タイムリミット

 シンヤは急いで開いたままの扉を抜けて運転席に入った。

 運転手はいない。運転席が赤黒い血で濡れていた。『残業獣』に食われたのだろう。


「くそっ」


 運転台にはわけのわからないレバーやらボタンやら計器がある。その中に「非常停止」と書いてある赤いボタンがあった。


「これか」


 一か八かだ。シンヤは赤いボタンを押した。

 しばらく何も起きなかったが、急に電車がつんのめるように揺れた。

 レールと車輪が擦れ合う音が聞こえてくる。


「これで止まるのか。でも、電車は止まるまでに一キロくらいは走るって聞いたことあるよな」


 シンヤは少し考えた。


「やっぱりやるしかねえか」


 外に通じる扉を開けた。そのまま外から回って走行する電車の正面の窓に張り付いた。

 少しづつ下に降りて行く。

 すごいスピードで後ろに流れていく地面に右足のつま先が触れそうになる。

 シンヤは深呼吸した。


「『残業マン』の力は!」


 右足そして左足を地面に着けた。体中に強い振動が走った。

 レールの下に敷かれたコンクリート枕木を次々と破壊する。地面に敷かれた小石を弾き飛ばす。


「うおお! 止まれえー!」


 シンヤは電車を正面から受け止める姿勢になった。

 電車のスピードは落ちない。

 だが、それはシンヤの予想通りだった。


「このために温存していたんだ。『勝利への道ロード・オブ・ビクトリー』!」


『第三形態』の『残業獣』との戦いでも使用しなかった、『残業マン』最大の技、『勝利への道』。

 シンヤの体が金色の炎に包まれた。電車の進行方向とは逆に進もうとする。

 まさに電車を逆噴射して押し返す形になった。

 次第に金色の炎は消えて行った。電車の勢いは止まっていない。


「くっそ。駄目かよ」


 シンヤは頭をフル回転させた。

『勝利への道』はどんなに残業していても二回の発動が限度だと課長のおじさんが言っていた。すでに二回使用してしまった。


「いや、おれは二日連続の徹夜をしているんだ。自分の『ZSP』を信じろ。もう一度やる!」


 再びシンヤの体を金色の炎が包んだ。今日三回目の『勝利への道』だ。


「これで止まってくれー!」


 しぼむように金色の炎が消えた。まだ電車は止まっていない。

 シンヤは振動した左手首を見る。

『ZSP』の円形のゲージの一部が点滅していた。『ZSP』が無くなりつつある。


「頼む。もう少し持ってくれ」


 シンヤの願いも空しく、ゲージの一部が消えた。

 ボディスーツの顔の部分が黒い塵になって剥がれていく。風が素肌を掠めていく。シンヤの顔が半分くらい露出した。


「嘘だろ」


 さらに、シンヤの右足が何かに捕まれた。


「フウー!」


『第三形態』の『残業獣』が電車の下から上半身を覗かせてシンヤを掴んでいた。いや、腰から下は千切れて上半身だけの姿になっていた。だが、まだ死んでいなかった。


「うわあー!」


 シンヤは絶望の悲鳴をあげていた。まさに絶体絶命。


「夜神よう。仕事よりも大切なことがあるならよ。一生懸命にやったと胸を張って自分に言えるくらいやって来いよ」


 こんな時に強羅課長の言葉が頭に蘇った。


 ――一生懸命にやったと胸を張って言いてえけど。


 シンヤは電車を押さえたまま首をうなだれた。


「わたし、『残業マン』が好きなの」


 ヒナタの声。夜風に流れる髪。良い香り。


「ごめんなさい!」


 涙を流しながら去って行くサヨの背中を見つめていたシンヤ。


 ――おれはまだ紅月さんに謝っていない。


 クロウ、北里係長、常本係長、職場のみんなの顔が思い浮かぶ。転職や体を壊して職場を去って行った人たちの面影も。

『残業マン』のボディスーツは体のあちこちから剥離して黒い塵になっていく。

 シンヤは再び顔を上げた。


「こんなものかよ、おれの『ZSP残業ストレスパワー』! 職場を去って行った人、今も残業に苦しんでいる人、全部無駄じゃないだろ! みんな、おれの体を使ってくれ!」


 シンヤの左手首のスマートウォッチの画面が強い光を放った。

 ボディスーツが復活して、再び体を包んでいく。ボディスーツは黒ではなく金色だった。


「これしき! ダー!」


 シンヤが電車を押し返した。

 足を掴んでいた『残業獣』が、ボディスーツの光に触れた手から黒い塵になって消えていった。

 電車が東京駅の明るいホームに入る。

 シンヤは押さえている電車を見上げた。

 ホームの半分くらいまで入ったところで電車は止まった。

 シンヤはその場にへたり込む。



 東京駅のホームには駅員はもとより警察、消防隊、救急隊がひしめいていた。

 シンヤが線路からホームに上がって変身を解除したことには誰も気づいていない。体中が軋んで痛かったが、野次馬に紛れた。

 電車から警察の誘導で乗客が続々と降りて来る。

 シンヤはサヨの肩を抱いたヒナタの姿を認めた。ヒナタも手を振るシンヤに気が付いた。お互いに笑顔で頷く。サヨもヒナタも無事だった。

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