44. 歪な正方形
撮影に復帰した翌日の午後ウミが飛び入りでやってきた。出来上がった曲を監督に聴いてもらうためだという。
撮影に使っている建物の一階の広間で、ウミは1番初めに私に声をかけた。
「メイド服よく似合ってる」
「そりゃどうも」
「日本のメイド喫茶で働いたら? 凄くウケると思う」
「それはやめとく」
メイド喫茶というのがどのようなものかよく分からないが、この無愛想な私に接客業がつとまるとは思えない。
「あ、そうだ」
私は途中駐車場に立ち寄り、昨日の帰りに買ったウミへのプレゼントを車のトランクから取り出して渡した。最新型のワイヤレスヘッドフォンをウミは思いの外喜んでくれた。
「これ欲しかったんだ、ありがとう」
「この間のゲーム機のお返し」
「別にお返しなんていいのに」
「いや、だっていつもお世話になりまくってるしさ。この間も泊めてもらったし」
「あなただから泊めるんであって……」
そこまで話したところで猛スピードで赤い車が走ってきて、ウミは危うく轢かれそうになった私の腕を掴んで自分の方に引き寄せた。
「危ないな、誰だよ」
ウミは舌打ちをしながら乱暴に注射した車を睨み、遅刻したニコルが降りてくると「あいつか」と苦い表情でつぶやく。
素早く踵を返し歩き出したウミに続いて私も駐車場から立ち去った。
帰るのかと思いきやウミはそのあとしばらく撮影を見学した。友人に演じている姿を見られるのは気恥ずかしかったが、なるべくいつも通りにしようと努めた。皆ウミに話しかけたいが怖気付いている様子で、私が彼女と普通に話していることが信じられない様子だった。
「あいつって笑うんだね」
中庭で坐禅を組んでいたらニコルが突然背後から声をかけてきた。無我の境地に辿り着きかけていたときに声をかけられるのは、非常に心臓に悪い。
「いたんだ……」
「ウミが私と話してるときに笑ってんのとか一度も見たことない。一緒にいても話聞いてんのかどうかも分かんないし。やっぱ気に入られてんだよ、あんた」
意味深な笑みを浮かべる彼女がもし私がウミからゲーム機を貰ったことを知ったら、きっと『ミザリー』に出てくる女看護師アニー並みに恐ろしい形相で怒り狂うに違いない。何だかんだ言いながらニコルは今でもウミのことを引きずっているのだ。でなければこんなに頻繁に元恋人の話題を出すはずがない。
そこにジョーダンがスキップでやってきた。
「相変わらずクールねー、ウミは。私でも惚れちゃいそうだわ」
ジョーダンの目は少女のように輝いている。ニコルと二人きりの微妙な空気感に耐えられなかったので、ジョーダンが来てくれたことに心から感謝した。
「クールなのが見た目だけならいいけどあいつは心もクールだから。騙されちゃダメだよ」
ニコルが口の端を吊り上げる。
「あら、心がクールってのも魅力的じゃない」
「冷たい中に優しさがあるからこそ魅力的なんじゃない。あいつは興味ない奴にはとことん冷たい、ドライなの」
やさぐれたように返答するニコル。そもそも今のところ優しい要素皆無の彼女に言えたことではない。
「ドライといえば……。昨日タケオがチャドに話したのよ、脚本の変更のことと映画のラストをミュージカルにしたらいいんじゃないかってこと。そしたらあっさりOKもらえたらしいわ!」
ドライという単語とは全く関係のない話を切り出したジョーダンに向かって、ニコルはあからさまに顔を顰める。
「マジでやんの? ミュージカル。絶対嫌なんだけど」
ニコルも私も唯一この部分でのみ意見が合致しているらしい。私もミュージカルエンドは大反対だ。
「私も反対」
「だけどもう決まっちゃったわ」とジョーダンは余裕の表情を見せる。
ミュージカルにするくらいなら無声映画にした方がまだマシだし、下手したらミュージカル以上にインパクトがある。
「ミュージカルやるくらいならチャップリンみたいな無声映画にした方がいい」
抗議をしたらニコルの眉間の皺が余計に濃くなった。
「それもそれでおかしくない? 最後いきなり役者が皆何も喋んなくなったら凄い不自然よ。観客が『何これ?』 ってなって全然内容頭に入ってこなくなるわ」
「確かにね」とジョーダンは頷く。言われてみればそうだ。
「そうそう、それでチャドがそのミュージカル用に使う曲をブルーベルに書いてもらえないかって交渉するらしいわ」
ジョーダンがまた目を輝かせた。
「ブルーベルに?!」
「ええ」
ウミといいブルーベルといい、チャドはどれだけのビッグネームを使うつもりなのか。そしていつの間にこんなに話が進んでいたのか。もうミュージカルエンドから逃れる術はないのだろうか。私は頭を抱えた。
撮影が終わり帰り際、ニコルとウミが裏庭で深刻な雰囲気で話をしているのが目に入った。ニコルは何やら感情的に捲し立てているが、ウミはニコルに見たこともないような冷たい表情を向け、早くこの話を終わらせたいと思っているかのようだった。立ち去るニコルの目には涙が浮かんでいた。ウミは短めの髪を気怠そうに掻き上げ大きくため息をついた。
躊躇いながら近づいていくと、ウミはうんざりした顔で「こんなことばっかだよ」と吐き捨てた。
「モテる女は辛いね」
少しでもウミの気分を和らげようとミシェルと同じ台詞をかけたがウミは否定も肯定もせず、微かに顔を歪ませただけだった。
「彼女と付き合いたいわけじゃなかった。友達に連れられてパーティーにやってきて、連絡先教えろってしつこかったから教えた。言われるがまま仕方なく付き合ってみたけどやっぱり無理だった。好きでもない相手から求められれば求められるほど、重荷になって逃げたくなる。早くこんな関係終わってしまえばいいって思う」
聞いてもいない馴れ初めから別れるまでの経緯を話すウミの目は、全く興味のない集中講義を3時間聴かなければいけない時のように虚ろだ。
ウミを責める資格は、彼女と同じようなことを繰り返してきた私にはない。ウミの冷たさは内面の冷たさというよりかは、相手に対する関心の薄さから来ていることも理解出来る。一方で、わずかながらであるがニコルに対する同情もおぼえる。彼女のことが好きなわけでは決してない。だがお互いの矢印が重なり合わなかったというだけで、彼女は彼女なりに一途にウミを思っていて、その気持ちがウミにとっては重いと感じるような行動に繋がってしまった。結果ウミの心を余計に遠ざけることとなってしまったのだろう。
「あなただったら良かったのに」
ウミがつぶやく。彼女は遠くを見たまま言葉を紡ぐ。
「告白して来たのが、あなただったら良かった」
「何じゃそりゃ」
「だけど分かるんだ」
ウミはどこか悲しげな表情で続ける。
「あなたは私を好きにならないって」
言葉を返すことができずただ立ち尽くす私にウミの視線が向けられる。友人は諦めと悲しみの入り混じった表情で微笑んでいる。
「変だよな。自分が好きな相手には振り向いてもらえない癖に、興味のない人間にばかり好かれる。本当に欲しい物は手に入らない。例え相手のために全てを捨ててもいいと思うくらいに愛していたとしても」
ウミの言葉はただ胸を締め付けるばかりだ。なぜウミは私なのか。そして、私はなぜルーシーなのか。なぜルーシーはブルーベルで、そのどれもが叶わぬ恋なのか。きっとこれも、どれだけ探しても答えが見つからない問いの一つだ。
「あなたの気持ちへの答えになるのかは分からないけど……」
私は口を開いた。ここで何かを言わなくては、ウミは苦しい心を抱えたままだろう。
「あなたといると凄く救われる。あなたは私の同志だし分かり合える大切な仲間だよ。気持ちはすごく嬉しいし、逆に何で私なのかな? とも思う。でもそんなの誰にも分らない。分かってるのは、今あなたが伝えてくれた気持ちだけ」
ウミの瞳から涙がこぼれる。それは自分の思いが叶わぬことを確信した失望の涙なのか、もしくはこれまで抑えていた感情の結晶か。
ウミの両腕が私を強く抱きしめる。啜り泣きが耳の中で切なく木霊する。
「もう何も言わないでくれ」
言葉の続きを聞くことを拒否するように、ウミの震える声が言う。
ああ、私はまた人を泣かせている。この間は両親を泣かせて、ルーシーのことも泣かせて、今度はウミを泣かせている。子供の頃は誰かを泣かせることは悪いことだと思っていた。近所の子供を公園で意図せずに泣かせてしまったとき、見ていた母にこっぴどく叱られた。今回はきっと誰も悪くない。それなのに、こんなに罪悪感が湧き出てくるのは何故なのか。
きっと私もウミのことが大切なのだ。その大切はウミとは違う色と形をしているけれど。
ごめんという言葉が口をついて出そうになる。だがここで謝ることはかえって目の前の友人を傷つけることになりはしまいか。それならどのような言葉をかけることが適切なのか。
「私にも好きな人がいるんだ」
私は言った。ウミは私からゆっくりと手を離し、涙で滲んだ瞳を向けた。その瞳から発せられる悲しみの色は先ほどよりも濃い。
「だけどその人には忘れられない人がいる。つまり片想いなわけ。だけどそれでもいいの。カッコつけたことを言ってしまえば、その人が悲しんでなければそれでいいっていうか。私を笑いのネタにでもして楽しんでくれてればいいとすら思う」
「羨ましいね、あなたに思ってもらえるその人は」
ウミはまた寂しげに笑う。
「気持ちが交わることってなかなかないんだよ。交わるかどうかよりも、それまでの過程が大切なのかも」
恋愛についての自分の考えをこうして話すことになるなんて、半年前の私には考えられないことだった。そのあとで笑顔を作って締め括った。
「とりあえず、これからも仲良くしてちょうだい」
肩を強めに叩くと、ウミは痛い、と声を上げ少しだけ綻んだ顔を見せた。
ウミと別れ駐車場に向かうと、私の車の隣に停められた赤の軽自動車の中で泣いているニコルの姿が目に入った。一瞬躊躇ったのち勝手に彼女の車の助手席のドアを開けシートに滑り込んだ。ニコルは驚いた表情を浮かべたあと非難がましい視線を私に向けた。
「人の車に勝手に乗り込んでくるってどういう神経してんの?」
相手は泣き顔を見られた恥ずかしさからかバツが悪そうな顔をしている。彼女はダッシュボードの上に貼り付けられたアヒルのティッシュボックスからティッシュを2枚取り出して、勢いよく鼻を噛んだ。
「ウミに告られた。だけど付き合わない」
真っ直ぐ前を見たまま端的に先ほどの出来事について述べると、ニコルは案の定不愉快そうに眉を顰めた。
「わざわざ自慢しに来たわけ? アイツに振られた私にマウントとってるつもりなら……」
「何、マウントって?」
「マウントっていうのは、相手に自分のほうが上だって思わせるような言動をとること。てかあんたそんなのも知らないの? まずググれや」
いつもの挑発的な態度で言ったあとニコルは大きくため息をついた。
「馬鹿みたいだよね……今更ウミのことを責めたって何にもならないのに。かえって呆れられるだけなのにさ……。顔を見ると何か言わずにはいられない。だけど改めて分かった。アイツは私に全く興味がない。まるでその辺の木や土を見るように私を見てる。下手したらそれ以下かも」
「私はあなたのことが好きじゃない」
心の悪い感情フォルダに溜め込まれた気持ちをゴミ箱行きにするように、そんな言葉を吐く。
「私のことをのっぺらぼうと言ったり、ウミのことをあれこれ言ってくるのも頭に来てた。だけどあなたにも心はある。ウミだってそう。愛されたいって思ったり、逆に憎んだり、寂しさやストレスからアルコールや覚醒剤や大麻に縋ってみたり、全身に訳の分かんないタトゥー彫りまくったりする」
「覚醒剤とかタトゥーとかやってないけど」
ニコルが怪訝な顔を浮かべる。
「例え話よ。人って複雑な生き物だから、人間同士が愛し合うとか分かり合うって簡単じゃないのよ。あなたと私は一生分かり合えないかもしれない。だけどこれだけは言える」
私はニコルの目を真っ直ぐに見つめた。
「私とあなたはある一点では分かり合ってる。そう、映画のラストをミュージカルにしたくないという点で」
「結局それ言いに来たわけ?」
呆れたように鼻で笑うニコルの目にすでに涙はない。
「ええ、それ以外に何があるっていうの?」
「あんたと真剣に話した私が馬鹿だったわ」と脱力感を露わにするニコル。
「とりあえず話を聞いて。明日チャドを何とかして説得しましょう。このままでは私は、世界に向けて無様なダンスを披露することになるわ」
「ダンスよりも私は歌が嫌なのよ、昔音痴だって笑われたの」
苦笑いを浮かべる彼女にも私と同じように苦手なことと傷ついた過去があることに、少しばかり親近感をおぼえた。
「じゃあ決まり。明日朝イチでチャドを説得するってことで」
私は一方的に言ってニコルの返事も待たずに車を降りた。
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