第32話 もう一人の家人
黒木青葉は暫くの間ユウをじっと見つめてから、コクリと頷き金森の方へと歩いていった。
「青葉ちゃん!おじゃましてまーす」
明るく挨拶する金森に、いらっしゃいと返事を返す青葉。紅葉と車椅子を押すのを交代すると、二人は奥へと進んでいく。そこへユウの元へと戻ってきた紅葉が言った。
「ふふっ、やっぱりあの子、如月くんのことを気に入ったみたい」
「何処がです?声すら発していませんけど?」
「ちゃんと頷いていたじゃない。気に入ってなかったら、絶対あり得ないわ」
そしてそれは光栄ですね、とユウが溜め息を返した時だ。廊下の奥からチャチャチャと何かが歩いてくる音が聞えてきた。ユウはその音に聞き覚えがあった。その音は木製の床の上を爪のある動物が歩く音。もっと具体的に言えば犬が床の上を歩く足音だ。
足音へと視線を向けると廊下の向こうから、一匹の小さな犬が歩いてくる。
黒毛のロングコートチワワ。黒のベースカラーに口回りと胸元が白く、眉毛部分にも白と黄褐色の差し色が入っている。
……確か、ブラックタンっていったっけか?
ユウはどこで知ったのか忘れてしまった知識を思い出しながら、その小さな犬が近づいてくるのを立ち止まって待っていた。そしてユウから2~3メートル先で、そのチワワも立ち止まる。
「はじめまして如月ユウです。お邪魔してます」
しゃがんで膝を付きながら、この小さな家人(かじん)に挨拶をした。するとその家人は、暫くじっと見つめた後でゆっくりと近付いてきて、来訪者の匂いを嗅いだ。 そして徐にちょこんと膝の上に乗ると、その小さな体を預けてきたのだ。
しばらく待ってみたが、どうも動いてくれそうにない。仕方が無いのでユウは優しく抱きしめながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……驚いたわね。この子がいずみちゃんと家族以外に懐いたのは初めてなのよ」
「そう、なんですか?」
少し困り顔のユウに、丸くしていた鳶色の瞳を細めたその人は意味深な笑顔を向けてきた。
「ふふっ、貴方は女の子だけじゃなくて犬にも好かれるのね」
そして何か誤解を与えそうな台詞を言う。ここは抗議の一言くらい口にしてもいい場面だ。しかしユウのそんな複雑な心境は既にお見通しだったのだろう。その人は楽し気な笑顔にコロリと変わって、その小さな家人を紹介してくれた。
「紹介するわね。私たち家族と一緒に、この家で暮らしている犬のイヌさん」
「……はい?」
「ふふっ、だからチワワのイヌさんよ。ヌの部分にアクセントをおくのがポイントなの」
「イヌさんですか?」
「ええ、そうよ。ふふっ、よしくね如月君!」
そしてその人が今度みせたのは、悪戯好きの子供みたいな笑顔だった。
紅葉に案内されたのは、家人が日常の生活スペースに使用している大きな部屋だった。テレビやソファー、キッチンなどがあり、長方形の大きなテーブルが置いてある。
要するに、リビングルームである。ただ、さすが寺院と繋がっているだけあって、和室。正確には和モダンスタイルのリビングルームだ。
障子を通して、外からの光が優しく室内に注いでいて、洋室とは違う独特の清潔感を感じさせる。
紅葉とユウが室内に入ると、青葉と金森が沢山の料理を、テーブルに運んでいるところだった。
ユウに抱かれいるイヌさんに気付がついて、金森が声を掛けてきた。
「イヌさん、久しぶり!元気にしてた?」
……どうやらイヌさんと言う名前は、本当だったらしい。紅葉に担がれているとばかり思っていたユウは、正直いって驚いた。
青葉はいつもより大きい目でイヌさんを見つめていたが、ユウの視線に気が付くと慌てて視線を逸らした。
「ふふっイヌさんは、すっかり如月君のことが気に入ったものね。素直にそれを表現しているあなたは偉いわ。素直じゃない誰かさんにも、見習ってもらいたいくらい」
紅葉のその言葉に、青葉と金森の動きがピタリと止まる。そして暫くするとまるで何も聞こえていなかったかの様に、またいそいそとした歓迎会の準備に戻っていった。
「イヌさん。ちょっと御免な。俺も皆を、手伝いたいんだ」
ユウもそう断りを入れてから、イヌさんを床に優しく下して準備を手伝い始めた。そして一通りの料理がテーブルに並ぶと、紅葉が皆に声を掛けた。
「皆、手伝ってくれてありがとう。それじゃあ、如月君の歓迎会を始めましょう。席に座って」
その声を合図に、各々席に座る。紅葉と青葉が隣り合い、その向かいにユウと金森が座った。
「では如月君、オカルト研究部へようこそ。これからの活躍を期待しているわ。乾杯!」
そして紅葉の発声の元、歓迎会が始まった。
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