蜘蛛の糸でもとらえられない

「ヴィクトリア!」


 エイルが叫ぶ。

 ヴィクトリアは、とっさに避けることが出来なかった。

 ぎゅっと、衝撃を予期して目を瞑る。

 ――その時。


「下がってください。ヴィンセント」


 聞き慣れた声が響いて、ヴィクトリアは大きな手に、体を後ろに引き寄せられた。

 しかし閉じた瞳を開けても、彼女の視界は暗いままだった。

 冷たい手。

 ヴィクトリアを抱き寄せたその相手は、彼女の視界を手で覆い隠した。


「…………カーライル……?」

「はい」


 ヴィクトリアがその名を呼べば、返ってきた声はいつもの彼と少し違って、どこか焦りを含んでいるようにもヴィクトリアは感じられた。


「ここは私が対処します。貴方は、このまま動かないで下さい」


 カーライルはヴィクトリアの髪に触れる近さで、彼女にだけ聞こえる声で囁いた。

 小さく頷けば、自分の背後で、カーライルが困ったように笑ったのがヴィクトリアにはわかった。


「護衛は要らないなんて言ったのに、貴方は本当に無茶をする」


 カーライルはそう言うと目を細め、古龍の体を意図で一度貫こうとして――それからピタリと体を制止させて、糸で古龍の体を包みこんだ。


「?」


 古龍の拘束を終えたカーライルに漸く目隠しを外されたヴィクトリアは、てっきり古龍を殺すかと思っていたカーライルが、拘束だけに済ませたことに驚いて目をまたたかせた。

 もう一つの彼女の驚きは、古龍の動きを封じたカーライルが、抱きしめた手を緩めなかったことだ。


 細いようで筋肉のついたカーライルの腕をヴィクトリアがペチペチと叩けば、カーライルは、彼女を抱きしめる腕に更に力を込めた。

 まるで大切なものが壊れていないのを確かめるかのように、カーライルは少しだけ体を震わせて、ヴィクトリアの肩に顔を埋めた。


「!?」

 ヴィクトリアは困惑した。


(こんなカーライル、私は知らない)


 ヴィクトリアの知るカーライルという男は、昔から理性的で、常に冷静な男だ。

 

(おかしい。カーライルはこんなふうに、感情を表に出す人物じゃないはずなのに)


「あの。あの……カーライル……?」


 冷たい髪が、首にかかってくすぐったい。

 ヴィクトリアは震える声で呼びかけたが、彼には届いてはいないようだった。

 そしてカーライルは、少し顔を上げて、ヴィクトリアのうなじにそっと唇を押し当てた。


「!?!?」


 柔らかい唇に触れられて、ヴィクトリアは体をこわばらせた。

 雪女の血をひく彼の唇は冷たいはずなのに、今のヴィクトリアには、確かに熱を帯びているように感じられた。

 言葉にできない熱に当てられ、何故か体が熱くなる。


「や……やだ。かーらいる、カーライルッ!」


 振りほどこうにも、決して離れてくれない幼馴染の名を、ヴィクトリアは顔を真っ赤にして叫んだ。


「そのへんにしておけ、カーライル」

 

 その時だった。

 ヴィクトリアの頭上から静かな声が降ってきて、誰かがカーライルとヴィクトリアの体を離した。


「レイ……モンド……?」

 

 ヴィクトリアに助け船を出したのはレイモンドだった。

 我に返ったカーライルは目を瞬かせて、そうして驚いたように男の名前を呼んだ。

 ヴィクトリアは思わずレイモンドの後ろに隠れた。


 カーライルはそんな彼女を見て頭を抑え――彼女を抱きしめた自身の腕を見つめると、沈黙の後に二人から顔を背けた。

 その耳は、ほんのりと赤く染まっていたようにヴィクトリアには見えた。



「ん……?」


 古龍を無事封じ、アルフェリアは彼女の屋敷へと運ばれた。


 目立った外傷はなく、頭を強くぶつけたため意識を失ったのだろうということで、ヴィクトリアはずっと彼女の手をにぎって、幼馴染の目覚めを待った。

 アルフェリアが目を覚ましたのは、それから二時間ほど経ってのことだった。


「アルフェリア!」

「アルフェリア! よかった。目を覚ましたんだね」

「ヴィクトリア……? ヴィクトリア、怪我はない!?」


 目を覚ましたアルフェリアの第一声は、ヴィクトリアの安全を確認するものだった。

 意識を失って居た相手に突然体を捕まれて、ヴィクトリアは少し慌てた。


「う、うん。私は大丈夫……」


 ヴィクトリアの無事を確認にしてほっと息を吐いたアルフェリアは、それから自分の部屋にいる魔族に気づいて目を瞬かせた。


「なんでカーライル様方が……?」

「……アルフェリア。そのことで私、貴方に話さなきゃいけないことがあるの」


 ヴィクトリアの言葉に、エイルは静かに目を伏せた。


「私がここに帰ってきたのは、これからは私が、セレネで暮らすことになったからなの。私……私は、本当は……」


 真実を告げる前、ヴィクトリアの心臓は、破裂しそうなほど早鐘を打っていた。


「私は、『ヴィンセント・グレイス』の生まれ変わりなの」 


「……それは、本当なの?」


 アルフェリアの表情が、少しだけ厳しくなる。そんな彼女を見て、ヴィクトリアはゆっくりと、小さく頷いた。


「……うん」

「はい。彼女は『ヴィンセント』です」


 カーライルが、ヴィクトリアの背後から静かに言った。

 ――『ヴィンセント』。

 その名で呼ばれ、ヴィクトリアは少しだけ拳に力を込めた。


「そう。……じゃあ、あの話は嘘だったのね」

「え?」


 ヴィクトリアの予想とは違って、アルフェリアの顔が曇ったのは一瞬で、すぐに彼女は表情を緩めた。

 カーライルの言葉を聞いたアルフェリアは、いつものように優しい目で、ヴィクトリアを見つめていた。


「魔王が魔族に、人間を殺すよう命じたって話。だってヴィクトリアが、人間を殺すよう命令するなんて、そんなことあるはずないもの」


 その言葉に、ヴィクトリアは目を瞬かせた。

 ヴィクトリアは、アルフェリアの瞳の中には今も確かに、『今の自分』が映っているような気がした。


「誰かが怪我したりすると自分までつらそうな顔する子が、そんなことできるはずない。……そんな貴方に、村を守るために戦わせてしまったことは、本当に申し訳なく思ってる。でも、貴方が争いがすきじゃないのは、きっと貴方を知る誰もが知っているわ。――エイルも、そう思うでしょう?」


 部屋の隅にいたエイルは静かに頷いた。


「どんな噂があっても、私は、私の知る貴方を信じてる」

「……っ!」


 ヴィクトリアは、幼馴染二人の笑顔を見て下を向いた。

 アルフェリアの声は、優しい姉そのものだった。

 だからヴィクトリアは、まるで子どもが泣くかのように、ぽろぽろと涙を落としてしまった。


「……私、あの時、何が起きていたのか分からなかった。でもみんな、私のせいだって。みんな……私が、私が悪いんだって……。だから、だから私は……」


 感情が、涙があふれて止まらない。

 五〇〇年前から、ずっと誰にも告げることの出来なかった思いが、言葉があふれる。


 前世むかしのヴィクトリアは、勇者に殺されることを望んで、死んで人間になろうとした。

 自分が全て背負えば、丸くおさまる。勇者に告げられた言葉は、彼に告げられる前から、心の奥底でずっと彼女自身が考えていたことだった。


 つらいと、口にするのが苦手だった。

 人間と魔族の共存を願っていたからこそ、自分が死ぬしかないのだとそう思った。

 たとえ自分の責任ではないとしても、恐怖しか与えられない魔王に居場所はない。嫌われている自分が死ねば、みんなが幸せになる。――そう、勇者も言ったから。


 『ヴィンセント・グレイス』は、魔王であることをやめるために、力を消すために、『人間になりたい』と願った。


「……ヴィクトリアの言葉なら、私は信じるよ」

「僕も信じる。魔族だろうと何だろうと、ヴィクトリアは僕たちの、大切な幼馴染だからね」

「そうよ。悲しませて泣かせるような真似、絶対に許さない。たとえ相手が、誰であろうと。だから……カーライル様!」

「?」


 突然人間の少女に名を呼ばれ、カーライルは首を傾げた。


「この子のことを、ヴィンセントと呼ぶのはやめてください!」


 アルフェリアはそう言うと、ヴィクトリアの手を引いて、ぎゅっとその体を抱きしめた。


「ヴィクトリアが決めたなら、私は何も言わない。セレネで暮らしたいと言うなら、そうすればいい。でも今のこの子は――私達の幼馴染、ヴィクトリア・アシュレイなんだから!!!」


 魔王城リラ・ノアールの現在の管理人。


 現魔族の中で最も強いとされる男に対し、アルフェリアは怖じ気づくことなく真っ直ぐにその目を見て言い放った。

 まさかただの人間の少女に物申されると思っておらず、カーライルは目を丸くした。

 そんなカーライルを見て、ルーファスがポツリ呟いた。


「……流石、陛下の幼馴染」


 ヴィンセント・グレイスの幼馴染はカーライルだった。

 けれど今の――ヴィクトリアの幼馴染は、アルフェリアとエイルなのだ。


「ご心配なく。彼女の――ヴィクトリアのことは、骨の髄まで愛しておりますので」

「…………」


(その表現ことば、物騒だし若干怖いんだけど、私はこれはどんな反応をすれば……)


 助けを求め、ヴィクトリアはレイモンドに視線を向けたが、彼はふうと溜息を吐くだけだけで、今度は何も言ってはくれなかった。




「初めて会った時、あの子は、誰かを探して泣いていたんです。その涙を見て、初めて自分の中に、誰かを慈しむ――いや、感情があることを知りました。守りたいと、支えたいと、そう思った。そして彼女を傷つけようとするものの全てを、排除することを心に決めた。それは、実の父親であっても変わらなかった。だから私は……あの子を殺そうとした、父を殺した」


 幼馴染みとの別れを惜しむヴィクトリアをルーファスに任せ、先にセレネに戻っていたカーライルは、古龍を閉じ込めた繭を見上げ静かに言った。


 もう随分昔のこと。

 けれどその時の自分と父とのやりとりを、カーライルは今でも、不思議とはっきりと思い出すことが出来た。


『お前なら油断するはずだ。カーライル。我が一族のために、ヴィンセントを殺せ』

『あの子を、ヴィンセントと呼ぶことを許されたのは私だけだ』


 一族の誰よりも秀でている。

 カーライルほどの才能を持つ子はもう、蜘蛛の一族からは現れない。

 そう評価されていたカーライルを、彼の父が幼い魔王を殺して王に据えようとしたのは、ある意味当然のこととも言えた。


『――何?』

『ゆるしもえず、その名を口にするな。その名は、今は私だけに許されたものだ』

『まさか、私を殺すのか。父である、この私を……!』


 カーライルが父親に反抗したのは、それが最初で最後だった。


『はい。それに、ヴィンセントも父親を殺している。彼女と同じ行いをすれば、私も彼女の気持ちが分かるかもしれないと思いせんか?』

『――』


『ヴィンセントの世界に、貴方は必要ない。彼女を支えるための一族をまとめる長ならば、貴方より私のほうがうまくやれる。だから、貴方はもう要らない』

『――お前の変化に、もっと早く気づくべきだった』


 カーライルは蜘蛛の糸を、そっと父親の首に巻き付けた。

 最後のその瞬間を、一瞬にしようと思ったその理由は――今でもカーライルは、理解わかかるようで理解わからない。


『はい?』

『心を持たない人形だったお前が、そんなことを言うなんて』

『出会ったその瞬間から、私の全ては彼女のものだ』

『そうか』


 もうすぐ殺されるというのに、何故か父はカーライルを見上げて笑った。


『気づいていらしたのには少し驚きました』

『私はお前の父親だからな』

『そうですね。でももう、私に貴方は必要ない。――さようなら。父上』


 いつものように糸を手繰れば、殺すのは簡単だった。


『あれ? 変だな……』

 いらない存在だった。

 だというのに、何故か涙がこぼれた。


 ヴィンセントが何故先王を殺したかという話は、セレネには伝わっていない。

 『ヴィンセント・グレイス』は父である魔王を殺した――それだけが、今伝わる全てだ。

 カーライルは、自分も父を殺せば、愛する彼女の気持ちが分かる気がしたけれど、何故か頬を伝うしずくが気になるばかりで、それ以上何も考えることもできなかった。

 ただ、それから父の後を継いで、確かに言えることがあると思った。


 これで彼女の世界は、少しだけ綺麗になった。


『どうして泣いているの?』


 初めて出会った日。

 眠る幼いヴィンセントの涙が、カーライルに感情を与えた。

 色のなかった世界に宿ったのは、愛しい黒と赤い色。

 夜の闇と、血のような赤い色。


 自分も含めて、すべていらない世界だったから。その少女だけが、自分の生きる意味になった。

 人間だけじゃない。魔族もどうでも良かった。

 魔王の王座になど興味はない。彼女が座っていたその場所を、自分から奪おうとするものが現れるなら、全て消してしまおうと思った。


 もう彼女はいないから。

 その場所だけが、彼女が生きていた証だったから。

 たとえもうその場所に、彼女の温もりは感じられなくても、自分が生きている限り、代わりに誰かが座ることを許すつもりはなかった。


『ヴィンセント!!』


 目を瞑ればいつでも、世界は赤く染まっていて。

 彼女を失った日のことを、昨日のことのように思い出す。

 ヴィンセントの死のあとに、魔法がとけ漸くカーライルは彼女に近づくことができた。

 けれどその瞳が、もう開かないことは理解していた。


 失ったものは戻らない。

 手が震えた。聖剣に穿たれ、絶命した愛する人に触れる。

 カーライルは、その日のことを思い出して胸元に手を当てた。

 自分の心を、最後まで受け入れることなく一人で旅立ってしまった彼女を前に、狂ってしまいそうな虚無感が、あの日からずっと彼の中にはある。

 何度思ったことだろう。


 貴方にさえ出会わなければ、自分が空虚であることを知らずに済んだのに。心など、痛みなど知らずに済んだのに。

 どうして愛してしまったのか。

 愛しているという言葉を告げたとしても、自分の力に囚われて、決して心を信じてくれなかった貴方のことを。

 

 けれど長い時を生きる魔族なら、いつか彼女の魂と自分の時が交差することもあるかもしれない。

 だからこそカーライルは城を守り、魂を見分ける金色狼であるルーファスに、ヴィンセントを探すことを許した。


 でもそうやって蜘蛛の糸を張り巡らして、彼女を捕まえようと思っても、彼女をとらえることはできないし、本当の意味で彼女を笑顔にすることができるのは、自分じゃない他の誰かのような気もした。


「昔からあの子を守りたいと思うのに、なかなか上手くいかない」


 絡めとるだけならば、捕まえて箱に閉じ込めるだけならば、簡単なはずなのに。その心を欲しいと思うから、手を伸ばしても届かない。

 彼女の求める何かが、自分の中で噛み合わない。けれど今のカーライルには、その違和感をただす方法がわからなかった。


 繭を運ぶためカーライルに同行していたレイモンドは、黙って彼の言葉を聞いていた。


 昔の彼女の、『ヴィンセント』と同じ色。

 そんな色を宿すレイモンドの赤い瞳を見つめ、カーライルは昔を懐かしむように目を細めた。

 空を見上げれば、ちょうど日が落ちて赤く染まっていた。


 夕焼けの赤い色は、ずっと探していた赤い色と似ている。

 その赤は、もうこの世界には無い。

 求めていた彼女は、これからは手で触れられる場所にあるはずなのに、沈みゆく陽を見ると、カーライルはこれからも、自分はきっと夕焼けを見る度に胸が苦しくなるのだろうと思った。


『どうして同じように生きているのに、傷つけ合わなきゃいけないんだ。下等も劣等もない。傷つけられたなら、誰だって痛いに決まっている。――魔族であろうと、人であろうと』


 魔王という地位を継ぐには、あまりにもヴィンセントは優しすぎた。

 本当は彼女が魔王には向いていないことを、カーライルは知っていた。けれど自分が、支えたいと思うのは彼女だけだった。頭を垂れる価値は、他の者には感じなかった。


「魔族は人間を殺しすぎた。私はあの子の手を汚したくはなかった。だから貴方たちに殺させた。魔族の処罰を、あの子を差し置いて私が命じるわけには行かなかった。そしてあの子は、すべての責任を背負ってから死を選んだ。あの子の死を無駄にはできず、私は和平の道を選んだ。今思えば、バカバカしくてたまらない。……あの子を守るつもりが、追い詰めていたなんて。そしてあの子は、私達を、自分を守って亡くなった。人間と魔族と、共存していくには、たった一人の悪役が必要だった」


 隣り合う世界の二つの種族。


 魔法の使えない人間と、魔法を使うことの出来る魔族。

 故に魔族は人間を下に見る傾向があり、五〇〇年前に魔族は『魔王ヴィンセント・グレイス』に命じられたという名目で、多くの人間を殺した。

 その事件の全てに、ヴィンセントが命じたものは一つもなかったというのに。

 そして、ヴィンセント・グレイスの死後、勇者の力は知らしめられ、魔族と人間の世界を繋ぐ門の殆どは閉められることとなり、表向きは両者にとって平和な時代が訪れた。


「五〇〇年前のことを、私は塗り替えたい。魔王ヴィンセント・グレイスは、確かに多くの魔族どうほうを殺すよう命じたけれど、決して人間を襲うようには命じていなかったのだから」


 誰もが彼女のせいにした。

 そして、言葉を引き出すために、命じることが出来なかったヴィンセントは、絶望をひとり抱えることになった。

 誰の言葉も受け入れられず、彼女は『残虐非道な魔王』として死んだ。


「おそらく、今の彼女の魔法は不完全。……皮肉なものだ。だからこそ今の彼女は、私達の言葉を信じてくれる」


 カーライルは静かに言った。


「私は、彼女を愛している。たとえこの体が滅んでも、彼女がこの世界に生きてくれているだけでいいと思うほどに」


 びき……びきき……。

 その時、古龍を拘束していた繭を、何かが内側から溶かしながら破いた。

 レイモンドは、その亀裂を見て目を細めた。


「カーライル。話を聞くのは後だ。どうやら殻を破るようだぞ」

「ああ。わかっている」


 二人はそれぞれ繭に向き直った。

 ――すると。


「ぷはあっ!」


 繭の中から、米粒三つ分ほどの大きさの男が現れ、大きく息を吸い込んだ。


「全くなんてやつだ! 息苦しくて死ぬかと思った!」


 男の声は、龍の声と同じだった。


「全く、どういう神経をしているんだ。古龍を糸で包み込むなんて。……っ!?」 

「――捕まえた」


 二人の殺気にすら気づかず、文句を口にしていたその生き物を、カーライルは指で掴んでとらえた。


「ひえっ!? ……お、お前は、カーライル・フォン・グレイル!?」

「おや。私の名前を知っていたとは話が早い。さっさと死んでもらおうか」


 にこり。

 カーライルは、どこか楽しそうに笑った。


「ま、待てっ!こ、殺すのはやめろ! 見逃してくれたなら、お前にとっておきの情報を教えてやる!」

「……そんなにいいことを知っているのか?」


 カーライルは、男の提案にふむと考えるそぶりを見せて、指の力を弱めた。

 すると男は、服の中から虹色の種を取り出して、カーライルの頭めがけて投げつけた。


「ふっ。これでもうお前の体は俺のものだっ! ……ぐえっ!!!!」


 男の高い笑い声は、途中から蛙が潰されたような声に変わる。


「は? え。ええっ?」

「手品の種は、もうわかっている。これさえなければ、お前は何も出来はしない」


 男の投げた種は、カーライルの糸にくるまれていた。

 氷のように美しい、雪女の一族と蜘蛛の一族の血を引く男は、糸を手繰るように手を動かした。


「力のないただの劣等種が、思い上がりも甚だしい。種で操って強くなったつもりか? こんなもの、お前の力でもなんでもない」


 カーライルはそう言うと、糸で種を押しつぶした。


「ま、待て! 話せばわかるっ!」

「目障りだ――消えろ」


 悲鳴さえあげさせることも許さず、カーライルは諸悪の原因である男を捻り潰した。

 そうして彼は、手についたほこりをはらうように手を動かして、はあとため息をついた。


「こんな雑魚をのさばらせていたなんて、私も気を抜きすぎていたようだ」

「……さっきの、殺さずに口を割らせたほうが良かったんじゃないか。デュアルソレイユへの侵入のこともある」


「門については私がもう一度確認して閉じればよいだけのこと。それに、他に黒幕がいたなんて――せっかく全てが片付いたと思っているあの子に、古龍にはなんの罪もなく、あやつられていただけの生き物を傷つけたと知らせる必要はない」


 ヴィクトリア以外なら、魔族であろうと容赦はしない。同胞を虫けら同然に処理した男は、そう言うと口元を緩めた。


 『ヴィンセント』が生きていた頃、魔王の城リラ・ノアールは魔王一人を守るための鳥籠だった。


 しかし鳥は、籠の中で死んでしまった。

 空の青さに焦がれても、空を飛ぶことを許されず、羽根をもがれることを望み、そして一人静かに目を閉じた。


『人間になりたい』

 そんな願いを口にしながら。


 当初の目的を終え、カーライルは古龍を拘束していた糸を解いた。


「それで、これはどうするつもりだ?」

「別に、どうでもいい」


 レイモンドの問いに対するカーライルのこたえは淡泊だった。


「どうでもいいって……」


「彼らをこうした本人なら戻せるかもしれないが、ヴィクトリアの手を煩わせたくはない。言葉を話せない生き物の意志なんてわからない。普通に考えて、違う生き物と体を一つにされるなんて殺された方がましだろうが、この二体はつがいだ。愛するものと一つになっただけなら、喜びこそすれ、死を選ぶ理由になりはしない」

「……」


 カーライルの言葉を聞いて、レイモンドは昔蜘蛛の生態について読んだ本を思い出した。

 その中で、雄蜘蛛が雌蜘蛛に食べられてしまう、という内容があった。


 だとしたらもしかしたら――カーライルにとっての一番の幸せは、愛する少女に食べられて死ぬことなのかもしれないと彼は思った。

 ヴィクトリアの性格上、それは永遠に叶わないことだろうけれど。


 二人の会話をよそに、体を繋がれたつがいの古龍は、息を合わせ大空に飛び立った。

 まるで最初から、そういう生き物であったかとでもいうように。

 徐々に小さくなるその体を、レイモンドとカーライルは何も言わず、空を仰いで見送った。

 

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