レイモンドとの剣の勝敗

 ルーファスとレイモンド。

 ヴィンセント時代、二人の仲が良かったかときかれたら、ヴィクトリアは「そう」とは答えられない。

 それでも、レイモンドの同じ年頃ということで城に招かれたルーファスには、レイモンドの大切な幼馴染になってほしいと、『ヴィンセント』は心から願っていた。

 だから自分のせいで二人の関係がこじれるようなことだけは、ヴィクトリアは絶対に嫌だった。

 

「陛下、お気をつけください。レイモンドは強敵です」

「ありがとうございます。でも、大丈夫です」


 ヴィクトリアはルーファスに微笑んだ。

 これまで、『ヴィンセント』にレイモンドが勝てたことは一度もない。

 新しい師を迎えて鍛えたと言っても、そもそもレイモンドの剣は、ヴィンセントが教えたものだ。簡単に負けるはずはない。ヴィクトリアはそう考えていた。


「陛下、流石です!!」


 ヴィクトリアの剣を、レイモンドは受け止めて顔を顰める。

 激しい剣戟がレイモンドを襲う。

 レイモンドは防戦一方だった。


 ヴィクトリアは、山で狩りの時しか剣は使ってこなかったが、それでも鍛錬は続けてきた。

 それはいつか『ヴィンセント』として名をあげるためではなく、自分の大切な人たちを守るために、力が必要だと考えたからだ。


(所詮この程度。誰も、私に勝つことはできない)


 ヴィクトリアは、苦笑いした。


 あとはもう、自分がヴィンセントではないという証明に、わざと負けてやるだけだ。 

 自分を擁護してくれたルーファスの手前、全く戦えないふりをするのは避けたかったが十分だろう。

 それに、自分以外を師と仰いだレイモンドの実力もわかったことだ。

 ヴィクトリアは、わざと負けようとして――そして、迷ってしまった。

 

 ここで負ければ、ルーファスは自分のことを『陛下』とは呼ばなくなるかもしれない。

 カーライルも、たった一人だけで自分を推すことは難しいかもしれない。

 レイモンドは、もともと私をヴィンセントとは思ってはいないようだけれど、きっとただの人間と魔族という関係になれば、もう会うこともなくなるだろう。

 

「……っ!」


 ヴィクトリアは、自分の心が理解できなかった。


(『ヴィンセント』に戻りたくなんてないのに、どうして彼らとまた会えなくなることを、私は寂しいと思ってしまうんだろう。私にはアルフェリアやエイルがいる。『ヴィクトリア』は、デュアルソレイユを生きる人間のはずなのに。前世の私は、『ヴィンセント』として生きることに疲れて、死を選んだはずなのに)


「……私は」


 ヴィクトリアはいつのまにか、無意識に剣を握り直していた。 

 体が勝手に動いていた。

 迷いをふりはらえ、と心の中で誰かが呟く。

 ヴィクトリアはレイモンドの隙をつき、勝負を決めるために力を込めた。

 終わりだと、そう思った。自分の勝利を確信していた。


 ――けれど。


「軽いな」


 ヴィクトリアの渾身の一撃は、レイモンドに簡単に無力化された。

 花を切ったときと同じように、まるで見えない流れを切るかのように、レイモンドは剣を振った。

 思わず体勢を崩す。

 ヴィクトリアは頭が真っ白になった。


(……嘘。これがあの、レイモンドだというの?)


「軽すぎる。アイツの剣はもっと重く、強かった」


 剣はヴィクトリアの服を裂き、剣先は彼女の肌を掠めた。


「……っ!」


 ヴィクトリアは思わず腕を庇った。

 レイモンドは、ヴィクトリアに休む暇を与えず剣を向けた。

 ヴィクトリアは腕の痛みに耐えながら戦ったが、腕から流れる血で剣が滑り、レイモンドに剣を叩き落された。

 腕をおさえ、地面に膝をつく。

 レイモンドの冷徹にも、剣の切っ先をヴィクトリアの喉元に向けた。


「俺の勝ちだな」

「……っ!」


 ヴィンセント時代は、確かに身体強化の魔法を使っていたし、今よりも体は鍛えていた。

 そして『ヴィクトリア』は、見た目の割に力は強いとは言っても、当時の力には及ばないことはわかっていた。


 それでも、前世で一度も負けたことのなかった剣での敗北は、ヴィクトリアにとって、とんでもない屈辱だった。


 『負けてあげる』つもりが、まさか赤子の手をひねるかのように任されてしまうなんて。

 ルーファスはヴィクトリアにすぐさま駆け寄って傷の具合を確認すると、レイモンドを睨みつけた。


「なんのつもりだ。レイモンド! 陛下の御身に傷をつけるなんて!」

「剣はそもそもそういうものだろ」

「そういうことを言っているんじゃない。女性に怪我をさせて、何も思わないのか!?」

「……お前たちは、その女をただの女ではなくヴィンセントの生まれ変わりだと思うから迎えいれたいんだろう?」


 レイモンドの声は冷たかった。


「戦えない魔王を据えてなんになる? あまりにも弱い。そんなただの人間がヴィンセントの魂を継いでいるなんて、それこそ『陛下』に対する侮辱じゃないのか? なんの役にも立ちはしない。ルーファス。その『人間』は、さっさと村に返してくるんだな」

「レイモンド!」


 ルーファスの声を無視して、レイモンドはそれだけ告げると、城の方へ帰ってしまった。


☆★☆★☆


 服の色のおかげで目立ってはいなかったが、ヴィクトリアの腕から、血は流れ続けていた。


「……陛下。じっとされていてください」


 ルーファスはそう言うと、ヴィクトリアの服の上着を脱がせ、あらわになった傷口に口付けた。


 痛む場所に慣れない感覚が与えられ、ヴィクトリアは思わず息をのんだ。


「!?」


(傷口を舐め……!?)


「あの。な、なんで……ルーファス」

「……よかった。血はとまりましたね」


 ルーファスは、慌てるヴィクトリアとは違い、ほっと安堵したように息を吐いた。


「金色狼は血を固めるのが得意なので、治療させていただきました」


 金剛石、別名ダイヤモンド。

 金色狼の名は、その色だけでなく、触れたものの水分の結晶化の力にも起因する。

 金色狼は、舐めれば治るを地で行く種族なのだ。


 ただ、やはり傷口を(見ず知らずというわけではないけれど)舐められるのには抵抗がある。

 ヴィクトリアが固まっていると、ルーファスが苦笑いした。


「ご心配なさらずとも、私は生き物の血を啜るような下劣な趣味はありません。これは、あくまで治療です。ただ吸血鬼と呼ばれる種族は、生き血をすすることに幸福を覚える輩ですので、もし出会われたら陛下は逃げてくださいね」


「……わかった」


(あれ? でも確かルーファスには吸血鬼の友人がいたきがしたけど、私の記憶違いかな?)


 吸血鬼と金色狼の仲が悪いという話は聞かなかったはずなのに、自分が知らぬうちに仲違いをしたんだろうか。

 ヴィクトリアは疑問に思ったが、尋ねようとしてやめた。

 血が止まった腕をおさえる。


(自分は勝負に負けたんだ。ヴィンセントとしての自分を証明できなかったのに、今みたくルーファスの優しさに甘えるわけには行かない)


「……私は、レイモンド様に負けました。貴方が仰る『陛下』なら、きっと彼には負けなかった。ただの人間の村娘に、高位魔族である貴方が跪くなんて、嫌悪感を抱くことはないのですか?」


 ヴィクトリアの問いに、ルーファスは穏やかに微笑んだ。


「貴方だからこうするのです。私は、陛下のものですから」

「私の……もの……?」

「――はい。貴方が私に首輪を与えてくださるなら、私は喜んでこの首を差し出しましょう。貴方が私を飼いたいと仰るなら、犬と思ってくださっても構いません」

「……えっ?」

 

 冗談なのか本気なのかわからない。ルーファスはヴィクトリアの足に手を添えると、その足を少しだけ持ち上げて、爪先にキスをした。


「ね?」


 そうして、子供のように無邪気に笑う。

 ヴィクトリアは顔から火が出そうだった。


(ルーファスはいつの間に、こんなに歯の浮くようなことを言う子に育ったんだろう? そしてこんなことをする子に育ったんだろう!?)


 こんな言葉をかけられてキスされるなんて――普通の女の子なら、きっと卒倒モノだ。


 ヴィクトリアの場合ルーファスの幼い頃を知っているせいか、どうしても『可愛い』が先に来てしまうけれど……。


 ヴィクトリアは胸を抑えた。心臓の鼓動が鳴り止まない。

 ルーファスは、自分のせいだと気付いていないかのように、子どものように首を傾げた。


「陛下? 顔を赤くされてどうされたのですか?」

「だ、大丈夫です……っ! もう平気、平気ですから……!」


 ヴィクトリアは後退った。

 しかし、ルーファスはそれを許さず、ヴィクトリアの腰に手を回すと、強く自分の方に引き寄せた。


「私は陛下を心配し申し上げているのに、そのように私から離れようとなさらないでください。私の行動でご不満な点があれば改善いたします。だから、私を嫌わないでください」


 ルーファスは、ヴィクトリアから退路を奪いつつ、捨てられた犬のような目で彼女に懇願した。


「私ごときが、不満なんて……っ」

「私ごとき、なんておっしゃらないでください。貴方は、私の大切な方なのに」


 ヴィンセントとして生きていた頃。

 ヴィクトリアは、前世では他人から好かれている自信なんてほとんどなかった。

 だというのに、今世で前世の臣下たちに会ってからと言うもの、大好きだとか大切だとかそんな言葉を向けられて、どう反応していいかががわからない。

 免疫がないので勘弁して欲しい。たとえそれが恋愛ではなく臣下としての言葉だとしても、心臓が持たない。

 ヴィクトリアが慌てていると、何を思ったかルーファスは、ヴィクトリアの傷口を指で押した。


「……つぅ……っ!」

 ヴィクトリアは、腕をおさえて体を震わせた。


「な、なんでこんなこと……」


 子どものいたずらを叱ることができず、ヴィクトリアは震える声で彼に尋ねた。

 しかし、よくよくヴィクトリアが彼の顔を見てみると、何故かルーファスは悲しげな顔をしていた。


「……やはり、まだ痛みは感じられるのですね。人魚の秘薬があれば、もっと綺麗に治せるのですが……。私の力ではこの程度しかできず、申し訳ございません」


 腕をおさえるヴィクトリアの手に、ルーファスはそっと自分の手を重ねた。


「魔族というだけでも長命ですが、人魚族の寿命は群を抜いて長い。人魚の秘薬――人魚族には、その血肉から力の活性化・肉体の再生を促す力がある。そしてその血肉を使った薬を飲めば、人間であれば不老不死とも言える命を、魔族であれば力を強化することができそうです」


 ヴィクトリアは、ルーファスの言わんとすることは理解できた。

 心優しい彼だから、自分の怪我が完全に治せないことが腹立たしいのだろう。


「そんな、気にしないでください。こんな怪我、そのうち治りますから」

 ヴィクトリアは、にこりと彼に向かって笑った。しかしルーファスは、ぶつぶつと言葉を続ける。


「ですがそれを作るには、多くの人魚族の血肉が必要だといわれています。人間がセレネからデュアルソレイユに迷って渡って殺されたとき、人魚を食べた人間が不老になったという話はありますが、魔族の寿命を考えると効能としては劣ります。薬として精製した例は殆どなかったと思いますが……せめて陛下の肌に傷が残さないためには、ここは私が人魚族を……。一人で乗込めば数匹なら狩れないことは」


「待ってください!!」


 呟きが、どんどん物騒になっていくのに気づいて、ヴィクトリアは思わずルーファスの口を手でで塞いだ。


「だ、駄目です! そんなのは駄目です! 可愛い顔して何を物騒なことを考えているんですか!? 狩るとか殺すとか、そういうのを簡単に考えるのは、何があっても駄目です!!!」

 

 しかし、人間であるはずの自分が、『ルーファス様』と呼ばれる彼にしでかしたことに気づいて、冷静になったヴィクトリアは顔を青ざめさせた。


(私、今、何して……。まるで小さな子どもを叱るみたいに思わず……!!)


「…………可愛い? 私がですか?」


 しかし怒られた側であるはずのルーファスは、嬉しそうに目を輝かせて、ヴィクトリアの手をとった。


「え? ……あ……??」

「陛下にとって私が、そう見えているなんて……。これをどうして喜ばずにいられましょう!」


 幼い彼ならまだしも、大の男に成長した彼に向かって言う言葉ではないはずなのに――。ヴィクトリアは、ルーファスの気持ちが全く理解できなかった。


「可愛いと思ってくださるなら、ずっとそばにおいてくださいますよね? 陛下。私は、陛下とともにあることが幸せなのです。記憶がなくとも構いません。誰がなんと言おうと、私の陛下は貴方だけです」

「…………!!!」


 今は見えないはずのしっぽが見える。

 絶対に離さないとばかりに手を強く握られて、ヴィクトリアは再び反応に困ってしまった。

 レイモンドもルーファスも、昔は子どもだったはずなのに。

 子どものころを知っている彼らに対し、ドキドキしてしまう自分に冷静になれと何度も心の中で繰り返す。

 第一、ルーファスは自分に対して恋愛感情はないと思うから、彼の忠誠心に邪な感情を抱くこと自体間違いだとヴィクトリアは言い聞かせた。


「陛下。返事をなさってください。私を可愛いと思ってくださるなら、『お願い』は聞いてくださいますよね?」

「それ、は……」


 ヴィクトリアは答えられなかった。

 『はい』とこたえれば、いつか自分にヴィンセントの記憶があると、彼にバレてしまうだろう。

 『いいえ』と答えれば、また捨てられた子犬のように悲しそうにされてしまうに違いない。

 どちらも嫌で選べない。

 ルーファスは、そんな彼女に選択を急がせるように、言葉を続ける。


「お返事を下さらないのは、私が陛下と離れたくないと、その気持ちがつたわっていないせいでしょうか……? もっと態度で示したほうがよろしいでしょうか? 陛下は私に何をお望みですか?」

「あっあの……」

「陛下が望まれるなら、私は何でもいたします。陛下の望みが私の望み。その遂行こそ、私が生きる意味となり得る」


 ルーファスは、ヴィクトリアの手のひらに口づけた。


「貴方の望み、全て私にお命じください。貴方の願いの全てを、私が叶えて差し上げたい」


 従順さを語りながら、しかしその瞳は、どこか獣のような獰猛さを秘めていた。

 一瞬でも心を許してしまったら、喉元から喰らわれてしまいそうな――そんな妖しい色に、ヴィクトリアは目を瞬かせた。


(本当に彼は、昔のままの、子どものような彼なのかな……?)


 二人の間に沈黙が流れる。


 その静寂を破ったのは、ヴィクトリアの服に何がかぶつかる音だった。

 べちゃっ!

 ヴィクトリアは自分の背中を触って驚いた。

 カーライルから支給された服を破いて血で汚しただけでも怒られそうなのに、泥までこびりつけさせてかえしたら、どんな反応が返ってくるか、考えるだけでも恐ろしい。


「それくらい、避けろよこののろま!」


 泥をぶつけた犯人は、まるでヴィクトリアが悪いとでも言うように叫んだ。

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