金色狼の血を引いているなら、彼らのいう『パパ』ってまさか……)


 頭の中がぐるぐるする。

 ヴィクトリアが一人頭を抱えて混乱していると、そんな彼女に気付いて、子どもたちが不安そうな顔をして集まってきた。


「……ママ、どうしたの?」

「ママ、体調、わるい?」

「ママ、ここのおふとんの上で眠っていいよ。ふかふかなの」


 子どもたちの気遣いは、自分に尽くしてくれるとある青年とよく似ていた。

 

(こ、これは夢。夢なんだから……!)


 ヴィクトリアは頭痛がした。

 夢だとしても、子どもの数が多すぎる。しかも、子どもたちの年齢は、そう変わらないようにヴィクトリアには見えた。


「なんだろう。こういうのを、犬に噛まれるって言うのかな……」


 ヴィクトリアは考えることを放棄した。笑えない冗談だ。

 

(そうよ。これは夢! だって、天使みたいに可愛いはずのルーファスが、そんな野獣なはずないもの!)


 確かに久々にあったときは話も聞かず無理矢理城に連れて行こうとしたり、狼の姿のときにじゃれつかれたことはあるけれど、いつも礼儀正しく気遣い屋のルーファスを思い出して、ヴィクトリアは頷いた。


(そうよ。ルーファスは、カーライルと違って優しくていい子なんだから……)

 

「ヴィクトリア様」


 ヴィクトリアが一人悶々としていると、扉が開いてルーファスが入ってきた。

 ヴィクトリアは名前を呼ばれて、びくっと体を震わせた。


 穏やかな笑みを浮かべる彼はいつもと変わらないはずなのに、彼が『自分との間にたくさんの子どものいる夫』だと思うと、ヴィクトリアは逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。


「パパ!」

「パパ! おかえりなさい!」 


 子どもたちは笑顔を浮かべ、ルーファスのもとに駆けよっていく。

 ルーファスは子どもたちに優しく声をかけて頭を撫でてやると、座ったまま、じっとその光景をみていたヴィクトリアの前にやってきて跪いた。


「ただいま帰りました」

 ルーファスはそう言うと、まるでこの世界で最も尊いものに触れるかのようにヴィクトリアの足を持ち上げて、その甲に口付けた。


「わあああああっ!?」


 予想していなかったルーファスの行動に驚いたヴィクトリアは、思わず叫んで、勢いよく足を自分の体へと引き寄せた。

 本気モード(?)のルーファスを前に、ヴィクトリアの心臓は破裂してしまいそうだった。


(――な、なんなの!? これはなんなの!? 私の可愛い天使はどこに?)


 前世の自分に花を差し出した、幼い頃のルーファスを思い出して、ヴィクトリアは悶絶した。


(確かにあれから五〇〇年くらい経ってるけど! 時の流れが残酷すぎる!)


 しかし、『夢の中のヴィクトリアとルーファス』にとって、その光景は普通のことだったのかもしれない。

 パパ(仮)から距離をとったママ(仮)を見て、こんなことを尋ねた。


「ママ、どうしたの? パパと喧嘩でもしたの?」


(逃げたい。全力でこの場から逃げたい!)


 ヴィクトリアはそう思って退路を探したが、子どもたちが『いつもとは違う』『不仲そうな』両親を見て、不安そうに目を潤ませていることに気付いて、彼女は動きを止めた。


 今のルーファスからは全力で逃げたいが、子どもに泣かれるのは良心が痛む。

 どうしようかと悩んでいたら、背後からそっとルーファスに抱きしめられて、ヴィクトリアははっとした。 


「……ヴィクトリア」


 いつもとは違う、対等な相手に対する声。

 そんな声音で名前を呼ばれて、ヴィクトリアはドキリとした。


「子どもたちが心配しています。だから、どうか私を避けないでください」


 腕にこめられた力は弱い。

 ここは夢の中だ。だがいくら記憶がないとはいえ、子どもの話をされると、ヴィクトリアはその手を振り払えなかった。


「パパとママ、仲良し?」

「とても仲良しだよ。ママもぎゅうっとされて嬉しそうだろう?」

「ママ、ぎゅう、嬉しい?」

「……ママ、ぎゅう好き……?」


 子どもの期待の目に抗うことができない。ヴィクトリアは、精一杯の同意としてこくりと頷いた。


「じゃあ、僕もママにぎゅう、する!」

「私も!」


 ヴィクトリアの言葉に安心したらしい子どもたちは、私も僕もと、ヴィクトリアに抱きついてくる。

 ヴィクトリアは子どもを産んだ記憶は全くなかったが、子どもたちに囲まれるのはなんだか幸せだなと思ってしまった。

 金色狼の子だけあって、モフモフのしっぽや耳をもつ子どもたちは可愛いし、これはちょっとありかもしれない。


「子ども体温あったかい……」


 あったかくて、なんだか眠くなってきた。


 ヴィクトリアがそんなことを考えて表情を和らげると、自分を抱きしめるルーファス腕の力が、少しだけ強くなったことにヴィクトリアは気がついた。


「……あ、あの、ルーファス?」


 どうしたんだろうと思って名前を呼べば、更にルーファスの腕の力が強くなった。これでは腕の中から抜け出せない。

 ヴィクトリアがどうしたものかと困っていると、ルーファスがヴィクトリアに群がっていた子どもたちに言った。


「みんな、今日はもう寝なさい」

「はあい」


 子どもたちは聞き分けが良かった。

 ヴィクトリアから子どもたちは離れると、おのおのぬいぐるみや毛布を引きずりながら、子供部屋がある(たぶん)ほうに向かっていく。

 一人また一人――部屋の子どもの数が減っていくのを眺めながら、ヴィクトリアは鼓動が速くなるのを感じていた。

 今ルーファスと二人っきりになるのはいろいろとまずい気がする――ヴィクトリアの中の危機管理能力が、全力でそう訴えていた。

 だが、どんなにあがこうとも腕の中から抜け出せない。

 ついに最後の一人になったとき、その子どもは扉の前で立ち止まると、振り返ってから二人にたずねた。


「パパたちはまだ寝ないの?」


 寝ます。全力で貴方たちと寝ます。

 ヴィクトリアはそう言いたかったが、腕の力を緩められたかと思うと、ルーファスに唇に人差し指を押し当てられて、何もしゃべることが出来なかった。


「パパたちは――……」


 ルーファスはそういってヴィクトリアを見つめると、いたずらっ子のこどものような、それでいて艶のある、甘い笑みを浮かべた。


「これから大人の時間だから」

 


「わああああああああああ!!」


 その瞬間、ヴィクトリアは跳ね起きた。


「な、何今の!? し、心臓に悪い……!」


 実に心臓に悪い夢だった、と思う。

 ヴィクトリアは、ばくばくと音を立てる胸に手を当てた。

 『貴方だけを愛しています』そんな笑顔を向けられて、心臓が破裂するんじゃないかと思ったが、どうやらまだ破裂はしていないようだと安堵する。

 どうやらドキドキしすぎての死は免れたらしい。


「全然眠れない……」


 ヴィクトリアは、深く息を吐いた。それからもう一度、布団の中に戻った。


「今度こそちゃんと眠れますように……」

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