第85話 私怨


 その界隈は、古びた雑居ビルが立ち並ぶ街並みだ。

 そして、その雑居ビルは如何にもという外観だった。


 如何にも、が出入りしているという外観のそのビルの周りには、警察の車両が何台も停まっていて、とても嫌な慌ただしさと緊張感が周囲には漂っていた。警察車両から発せられた赤色灯が、そのビルや辺りの建物を真っ赤に照らしながら点滅するさまは、それを目にする人々を大いに不安にさせる。


 ユウ達がビルの入り口に着くと、警察車両に寄り掛かりながら佇む黒木青葉の姿があった。言い方は悪いが、パトカーを背に佇む制服姿の彼女は、とても絵になっている。


「青葉!待たせたわね」


 その姿を認めた紅葉といずみが駆け寄っていく。


 小さく頷く青葉を見て、ユウは何故かホッとしていた。やはり直に姿を見ると、無事だと分かっていても安心感が違う。それは他の二人も同じだった様で、三人で抱き合いながら、お互いの無事を確認し合っている。




「……青葉、おかえり。お疲れ様」


 後から来たのに妙な言い方だとは思ったが、ユウは青葉の労を労った。


「……ただいま、ユウ」


 それに応えた青葉の髪には、月の型をしたヘアピンが蒼く輝いていた。




「中の様子を見て来るから、三人は少しここで待っていてくれる?知り合いの刑事さんが何人かいると思うから、何があったのか、それとなく聞いて来るわ」


 そう言い残して、紅葉は慣れた様子で黄色いテープが貼られたばかりの建物の中に入って行った。彼女が建物の中に消えると、残された三人は少し離れた場所で大人しく彼女を待つ事にした。


 建物の周りには、いつの間にか人だかりが出来始めている。何事かと集まってきた野次馬の群れである。青葉は何も語らず、その人だかりを、ずっと見つめていた。ユウといずみも黙ったまま、落ち着かない気持ちで紅葉が戻って来るのを待った。


 暫くそうしていると、待ち人が建物から出て来るのが見えた。


 何か、考えに耽っている様子の彼女に「先生!」と、声を掛けると、ユウ達に気が付いた彼女が小走りに駆け寄ってきた。



「どうでした?何か分かりましたか?」


「ええ、どうもこうも…… 火東は、この建物には居なかったみたい」


「え!?警察がチンタラしてる間に、勘づいて逃げられたんじゃないですか?」


 詰め寄るユウに、紅葉が「落ち着いて」と、声を掛ける。


「そうかもしれないけど。けれど……」


「けれど、何ですか?」


「ええ、火東が居たと思われる部屋から、僅かだけど血痕が見つかったらしいの」


 顎に軽く手を当てながら、紅葉は言った。


「それって…… 火東が誰かに襲われた可能性があるって事ですか?それでその後に、拉致されたんですかね?」


「ええ、私はその可能性が高いと考えているわ。内輪揉めか、あるいは裏社会の抗争に巻き込まれたか、それとも……私怨か。理由は分からないけれど、現場の状況から火東が誰かに襲われた後に、拉致されたと考えるのが自然ね」


 その言葉に皆が、顔を見合わせる。


「小野さん…… かなぁ?」


 いずみが、恐る恐るといった様子で紅葉に尋ねた。


 「ええ…… 考えたくはないけれど、その可能性も考えなくてはいけないわね」


 思い返してみれば、小野があの時に見せた事件に対する熱意は並々ならないものがあった。紅葉は彼の刑事としての使命がそうさせていると感じていたが、私怨の可能性も十分にあり得るのではないのだろうか?

 

 しかし―― 紅葉は、悔しそうに言葉を噤んだ。



「でも、これ以上は手詰まり。火東の行った先に、全く心当たりがないもの」


 確かに、そうだった。自ら逃げ出したにしても、誰かに連れ去られたにしても、行った先に見当がつかない。



 皆が押し黙っていた時だ。青葉が、スッと野次馬の一角に指を指した。


「………あの子、何か知っているみたいです」


「あの子?」


 青葉が指さす方を見ても、野次馬の人だかりがあるだけで子供の姿など在りはしなかった。


「ユウ、ここに来て下さい。あなたなら視えます」


 手招きされたユウが、青葉へと近付いていく。手が届く距離まで近づくと、青葉は両手で包み込む様にユウを引き寄せ、自分の頬をユウの頬にくっつけた。



「うぇ!? あ、青葉ちゃ……ん?」


「……あなた達、何のつもりなの?」



 くっつき合った二人を見止めた、いずみと紅葉は、あまりのショックに言葉が上手く出て来なかった。


「こうすれば、ユウにも視えますから……」


 と、しれっと答える青葉。

 そして、瞳を潤ませながら何いってるの!?この娘!?と、心の中でツッコミを入れる二人。


「コ、コホン…… あ、青葉、いい?よく聞きなさい。それは自分の立場を利用した完全なセクハラ行為よ。部長としても、姉としても、一人の女としても容認出来ないわ。今すぐ、彼から離れなさい」


 紅葉は、必死に青葉を引き離しに掛かった。


「シッ! 先生、静かにして下さい! ………視える。確かに男の子が視えます。こっちに手を振ってる。何か伝えようとしてます」


 だが肝心の彼は気にしている様子もなく、青葉から頬を離すと「……大丈夫。もう離れても視えてる」と、言って野次馬達の方に一人でさっさと歩いて行ってしまった。それに続いて歩き出す青葉。そんな二人の姿を、紅葉といずみは茫然と見つめていた。


「あ、青葉!ちょっと待ちなさい!あんな事しなくても、指先で軽く触れるだけで、如月君になら視せられたんじゃないのかしら!?」


 我に返った紅葉が慌てて青葉を窘めると、返ってきたのは締まりのないフニャケきった妹の顔だった。


「あの方が、気分が出ると思うんです……」



 何の気分よ!!


 もちろん残された二人が、同時に心の中でツッコミを入れたのは言うまでもない。









 ブラインドが下ろされた暗い室内で、火東は目を覚ました。


 ………ここは、どこだ?


 まだフラつく意識の中で、自分の置かれた状況を理解しようと思考を巡らせる。


 どうやら体は椅子に縛り付けられていて、動かす事が出来ないようだ。


 その時、「ようやくお目覚めですか、火東課長」と、聞き慣れた声が聞こえた。


 カチッと音がして部屋に灯りが灯されると、話し掛けてきた男は手に持った電子ランタンを近くのテーブルに置いた。

 ランタンはとても明るく、昼白色に室内を照らし出している。その眩しさに目を細めながら、火東は目の前の自分の部下に質問した。 



「……小野。貴様、どういうつもりだ?」


「どういうつもりも何も、あなたを助けてあげたんじゃないですか、火東さん。

そうでなければ、今頃あなたは元部下の刑事達に連行されてましたよ」


 悪びれた様子もなく、しれっと話す小野に火東は怒りをぶつけた。


「何で私が連行されるんだっ!!今すぐ、この縄を解け、小野っ!!」


 そんな火東の様子を、小野が冷めた目で見つめている。


「あなたの囲っていた連中は皆、逮捕されましたよ火東さん。そして、この10年間のあんたの悪事を次々と自供している。だからあんたにも直ぐに、逮捕状が出されるんだよ。 ……もう、あんたの人生は終わったんだ」


「なっ!何を言ってるんだ、君は! ……そ、そんな筈が、ある訳がないだろう!」


 そう言いながらも、火東は動揺を隠せなかった。


 ………落ち着け、あいつらが口を割る筈はない。

 俺はずっと、あいつらを恐怖で支配してきた。そんな簡単に、あいつらが自供する筈がないんだ。………落ち着け。


「まあ、聞いて下さい火東課長。グループの中心メンバーだった二人が、全部話すと言ってましてね。ヤクザの方は、あなたより怖い存在が出来たみたいでしたね。……例えば、裏社会の中心人物とか、ね」


「なっ……!」


 何で、そんな連中が絡んでくるんだ?小野の一言で、火東の頭の中は完全にパニックになってしまった。


「それから、もう一人の戦闘マニアの方は何だか心を入れ替えたみたいでしたよ?」



「さ、さっきから!君は何の話をしているんだ?私には、サッパリ……?」



「頭、悪りぃな。いい加減分かれ、クソじじい!」


 ビクリ……!

 その時、予想もしていない方向から声がして、顔を向けた火東。



「………しょ、翔子?」



 そこには、何故か天井を見つめながら佇む水崎翔子の姿があった。

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