足手まといは私

 セレネを生きている魔族たちの中でも希少種とされる龍種の中で、更に珍しいとされる種族。


 いにしえを知る龍として、古龍と呼ばれるその生き物を見るのは、ヴィクトリアが魔王ヴィンセント・グレイスとして生きていた頃からかぞえても、それが二度目のことだった。


「どうしてここに暴走した龍種がここに!?」


 子どもたちの言葉に、ヴィクトリアは唇を噛んだ。


 どうやら子どもたちは、敵が何者であるかを正確に認識できていないらしい。

 暴走――魔素をうまく体にためおくことができなかった場合に起こる症状。

 今のところ、この状態に陥った存在が回復した例はない。黒煙をまとい自我を失った存在は、セレネでは討伐対象とされる。


 しかも、今回暴走したのはただの龍種ではない。


 古龍は、魔界の中でも天災級の力を持つ生き物だ。

 魔族の中でも、人魚に次ぐ長命種。

 その鱗は、歳を重ねることに固く層をなす。

 基本的に争いを好まない温和な性質を持つ彼らは岩穴に巣を作り、硬い岩や鋼鉄などの石を主食とするため、顔を見せることほとんどはない。


 明らかに異常だった。

 自我を失い本能のままに行動しているなら、餌を求めるのが普通だろう。

 魔王城の結界内にある森の中には、龍種が最も好むとされる石は存在しない。

 なぜなら『ヴィンセント』時代、餌を求めて彼らが侵入しないように、すべて排除されたからだ。


(その古龍が、どうして……?)


「離れて!」


 ヴィクトリアは、逃げ遅れた子供を抱えて後方に飛び移った。

 龍の爪は、子供がいた場所を深々とえぐっていた。腕に抱えられた子どもは、悲鳴を上げ、ヴィクトリアの腕の中で暴れる。


「大丈夫。――大丈夫だから」


 ヴィクトリアは、落ち着かせるために子どもの体を抱きしめた。

 するとコリンがヴィクトリアから子どもを奪い、体格のいい少年に手渡した。


「何するの」

「そっちこそ何してるんだよ! 殺されるぞ!?」

「動けない子を助けるのは当然でしょう。みんな下がって。――ここは、私がどうにかするから」


 ヴィクトリアは、子どもたちの前にたった。

 しかしコリンは、ヴィクトリアの腕を引くと、一歩彼女の前に出た。


「駄目だ。お前は弱い人間じゃないか」


 しかしその彼を、ルーファスは背に庇った。


「陛下。ここは私に任せてお逃げください」

「な、なにするんだよっ! これからがいいとこで……」


「無駄に仲間を殺す先導者ほど愚かなものはない。弱いお前たちがいても邪魔なだけだ。龍種はこちらでなんとかする。お前たちは陛下を連れてこの場を離れろ」


 コリンを見つめるルーファスの瞳は、氷のように冷たかった。


「……エドヴァルド。ヴィクトリアを抱えて俺の後について来い」

 コリンは自分の背後に控えていた彼に命じると、子どもたちに向かって叫んだ。


「何も言わず、全員俺について来い!」

「ちょっ。ええ!?」

「撤退だっ!」


 ルーファスの姿がどんどん小さくなる。

 エドヴァルドに抱えられ、ヴィクトリアは呆然としていたが、はっと我に返って叫んだ。


「離してっ!! もともと私は狩りを仕事にしてたんだから。私だって戦え……」

「馬鹿っ!!!」


 服のせいで、うまく腕の中から逃げられない。エドヴァルドの腕の中で暴れるヴィクトリアに、コリンは言った。


「人間の世界ごときの動物と、魔物が同じ強さななわけ無いだろ! ただの人間が、どうにかなるとでも思ってるのか!?」

「……っ!」


 ただの人間。

 その言葉が、初めて嫌だとヴィクトリアは思った。


「あいつなら大丈夫だ。もし駄目だとしても、俺たちがどうにかできるわけがない。カーライル様たちを呼びに行くべきだ」


 確かにルーファスが弱点を知っていれば古龍は倒せるだろう。

 ――でも。


「あ」


(ルーファスは敵を見て、『古龍』だとは言わなかった)


「なんてこと」


 その時ヴィクトリアの頭のなかに、ある可能性が浮かんだ。

 ルーファスは弱くはない。

 でももし彼が正しく事態を認識していたのなら、ただの龍種と同じやり方では倒せない古龍を前に、龍種と呼ぶのは考えづらい。


 古龍が強いのには理由がある。

 それは彼らの瞳が、相手の動きを封じる力を持つからだ。

 その瞳に睨まれた者は、一定時間をすぎると、動くことがままならなくなる。


 故に古龍を倒すためには、瞳を潰すことが必要となる。

 瞳の強度はさほど高くはない。人間界の通常の武器であろうとも、貫くことは可能だろう。


 かつて、魔族によるデュアルソレイユ侵攻の際、古龍の一匹が門をくぐり抜けたことがあった。

 多数の死者を出したものの、その際に瞳を潰した人間は存在した。


 龍の体の強度は鉄より硬い。

 しかしその顎の下にある逆鱗は、桜貝のように薄い作りをしており、その場所からなら一気に龍の体を貫ける。いわば龍の心臓とも呼んでもいい場所だ。

 人間による古龍討伐の例は一例だけ存在し、その際は瞳を潰した上で逆鱗から喉を貫いている。


 ルーファスは、基本的にカーライルの命令を受けて行動している。

 子どもたちは古龍を見て『魔物』だと言った。

 古龍なんて滅多に出会わない敵の弱点を、ルーファスが知らない可能性は高い。

 目を潰す前に龍の逆鱗に触れてしまえば、事態はもっと悪化する。

 知識さえあればいい。

 ルーファスと自分が力を合わせれば、古龍は倒せる。


「あの子を一人で戦わせるわけには行かない」


 ヴィクトリアはそう呟くと、心の中で謝罪して、エドヴァルドの体を強く蹴って腕の中から抜け出した。


「ヴィクトリア!!」


 コリンが倒れたエドヴァルドのそばに座り込み、彼に怪我を負わせたヴィクトリアを見て責めるように名を呼んだ。


「ごめんなさい。――でも、行かなきゃいないの」


 苦笑いして背を向ける。

 ヴィクトリアは服に短剣をつきたてると、走りやすいように裾を破いた。


「待て! 駄目だ。行っちゃ駄目だ。ヴィクトリア!!!」


 ヴィクトリアは、静止を聞かずに駆け出した。



 圧倒的な存在感。


 暴走した龍の討伐は、ルーファスは一度行ったことがあったが、今回の敵はどこか違うような気がした。

 何が違うかはわからない。

 そしてその自分の直感が、もしかしたら自分に敗北をもたらす可能性もルーファスは考えていたが、かと言ってここで引くわけにはいかないことも理解していた。


「あの方を、もう目の前で失いたくはない」


 ヴィクトリアのためになら命さえ擲てる。カーライルだって、そのつもりで自分を陛下のそばにおいていたはずだと、ルーファスは自分に言い聞かせた。


 ルーファスは、図書室でのことを思い出した。

 ルーファスがいくら魂を見分けているとはいっても、記憶があることに気付くことは、ヴィクトリアの言葉がなければ難しかった。


 金色狼の特徴についての知識。

 『ヴィクトリア』も、『ヴィンセント』も、昔からどこか抜けている。

 だからこそ、大好きな本を前にすれば、ヴィクトリアかへまをするとふんで、カーライルは自分をヴィクトリアのそばに置いたのだろうと今は思った。


 カーライルは、城を基本離れない。

 だからこそ自分の意思で、常にヴィクトリアを守る盾となる存在が欲しかったに違いない。

 盾は強ければ強いほど利用価値がある。

 そしてその強度は、思いによって変わる。記憶の無い想い人と、記憶があることを隠している想い人なら、後者の方をより守ろうとすると踏んだのだろうとルーファスは思った。


 古龍が一歩足を踏み出せば大地には罅が入り、その爪が触れた木は、まるで蝋のようにドロリと溶け、咆哮は地を揺らす。


 ルーファスは、圧倒的な力を持つ生き物を前に、己が高ぶるのを感じた。

 命がけの戦いになるかもしれない。強者を前に、血が滾るような感覚があった。

 ルーファスはにっと笑うと、自分の手のひらに口づけた。

 すると彼の姿は、美しい狼に変わった。


 金色狼の本来の姿は獣の姿。

 獣の姿を取るときにこそ、ルーファスは全力が出せるのだ。

 ルーファスは古龍に飛びかかると、鱗を引き剥がすように爪を立てた。

 以前彼が龍種を倒した際は、鱗を剥がし、そこから傷をおわせ、血を固めて一気に勝負をつけた。

 今回もその方法でかたをつけようと思っていた彼だったが、鱗のあまりの硬さに驚いて、ルーファスは一度古龍から距離をとった。


「爪が通らない……!?」


 薄々嫌な予感はしていたが、これでは自分の能力を活かした攻撃が出来ない。


「同じやり方では倒せないのか……? 弱点がわかればせめて……」


 ルーファスは敵を観察し、首の下に光る逆さの鱗を見つけて目を細めた。


「あそこが弱点か……?」


 ルーファスは、古龍の喉に攻撃を行おうとしたが、その時龍をめがけて石が飛んできた。ルーファスは空中で石を避けると、地面に降りて『敵』を睨みつけた。


「何をするっ!?」

「下がって! ルーファス!」

「え? 陛下?」


 『敵』からと思っていた攻撃の妨害の相手に、ルーファスは目を丸くした。


「なぜ戻ってこられたのですかっ!」


 叫ぶルーファスに対し、ヴィクトリアは冷静だった。


「古龍相手に長期戦は禁物です。それに、逆鱗に触れれば余計に刺激させるだけ。古龍を倒すには、まず瞳、その後に逆鱗を攻撃せねばならない。貴方は一度姿を隠してください。古龍の力が、もうすぐ発動してしまう!」

「古龍……?」


 ルーファスは、聞き覚えのない名前に目を瞬かせた。


「……古龍の力とは一体何のことですか?」


「やはり知らなかったのですね。一定時間あの瞳に見つめられ続けると、石のように体がかたまり、身動きか取れなくなります。貴方は、もうすぐ症状が出てもおかしくない。一度身を隠してください」


 ヴィクトリアは服の下に隠していた短剣と、カーライルの糸を取り出した。


「今の私では、とどめを刺すことはできない。けれど瞳を潰すくらいならできるはず。私が時間を稼ぎます」


 ヴィクトリアはルーファスを自分の方に引き寄せて森の茂みに隠すと、武器を取り出して地面を強く蹴った。


「陛下っ!」


 古龍の体は、肉を切るカーライルの糸では貫けない。

 それでも、目を潰すくらいはできるはずだ。

 ヴィクトリアは糸で輪を作り、瞳を匙で掬うように動かした。


 ――しかし。


「え……?」


 糸は瞳に触れる直前、何故かじゅうという音とともに溶けた。

 まるでヴィクトリアの持つ、カーライルの糸による攻撃を見越していたかのように。

 瞳には、糸を無効化できる熱の魔法がかけられていた。


「……どうして」


 カーライルの糸を普通の火で燃やすことは出来ない。

 しかしこの世界には一つだけ、カーライルの意思以外で、糸を切る方法が存在する。


 カーライルの糸の弱点は、魔法による温度の変化だ。

 蜘蛛の一族と雪女の一族の魔法をかけ合わせた固有魔法。

 糸に編み込まれた液体に特定の温度の熱を加え、状態を変化させれば糸は無力化できる。

 カーライルが操る糸は、複数の細糸を束ねたものだ。

 カーライルは一つの細糸に対して異なる温度を定めており、糸は特定の温度意外に触れるともとの形に戻るため、彼が操る糸を一度に無力化させることは難しい。

 それができるのは、かつてヴィンセントが創り出した魔法のみだ。


 ヴィンセントの魔法は創造魔法。

 ヴィンセントは魔法の仕組みを理解し、その力をそっくりそのまま使うことが出来た。そしてその力を破ることのできる魔法もまた、同時に作り出していた。


 ヴィンセントは、自分以外が使える魔法を作ることも可能だった。

 だが、仲間を売るほど非情でも愚かではない。カーライルの魔法を妨害する魔法――確かにそれはヴィンセントによってこの世界に生み出されたが、記録はされなかったはずなのに。


「く……っ!」


 龍は、ヴィクトリアの存在に気づき腕を上げた。

 その爪が届く前に、ヴィクトリアは手頃な木の上に着地すると、千切れた糸を回収した。


 敵を倒すすべは頭に山程浮かぶというのに、そのどれもが、『今の自分』には難しかった。

 ヴィンセントが強かったのは、膨大な知識と魔法、そして身体を強化によるものだ。


 今のヴィクトリアは強いとは言っても、『ヴィンセント』には及ばない。

 レイモンドにさえ敗北した、今の自分では成功する確率は低いかもしれない――そう思う心が、また自分の足枷になるのを、ヴィクトリアは感じていた。


「陛下! ご無事ですか!?」

 

 攻撃に失敗したヴィクトリアを心配して、ルーファスが叫ぶ。

 守りたいからここに来たのに、心配されることしかできないなんて、情けないにもほどがある。


 ルーファスに古龍の倒し方を教えた上でカーライルに助けを求めていたなら、状況は変わっていたはずだ――そう考えて、ヴィクトリアは「違う」と心の中でつぶやいた。


 カーライルの魔法を妨害できる古龍相手なら、レイモンドが駆けつけてくれるのが一番望ましい。

 しかし、レイモンドがカーライルより先に危機を察知して、自分を助けに来てくれるとは、ヴィクトリアに思えなかった。


 ヴィクトリアは古龍を睨みつけた。

 武器が壊れることは想定していなかった。自分を守ろうとしてくれた子どもに怪我を負わせてまで駆けつけたのに、今この状況では、足手まといは自分自身だ。

 そして古龍の爪は、戦う術のないヴィクトリアに振り下ろされる。


「陛下!!!」

 

 ルーファスは、ヴィクトリアを乗せて逃げようとした。

 しかし古龍の力によって、ルーファスの体は氷のように固まってしまう。

 その瞬間、龍の鋭い爪が、ルーファスを襲った。


「ぐっ……っ!」


 バキバキという木の砕ける音と共に、ルーファスの体は地面に叩きつけられる。


「ルーファス! ルーファス!!」

 

 狼の、金色の美しい毛皮から、赤い血が溢れ出る。


 それは、本来のルーファスなら有り得ない光景だった。 

 ルーファスが、これまで一人で多くの魔族を討伐できた理由は、彼の能力に起因する。ルーファスは、いくら的に傷をつけられても、その傷跡を即座に塞いでしまうのだ。


「ぅ……ぁあ……っ」


 しかし、今はどうだろう? 意識のある彼の血が止まらないのは、どう考えてもおかしかった。

 ヴィクトリアは、ルーファスの体を貫いた、龍の爪を観察した。

 

 爪先は、不自然に青い色をしていた。

 金色狼の牙には、血液を凝固させる力があるとされる。

 そしてその反対の力を持つのが吸血鬼だ。吸血鬼の体液から作られる青色の毒は、血液の凝固を防ぐ。血の流れを促すそれは、金色狼の力を妨害できる唯一のもの。


(もし、この仮説が正しいなら)


 ヴィクトリアは唇を強く噛んだ。

 ルーファスはこのまま放っておけば、出血多量で死んでしまう。

 解毒剤は城にある筈だ。

 けれど今のヴィクトリアに、狼を背負って龍から逃げることは難しい。それに、今ルーファスの体を無理に動かせば、それこそ死期をはやめるだけだ。

 

 グオオオオオオオオオ!!!

 

 古龍が空に向かって吠える。

 ヴィクトリアは、ルーファスの傷を手でおさえた。しかし魔法が使えない今の彼女に、血を止めることは出来ない。


(このままでは、このままでは――……)


 最悪の事態だけが、ヴィクトリアの頭に浮かぶ。自分をかばって血まみれになったルーファスの姿は、消し去りたい記憶を呼び覚まさせる。


「ディー……ッ」


(嫌。嫌だ。どうしてなの? どうして私は無力なの。どうしていつも、私は誰も守れないの? 大切にしたい人は目の前にいるのに、どうしてそんな人ばかり、失わなきゃならないの?)


 自分自身の問いに、心の中でうずくまる、幼い自分が首を振る。


(――違う)


 『ヴィンセント』なら。

 『ヴィンセント・グレイス』なら、この状況を覆せる。

 どんな未来も、この世界をも、屈服させる力があるならば。

 その力があれば一言で、白は黒に塗り変わる。


 ヴィクトリアはルーファスのそばに蹲り、自分に振り下ろされる鋭い爪を見つめていた。

 今の彼女には、世界はまるで止まっているかのように見えた。

 ヴィクトリアは静かに目を瞑った。

 どこからか、雨音が聞こえるような気がした。


 おめでとう。

 おめでとう。

 この世界は君のものだ。

 君が世界を統べる王。

 君は世界に選ばれた。

 おめでとう。

 おめでとう。

 君の願いは何でも叶う。

 君が願えば、あらゆるものは書き換えられる。

 おめでとう。

 おめでとう。

 君は何者にもなりえない。

 君は誰とも交われない。

 ――残虐非道な魔王の血を継ぐ、君の未来に祝福を。


 けらけらと、けらけらと。嗤い声が頭に響く。

 それはかつて自分が、捨てたはずのもの。

 ヴィクトリアは胸に手を当て、ぎっと敵を睨みつけた。


「『ルーファスは殺させない』」

 

 その瞬間、ヴィクトリアは自分の中で、何かが壊れる音を聞いた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る