お花畑転生娘とリアルな世界

 ミラが数か月ぶりにさっぱりした身体の感触に戸惑っているうちにマリーローズはほかほかと湯気の立つお椀を持ってきた。


「かなり身体が弱ってるみたいなので、今朝はお粥にしましたよ。自分で食べられますか?」


 机に置かれたトレーには細かく刻んだ野菜の入ったドロリとした粥がなみなみと盛られている。囚人食なんて何を食べさせられるかわかったものではないと思いつつ、空腹には耐えかねて恐る恐る一さじ口にすると、驚きに目をみはった。


「おいしい……」


 鳥ガラか何かだろうか? しっかりと出汁の効いたスープで柔らかく煮込まれた燕麦粥オートミールはとても優しい味わいで、いくらでも食べられそうだ。思わずがっつくように平らげると、ようやく空腹がおさまった。お腹がいっぱいなんて感覚はいったい何か月ぶりだろう?


「あら、お口に合いませんでしたか?」


 困り顔のマリーローズに訊かれて気が付くと、なぜか頬が濡れていた。いつの間にか涙を流していたらしい。


「……どうして……」


「どうしました?」


「どうしてこんなに親切にしてくれるの? 傷だって治してくれてもうどこも痛くないし、身体も綺麗にしてくれて……身体を拭くのがこんなに気持ちいいってすっかり忘れてた。食べ物だって、あたしが食べやすいものをわざわざ作ってくれたんでしょ? あんまり覚えてないけど昨日は食べさせてくれたみたいだし」


「それが私の仕事ですから」


 穏やかに微笑んで答えるマリーローズにミラは苦笑する。たしかにコイツはそんな奴だ。

ガチガチに頭が固くて、守らねばならない規則は意地でも守る。たとえそのせいで自分がひどい目に遭ったとしても、コイツは私情を挟むこともルールを曲げることもしないのだ。

 決してあたしへの思いやりとか同情ではあり得ない。


「それに、目の前に一晩中うなされて寝汗をぐっしょりかいている女の子がいたら、誰だって身体を清めてあげようとするものでしょう? それが人間っていうものですから」


 不意打ちだった。


「人間……?女の子……? あたしはみんなに嫌われて、恨まれて、憎まれて、ただただ処刑されるのを待っているだけの罪人なのに?」


「当然ですよ。貴女はこの世界の人間で、だからこそこの世界の法で裁かれ、この世界の人間として処刑されるんです。少なくとも私は最期のその瞬間まで貴女を人間として扱い、人間として処刑しますよ」


「あたしが、この世界の、人間……」


 思ってもみない言葉だった。

 ここは乙女ゲームの中で、ここに住む人々は自分と同じ人間ではなくてゲームのキャラクター。

そう思っていたのに。そしてそのキャラクターたちに悪魔か悪いケダモノのように扱われていたのに。


 この女はあたしを自分と同じ人間として扱っている。よりによって、あたしに恨みこそあれ、好意などかけらも持ちようのないはずのこの女が。

 こいつにとってあたしは大切な親友をむごい方法で処刑させた張本人。妹の死だってあたしのせいだと思っていてもおかしくないはずなのに。


 昼食はマリーローズの部下だと名乗る男性が届けてくれた。

 この人も自分から何か話しかけてくるわけではないが、終始穏やかな態度で何か尋ねると丁寧に答えてくれた。しかも余計なことは何も言わない。ここの看守はなぜこんなに柔和で親切なのだろうか?


 自分はまぎれもないこの世界の人間で、だからこそこの世界の法で裁かれ、この世界の人間として処刑される。マリーローズの当たり前のようでいて当たり前ではない言葉を思い起こし、ミラは呆然とする。


「あたしが、この世界の、人間……」


 無意識のうちに呟いた言葉が独房内の空気にふわりと広がって消え……その意味が心のなかにじわじわと浸み込んでくる。


「あたしも、この世界の人間……人間として、扱われている」


 それは世界そのものの見え方が変わるような、そんな衝撃だった。

 自分の呟きが脳と心にしみ入ると共に、ただ呆然と見開かれていただけの虚ろな瞳に光が戻っていく。死人のようだった顔色にわずかに血色が戻ると、そこにさっと朝日が差し込んだ。降り注ぐ


 今の今まで自分はこの世界をあくまで乙女ゲームの中のものとしか見ていなかった。そしてその中に住む人々は、自分と同じ人間ではなく、あくまでただのキャラクター記号、アイテムと同様のゲーム内のオブジェクトという認識だ。

 そんなキャラクターただの記号たちに特別なヒロインである自分が断罪され処刑されることになって、あまりの惨めさに理不尽だと怒りを覚えていたのだ。


 しかし、その『キャラクター』たちが本当はゲーム内の自動的に動くだけの記号ではなく、自分の意思と感情を持った「生身の人間」だったとしたら……自分の目的のためだけにたぶらかし、恋心を利用して掌で転がすように操ったり、あるいは陥れて悲惨な末路を迎える姿を楽しんでいた自分は、いったい何なんだろう?


 自分がなぜ『キャラクター』たちに鬼か悪魔であるかのような扱いを受けているのか、ようやくわかったような気がする。わからないままの方が楽だったような気もするのだけど。

 それでも、全く知らない、解らないまま死ぬよりずっとマシだと心の深いところで感じるのだ。


 足元がグラグラと崩れていくような衝撃と心細さを感じながらも、その一方で妙に納得が行ったような、あるいは目の前の霧が晴れたような、清々しい気持ちだ。

 自分でもまだハッキリ説明できるわけではないのだけれども、今夜マリーローズがやって来たら、少し話をしてみようか。そう独りごちた彼女の頬に、かすかな笑みが浮かんでいた。

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