お父さんと呼ばないで
午後十一時すぎ。シンヤは人影のないセンターストリートを駅に向かって歩いていた。
秋の入口から吹いてくるビル風が肌を撫でる。心なしかいつもより冷たく感じる。
駅前のロータリーが見えてきたところで、シンヤは駅とは反対側に道を折れた。駅前の明かりを背にしてしばらく歩くと小さな公園に着いた。
一か月前の『残業獣』との遭遇で課長のおじさんに助けられた。
その時に例のスマートウォッチを使って変身することで『残業マン』になると教えられた。
課長のおじさんに『残業マン』の力の使い方を教えてもらうためにこの一ヶ月間、徹夜じゃない日はいつもシンヤはこの公園に来ていた。
言われたことには素直に従う。そういうところでシンヤは生真面目だったりする。単なる社畜根性だろうか。いや、シンヤの中に「今の自分を変えたい」という気持ちが隠れているからかもしれない。
「こんばんは」
ブランコに課長のおじさんが座っていた。いつも通りの和やかな笑顔だ。
シンヤは隣のブランコに腰かける。金属の軋む音がした。
「今夜はより一層くたびれているね」
シンヤはしばらく地面を見つめてから、呟いた。
「課長はシルバーウィークはどうするんですか」
「暦通りの休みだからね、家族と近場に旅行に行こうかと思っているよ」
「それは素晴らしいです。ぼくの分まで楽しんで来てください」
シンヤは抑揚のない声を発してうな垂れた。
「ど、どうしたんだい」
「最悪っすよ。三時間前にいきなり来週のシルバーウィークがなくなりました……」
「うわあ、それはつらいね。……ほら、これでも飲みなさい」
課長のおじさんがシンヤに黄色と黒のラベルのついた栄養ドリンクを差し出した。
「ありがとうございます」
シンヤはアルミの蓋を捻って開けて、一気に瓶の中身を飲み干した。今日の栄養ドリンクは喉に滲みる。
「もともと、我々にはお盆も正月もないのも同じじゃないか。わたしだって再雇用だからシルバーウィークが休めたんだよ」
「そっすよね。大変な人はもっと大変なんですよね」
「ああ、そうだよ。きみたちに出勤を命じた上司やお客さんだって申し訳ないと思っているはずだよ」
シンヤの頭の中に強羅課長の強面が浮かんだ。
「そうですかねえ……」
シンヤは眉間に皺を寄せた。
「きっとそうだよ。さあ、今夜も練習しよう。『
シンヤは腕に巻いたスマートウォッチを操作して『ZSP』を表示した。完全な円を描いたゲージと、その中央に『Re・gain』の刻印がオレンジ色に光っていた。
課長のおじさんに画面を見せる。
「しかし。わたしが言うのもなんだけど、きみはいつも『ZSP』が満タンだね」
「はい、悲しいくらいに。心なしか今日はいつもより輝いて見えます」
「そ、そうだね。じゃあ、変身しようか」
「うっす。『
全身を黒いボディスーツが包んだ。稲妻のような黄色のカラーリングが強靭な肉体を際立たせている。
今夜も『残業マン』の修行が始まる。
修行の内容は主に『ZSP』の使い方の修得だ。
つまるところ、『ZSP』をいかに効率的に使うかで『残業マン』の強さが決まる。
最初の頃のシンヤは常に『ZSP』を最大出力にして行動していた。そしてその力を使いきれていなかった。
『ZSP』が満タンじゃなくなると『残業マン』の変身は解除されてしまう。いわゆるエネルギー切れだ。だから『残業獣』と戦った時、シンヤはすぐに変身が解除されてしまった。
課長のおじさんの修行はかなりのスパルタだった。
まずはこの海浜幕張からシンヤの自宅まで『残業マン』の力で帰ることだった。もちろん普通に乗り物に乗るのは禁止だ。ただし屋根に乗るのは問題ない。
走って、跳んで。電車から車へ、高速道路からビルへ。最初の数日のシンヤは半分の距離も帰ることができずに『ZSP』がなくなって変身が解除されてしまった。
その時間だと当然終電はなくなっているので、タクシーで帰ることになる。自宅に着くのは深夜だ。ほとんど睡眠時間が取れず、次の日の出社が地獄のようにつらい。そして職場ももちろん地獄だ。
だからシンヤは必死で『ZSP』の使い方を練習した。
一ヶ月経った今、シンヤは電車で帰るよりも早く帰宅できるほどになっていた。
「きみは凄まじい『ZSP』の出力を持っている」
「わたしが半年かけて学んだことを、きみは一ヶ月で修得したよ」
厳しい修行の中にも課長のおじさんの優しい言葉があった。何よりシンヤには『残業マン』の才能があると言ってもらえる。
仕事でもここまで褒められたことはない。いや、人に認められたことがないと言ってもいい。
――強い『残業マン』になってやる。
『残業マン』であることが、今のシンヤの心の支えであった。
「今日は『
「いいんですか、課長! あの『武器生成』をやっても!」
「そろそろいいだろう」
「ダー! やってみるっす!」
シンヤのテンションがやたら上がったのは、『武器生成』が課長のおじさんが『残業獣』相手に使った刀を作る技だからだ。
『武器生成』の優れている点は理論としてすでに聞いていた。『ZSP』の10の力で武器を作る。その武器で三回攻撃すれば、単純計算で『ZSP』30の力になる。五回攻撃すれば50。つまり『ZSP』の出力に対して攻撃力を何倍にもすることができるのだ。
「シンプルにカッコいい。これぞヒーローって技だぜ」
「さあ、両手を前に出して」
言われた通りにシンヤは掌を上にして両手を前に出す。
「イメージするんだ。武器のイメージを! きみの全身を纏う『ZSP』で作られたスーツの一部を切り離して武器を作るイメージだ」
シンヤは意識を集中する。
「出でよっ! エクスカリバー!」
「ちょ、ちょっと。エクスカリバーってイメージできるの」
「いや、アニメとかで観たから」
「ま、まずは実物を見たことがあるものにしようか」
「そ、そっすか。じゃあ、日本刀で……」
シンヤは手に力を込める。頭の中で日本刀を事細かにイメージする。
しばらくしても日本刀は出てこない。
「うーん。出ない」
「イメージするんだ。手で刀の
「うーん」
「よし。いきなり刀は難しいから。ナイフとか包丁でどうだろう」
「それなら。うおー!」
「イメージだよー」
何も出てこない。
「ぬおー! なぜだー!」
「じゃ、じゃあ、こうしよう。彫刻刀だ、いや、カッターナイフなら何度も使っているよね」
「ぐぬー! カッターナイフー! だりゃー!」
シンヤは血管がはち切れるほど力んだ。
その時――。
右の掌から何かが飛び出て地面に落ちた。
それは球体であった。そして表面にいくつか棘がついている。
まるでファンタジー世界の武器のモーニングスターの先っぽの球体だ。
「ボ、ボール……」
二人でしばらく球体を眺めた。
「課長、ぼくに才能は!」
「も、もちろんあるよ。わたしは最初は何も出なかった。いきなり武器が出るだけすごいよ」
課長のおじさんは口を押さえて顔を背けた。
「笑っちゃってるじゃないですか!」
「ご、ごめん。だって球体って……」
シンヤは地面の球体を拾った。ソフトボールくらいの大きさだ。
「きみが本気で投げたらバズーカ砲より威力が出るよ」
「まあ、無いよりはましか」
「今日はここまでにしよう。あとはいつものように家に帰るまでが修行だからね。『武器生成』で『ZSP』をかなり消費したかもしれないから気を付けてね」
「ありがとうございます。シルバーウィークを楽しんでください。……ところで課長のご家族って」
「ああ、言っていなかったね。妻と娘の三人家族だよ」
「娘さん」
「大学生でね」
課長のおじさんが携帯端末に入っている家族写真を見せてくれた。
顔の小さいショートカットの可愛い女子だ。オーバーサイズのスウェットを着てはにかんだ笑顔で、右手の親指と人差し指を交差させて「指ハート」を作っている。
「か、可愛いじゃないっすか」
「そうかね」
課長のおじさんは嬉しそうに携帯端末をしまった。シンヤはその様子をじっと見つめていた。
「お父さん!」
「きみにお父さんと呼ばれる筋合いはない!」
今夜もシンヤにとって厳しくも楽しい修行の時間が過ぎて行くのであった。
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