ヒーローはおれだ
「さて、どうする」
威勢よく助けに行くと言ったものの、『残業マン』に変身するためのスマートウォッチが手元にない。
廊下を行ったり来たりして考え込んでいる。
「落ち着け。まずは課長に会わなくちゃ」
サヨとヒナタが乗っている京葉線は暴走している。このままだと前を走る電車に衝突するか、終着駅の東京駅に突入したら大事故になる。
東京駅までは三十分くらいだろう。時間がない。
冷静になればなるほど絶望的な状況だ。
シンヤは左手をズボンのポケットに入れた。紙切れに手が触れた。
――あ、これだ!
折りたたまれた紙切れを取り出して広げる。
課長のおじさんの電話番号が書いてある。
「これはわたしの連絡先だよ。何かあったらいつでも連絡しなさい」
課長のおじさんの言葉が蘇る。
「さすが課長。ナイスです!」
さっそく携帯端末で電話をかける。
「はい」
課長のおじさんの穏やかな声。
「課長!」
「きみか。なにかあったのかい」
「ぼくの大切な人が『残業獣』に襲われそうなんです。ぼくをまた『残業マン』にさせてください!」
「きみは、それでいいのかい」
わずかな沈黙のあとにシンヤは答えた。
「はい!」
「……わかった」
シンヤはヒナタから聞いた状況を課長のおじさんに説明した。
「そうか、時間がないね。よく聞きなさい。いつもの公園に行きなさい。そこでスマートウォッチを渡す。分かったね」
「分かりました」
「ところで『ZSP』は大丈夫かな。まだ昼の十一時半すぎだよ」
「大丈夫です。二日連続の徹夜明けです。『ZSP』はMAXですよ」
「そ、そうか。きみにとっての初めての実戦だ。くれぐれも慎重にね。あと『第三形態』がいたら逃げること。いいね」
「うっす」
シンヤは通話を切って、フロアに戻った。
北里係長の席に行く。
「すいません。今日は帰ります」
「まだ昼だぞ」
北里係長が眉をひそめる。
徹夜作業をした次の日は明け休になるのが普通だ。だが、シンヤの職場は徹夜明けでも次の日は普通に夜まで働くのが慣わしになっていた。いわば悪しき習慣だ。
「ぼくは二日連続で徹夜してるんです。帰ります」
「待てよ、夜神。仕事はどうするんだ」
北里係長が立ち上がった。口ひげがひくついている。
シンヤは構わずフロアの出口に向かって歩き始めた。帰りの支度をしている時間はない。荷物は置いたままにして行く。
「おい! 夜神!」
北里係長が大きな声をあげた。フロアが静まり返った。
立ち止まったシンヤの喉に熱い固まりがこみ上げてきた。体が震える。
「仕事、仕事ってよう……」
シンヤはゆっくり北里係長の方に振り向いた。
「なんだ」
「誰にだって仕事よりも大切なことがあるんですよ!」
シンヤはわだかまっていた思いをぶちまけた。
北里係長は目を見開いたまま動かない。
「行かせてやれ――」
強羅課長の声。自席に座ったままシンヤに顔を向けた。
「夜神よう。仕事よりも大切なことがあるならよ。一生懸命にやったと胸を張って自分に言えるくらいやって来いよ」
「……はい」
もう誰も止める者はいなかった。シンヤはエレベーターに向かって走った。
シンヤはいつもの公園まで全力で駆けた。公園に入ると、両ひざに手をついて呼吸を整えた。
ブランコに誰か座っている。
ベースボールキャップを目深に被って、スウェットにオーバーサイズのMA-1を羽織った女の子だ。
女の子はシンヤを見てブランコから降りた。
「夜神シンヤさん?」
キャップのバイザーから覗く顔は小さくまとまって可愛らしかった。なんとなく見覚えがある。
「……課長の娘さん」
以前に課長のおじさんに家族写真を見せてもらった。間違いない。
「課長? うちのパパ万年係長だし。ウケる。とりあえず、はい」
女の子がスマートウォッチを差し出した。
「パパから連絡があって。これを夜神さんに渡すようにって」
「あ、ありがとうございます」
シンヤはさっそくスマートウォッチを受け取って左手首に巻いた。
半円だった『ZSP』のゲージが見る間に完全な円形になった。『Re・gain』のオレンジ色の刻印が点滅している。
「よし!」
『ZSP』は満タンだ。
「助かりました。課長にお礼を言っておいてください」
シンヤは頭を下げてから公園の出口に向かう。
「……頑張れ」
女の子の声にシンヤは振り向いた。
「頑張れ、『残業マン』!」
課長のおじさんの娘さんは『残業マン』の存在を知っているようだ。
笑顔で頷いてから、シンヤは公園を出た。
『
スマートウォッチから黒い液体が
シンヤは『残業マン』に変身した。そして京葉線の線路に向かって跳んだ。
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