お花畑転生娘と孤児院の暮らし

 前世の記憶と意識が目覚めたあと、現代日本人としての自覚を持ったままこの世界で孤児として生きるのはすさまじく辛かった。

 前世では学校内の上位グループの中心だった。チア部のキャプテンの彼女は男女問わずみんなの憧れの的。ミスコンは毎年優勝したし、成績だって上の方。みんな彼女の機嫌をとって少しでも好かれようと必死だった。


 それが、この世界では取るに足らないただの孤児。生きていても死んでしまっても誰も気に留めない。人一倍承認欲求が強く、プライドの高い彼女にとって、虫けら以下の存在として扱われることは我慢ならない日々だったのだ。


 しかも、日々の生活の不便なことときたら……。

 毎朝、夜明け前に起きて井戸まで水を汲みに行く。いっぱいに水が入った桶はやせ細った小さな身体にはずしりと重く、こぼさないように運ぶのは一苦労だ。両手がちぎれそうになりながらも台所まで運び込むと、大きな水がめに移す。それを三回ほど繰り返し、ようやく水がめがいっぱいになる頃には東の空が白み始める。


 急いで朝食のかゆを煮なければならないが、その前にかまどの火をおこさねば。


「やだ。種火を消しちゃったの誰よ……」


 よく乾いたたきぎを選んでかまどに突っ込むと、麦わらに火打石で種火をともし、ふいごでしっかりと空気を送る。充分な空気を送り込めないと不完全燃焼を起こして中毒死することもあるので、料理が終わるまで気を抜かずにしっかりと火を見張る必要があるのだ。


「もう腕がくたくた」


 幼い身体で大きなふいごを動かし続けるのは重労働。火が安定してからも、かゆが焦げ付かないように大鍋をずっとかき混ぜ続けなければならない。朝食ができる頃には腕が棒のように重くてとても自分の身体とは思えなくなっている。すっかりと疲れ果て、満足に食べることもできない日も多かった。


「おなかすいた……なんで……」


 夜だって安息の時間ではない。夏はいたるところに虫がわき、シラミやダニが体じゅう食らいついては血をすするので、あまりのかゆみについかきむしってしまう。冬は寒さで凍え死なないようにするのがせいいっぱい。自分と同様にみすぼらしい孤児仲間と身を寄せ合って同じ布団で眠りながら、明日の朝には誰かが冷たくなっているのではないかと不安で、とうてい熟睡できない。


「かゆい……寒い……なんでこんな目に……」


 洗いものも洗濯ものも、洗顔だって使えるのは冷たい井戸水だけ。夏はともかく、真冬は凍り付きそうな寒さの中で氷のように冷たい水を使うので、いつも手はひび割れだらけで血がにじんでいた。


「また血が出ちゃった……痛い……」


 油を塗れば早く治ると耳にするが、そんなものは食べる分だけで精いっぱい。夜の明かりですら足りずに真っ暗な中で暮らしているのだ。肌の手入れのために消費する余裕なんてあろうはずがない。

 傷だらけの身体はあちこちが膿んで異様なにおいをはなっている。


「なんで……なんでこのあたしがこんな目に合わなくちゃならないの!? あたしが、あたしこそがヒロインなのに……っ!!」

 

 前世で誰もがうらやむ美少女でいられたのは、いつだって自分を美しく磨き上げていたから。生まれ持っての美しさは当然のことながら、不断の努力こそが自分を輝かせていたのだ。美容の知識に適度な運動、高価な化粧品と美容のためだけにかけられるたっぷりの時間。それらの投資が美しさという価値を生んでいた。

 でも、この世界では、美を磨く努力ができるなんて貴族や富豪だけの特権だ。時間も手間も金も……何もかも足りない。貧しい孤児の自分には、とうてい手が届くものではないのだ。


 こんなガサガサで傷だらけのみっともない手を握りたがる貴族の男性はいないだろう。栄養失調のせいでガリガリにやせた身体に、張りのないくすんだ肌。汚れて何色なのかわからないようなゴワゴワの髪。あちこち傷だけ、膿だらけで滅多に身を清めることもできないため、身じゅうからいやなにおいがしている。どこを取ってもみすぼらしく、平凡以下の小汚い子供でしかない。


 それでも耐えられたのは「自分こそがこの世界のヒロインである」という矜持のみ。

 この国で唯一の治癒魔法の使い手として大切に保護され、誰もが羨むような社会的地位のあるイケメンたちにかしずかれ、『救国の乙女』として崇めたたえられる。そんな未来が確定していると思えばこそ、あの泥水をすするような惨めな日々を乗り越えることができたのだ。


 そして十二歳で治癒魔法を使えることがわかるとすぐ、その土地の領主であったアピリスティア男爵家に保護された。それから三年間というもの、貴族令嬢が受ける基本教育を受けながら教会の施療院で治癒魔法を使い続けて力を磨いたのだ。

 高校生だった前世では容姿と要領の良さに頼りきりで勉強には不熱心だったミラにとって、厳しい令嬢教育も辛いものだった。しかしその後に待っているめくるめくお姫様生活を思ってなんとか頑張れたのだ。


 十五歳で学園に入学してからは、ゲームを忠実に再現するためにあらゆる努力を尽くした。それなのに……今の自分のありさまときたら。


『もし本当にゲームの内容をそのまま再現しなければならないのであれば、貴女は失敗してますよね?』


 マリーローズの言葉が脳裏をよぎる。


「あたし、一体どこで間違えちゃったんだろう……」


 力なくつぶやいたミラの言葉は、牢の天井にむなしく吸い込まれていった。


乙女ゲームユリコー」を再現しようと躍起になっている間は自分がゲームクリアする事だけで頭がいっぱいで、この世界のほかの住人のことなど全く気にも留めなかった。

 しかし、自分がこの世界に転生した目的が「異世界の人間がこの停滞した世界を救う」ことであるならば、ゲームクリアよりもこの世界の住人たちの方が大事だったのではないか?

 今更ながらに自分が目的と手段を履き違えてしまっていたことに気付いたのだ。


「だからこんなバッドエンドになっちゃったのかな……」


  拘束されてから判決が出るまではこれは何かの間違いバグだ、必ず誰かの助けバグ修正があるはずだと信じていた。


 しかし大監獄に収監されて人心地ついてからゆっくり過去を思い起こすと、今さら誰かが助けに来るとは思えない。


「あたし、女神さまからの使命を果たせなかったんだ。だから罰としてこんな目に遭ってるんだ……」


  言葉にしてしまうと残り数日の生命しかない我が身が惨めで、思わず涙が零れる。今になってようやく気付いた。自分は手段を目的と履き違え、ゲームをクリアすることだけを追い求めていたのだと。

 いや、男たちに崇められライバル役の令嬢たちに悲惨な末路を辿らせることにこだわるあまり、ゲームの物語すらも無視してしまっていたのではないか。そこまでして自分は何を求めていたのだろうか。

 そういった間違いの積み重ねが今のバッドエンドに繋がっているのだろう。


  それでもミラは未だに自分が陥れたり、討伐と称して生命を奪ってきた人々に思いを巡らすことができてはいない。

 彼女にとってはこの世界はあくまでゲーム『白百合の乙女は鮮紅の夜明けを招くユリコー』の中であり、この世界の住人は自分と同じ人間ではなく、モブかNPCだという感覚が抜けきっていないのだ。


「女神さまの使命に失敗したから、こんな革命亡国エンドなんてことになっちゃったんだ……」


  ミラは未だに乙女ゲームユリコーの世界から抜け出せてはいない。

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