蜂蜜と恋焦がれる星

テトラ

第1話

"豚の餌食って喜んでる女なんて願い下げ。梨花の方が可愛いし言うこと聞いてくれる"


激しく地面に降り注ぐ冷たい雨の晩。

酷い恋に破れた女子高生・紫月有紗は泣いて顔を真っ赤に腫らし、全身びしょ濡れのまま雨の中を走る。

学校が終わって、そのまま家には帰らず塾で講義を受け、勉強で疲れた心身を癒す為に向かった大好きな恋人が住むアパートで悲劇は起きた。

部屋には自分以外の女と愛し合った残骸とイチャつく恋人。

蔑む目で呆然とする有紗を見つめるのは恋人と親友。その目と言葉から逃げた有紗はに人の目を気にする余裕なんてなかった。今はただ楽しかった思い出の場所から少しでも離れたかった。

離れてゆく度に色褪せてゆく思い出は悲しみにへとじわじわと変わる。


"有紗ちゃんは鈍感で馬鹿なんだもん。捨てられて当然じゃん。私の方が透くんのこと大事にできるもん"


親友だと思っていた親友の梨花からの誹謗も更に有紗を追い詰める。

ずっと影で自分を笑っていたのだろうと思うと悔しさと悲しさで頭がおかしくなりそうだった。

このまま家に帰れば両親を心配させてしまうどころか、2人に訳も分からず当たり散らしてしまいそうで足が進まなかった。

今の有紗は少しでも悲しさから逃れたかった。爆発しそうなその感情を少しでも落ち着かせようと必死だった。


(これからどうしよう…)


このまま走り回っていても埒が明かない。けれど、どこに行けばいいのか分からない。

学生であるが故、夜に留まらせてくれる施設も限られてしまっている。家に帰るわけにもいかない。

ゆっくりと走る速さを落とし、息を切らせながらその場に立ち尽くす。

何も言い返せなかった自分が情けなくて更に涙が溢れた。立っていられずしゃがみ込み声を殺しながら泣いた。

息苦しく、胸が痛い。


(これが死にたいってやつかな…死んでもあの2人は私を笑うんだきっと)


苛立ちと悔しい気持ちも湧き上がる。ゴシゴシを荒く袖で涙を拭う。

一層の事この世から消えてしまおうかさえ思え始めた。だが、自死を選んだ後のことを思うと辛くなりすぐに思い止まった。

すると、はぁーっとため息を吐く有紗のお腹からぐぅーっと音が鳴った。慌ててお腹に手を当て音を抑えようと試みる。


(うぅ…お腹すいた…)


有紗は思い出す。最後に食事をしたのはお昼に学校で食べた母親特製の手作り弁当。今日は大好きな甘いだし巻き玉子と唐揚げが入ったお弁当だった。

幾ら腹持ちがいいものでも時間が経てば消化され空腹になる。

さっき食べたお弁当達を思い出しながら、ここでしゃがみ込んでいても仕方ないとゆっくりを立ち上がりとぼとぼと再び歩き始めた。


(お腹すいたけど…この辺コンビニも食べ物系の自販機もないしな…)


途方に暮れてまたため息をつく。

ブラザーのポケットに入っていたスマホを取り出し画面を見る。数件の通知の中に自分を裏切った親友からのメッセージが届いていた。ゾワっとしたものを感じ慌ててスマホをポケットに戻した。

真面目に逃げた有紗への勝利宣言だということは嫌でも分かってしまった。

空腹と屈辱感が気分を更に悪くさせた。拭ったはずの涙がまた静かに流れる。

歩きながらまた袖で拭っていると、甘く香ばしい匂いが微かに漂ってきた。何処か懐かしく恋しい香りだった。


(いい匂い…お腹すいてるから余計に…)


彷徨っていた有紗は香りがする方に足を進める。

有紗にとっては行き慣れたはずの場所だったが彼氏のある一言で遠ざけるようになったその道。

ずっと行きたくて仕方がなかったその場所から甘い香りが漂う。


「……ここ…」


吊り看板に"Cafe Mercury《カフェ マーキュリー》"と書かれた店の前で立ち止まった有紗は懐かしさと申し訳なさに体が動かなくなってしまった。

白いペンキに塗られた木製の扉のドアノブに手をかけようとするが震えてしまう。


(どうしよう…でもお腹すいたし…)


心臓の音が嫌に響く。目を瞑ってもう一度ドアノブに手をかけようとした時だった。


「有紗?!!」


扉にはめられている波ガラスに写った有紗に気付いた青年が先に扉を開けた。有紗は驚き目を見開いた。


「す…昴…?」

「どうしたんだよ!そんなずぶ濡れで…」

「っ……」


昴と呼ばれたその青年はすぐに有紗の異変に気付いた。

ずぶ濡れの髪と制服。泣き腫らしてパンパンになった顔。いつも明るい筈の表情がまた泣き出しそうな目をしているからすぐに分かってしまう。

懐かしく安心する気持ちに有紗はどうすればいいのか困惑して逃げ出そうとするも、昴にぐっと腕を掴まれ阻まれた。


「待って!!」

「……」

「今は言わなくていい。落ち着いてからでいいから。一旦店入れ。たのむ」

「……っ」

「そんなになったおめーをそのまま帰すわけにはいかねーよ。だから…」

「ごめん…昴…私もう…っ」


昴の声に不安だった気持ちが和らいだ途端、感情が爆発し彼の胸に飛び込み声を上げて泣いた。

彼に迷惑をかけてしまっている。そんなの分かりきっている。けれど、もう感情が抑えきれなかった。

一瞬だけたじろいだが昴はそっと泣きじゃくる有紗を受け入れ優しく彼女を抱きしめた。びしょ濡れになってしまった有紗の髪をそっと撫で彼女を慰めた。

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