メルとルーの美食巡礼(ガストロノミー)
柏木サトシ
第一章 巡礼の魔法使いと少女とオムライス
第1話 豪華列車でお食事を
ガストロノミー……食道楽や美食を表すその言葉は、昨今では食事と文化の関係を考察することを示すことが多い。
だが、その定義は曖昧で、人によって解答が違ってくるのでどれが正解で、どれが不正解というものはない。
ただ一つ言えることは、食事は人々の生活にとって欠かせないものであり、食事を追及することで社会や環境が大いに発展したことは間違いない。
故に自分たちを豊かにするために、人々は美食を求めるのである。
そしてここにまた一組、まだ見ぬ美食を求めて異世界へと旅立つ二人の少女たちがいた。
※
分厚い肉の塊が熱々に熱せられた鉄板の上へゆっくりと、寝かすように置かれる。
油を敷いていなくとも、たっぷりと油を内包した肉はパチパチと心地良い音を響かせながら赤い身を徐々に褐色に染めていく。
肉が奏でる音が変わってから裏返すと、赤色から褐色に化粧を施された見事な焼き色が姿を現す。
そこへ透かさず真っ赤なワインをふりかけると、真っ赤な火柱があがる。
酒の風味や香りを付けるために行うフランベの迫力に、周囲から「おおっ」という感嘆の声が上がる。
その声に、真っ白なコックコートに身を包んだシェフは満更でもない微笑を浮かべると、肉を取り出してホーロー製の器に大切にしまう。
「こうして後は余熱で火を入れていき、その間にソースを作ります」
そう言ってシェフはフライパンを取り出して熱し、薄切りしたにんにくを炒め、続けてたっぷりとバターを入れて焦がさないように混ぜていく。
ニンニクを焦がさないようにしっかりと炒め、塩、コショウ、レモン汁を入れて味を整えたソースを、ホーロー鍋から盛り付け用の鉄板へと移された肉の上へとかける。
途端、ジュージューと胸が躍る音が鳴り響き、食欲をそそるバターとにんにくの濃厚な香りに我慢できる者などいるだろうか? いや、いないだろう。
そのことを重々承知しているシェフは、今にも口から涎が垂れてきそうなほど期待に満ちた目で見ている二人の顧客へと皿をそっと差し出す。
「お待たせしました。ワイルドブルのステーキでございます」
「わあ、ありがとうございます」
ステーキを前に快活な笑みを浮かべてシェフにお礼を言うのは、白いローブを見に纏い、浅黄色のチュニックに太ももまで見える赤いショートパンツ姿のまだあどけなさの残る長めのボブカットの少女だった。
「それじゃあ、いただきま~す」
キラキラと輝く銀色の髪に前髪と長く垂れた横髪の一部、そして自己主張するようにぴょこぴょこと動く跳ねた一房の髪だけが黒い特徴的な髪色をした少女が、ステーキにナイフを走らせる。
「わあ、やわらかい」
その言葉通り、滑らかにナイフを走らせてステーキを一口大に切った少女は、大きく口を開けて肉を頬張る。
肉に歯を立てると、驚くほどあっさりと噛み切れると同時に、中からじゅわりと肉汁が溢れ出して来て、少女の頬が蕩けたように緩む。
「う~ん、おいしい。ミディアムレアの絶妙な焼き加減に、バターの濃厚なソースが重なって凄いコクのあるお肉になってる。ほら、ルー姉も食べてみなよ」
「うん、わかったから落ち着いて、メル」
小動物のように目をクリクリと忙しなく動かしている少女、メルを見て笑うのは、エメラルドのような鮮やかな緑色のロングヘアに、男装するかのようなダークグレーのスーツをを着込んだ妙齢の女性、ルーであった。
「それじゃあ、私もいただくとしよう」
大はしゃぎするメルとは対照的に、落ち着いたクールな雰囲気を持つルーは優雅な所作で肉を一口大に切ると、たっぷりとソースを付けて頬張る。
一口噛むごとに広がる濃厚な肉汁に、ルーの顔も自然と緩んでいく。
「……うん、おいしい」
「でしょ? やっぱり最後に余熱で適度に火を通したお肉って、ただ普通に焼くのと柔らかさが全然違うよね」
「職人の技だ」
「うん、でもそれだけじゃないよ。ワイルドブルはイノシシの仲間だけど、平地で豊富な餌を食べているから、山育ちのイノシシと比べて脂肪分がたっぷりなんだよ」
「…………ふ~ん」
「それに味の決め手はこのバターソースとカリっと焼かれたニンニク、ただ全部足しただけだとこってりし過ぎちゃうところに、ほんの少し入ったレモンが……」
「はいはい、わかったわかった」
料理の魅力について熱弁を振るうメルを無視して、ルーは再び肉へと取り掛かろうとする。
しかし、肉にナイフを走らせようとするタイミングで大きな音と共に室内が揺れ、テーブルの上に乗っていた皿や食器が宙に浮く。
「わわっ……」
突然の揺れに対し、メルは慌ててメインディッシュの乗った皿だけは死守するが、食器類は守れず、水の入ったカップやら食器類が地面に落ちて金属音を響かせる。
「……フッ」
一方のルーは、音もなく席を立ったかと思うと目にも止まらぬ速さで次々と皿と食器類を空中でキャッチしていく。
だが、中身がなくなって軽くなったカップが、ルーの腕をするりと抜けて落ちていく。
「ルー姉、カップが……」
「問題ない」
既に両手が塞がっているルーであったが、慌てることなくその場でステップを踏むようにくるりと回る。
すると、地面に落ちる直前でカップが何かに
「……ほら、大丈夫だった」
ホッと一息吐いたルーは、間一髪で拾ったカップをテーブルに置く。
だが、それは皿や食器類を持っている手ではなく、ルーの臀部から生えている髪色と同じ鮮やかなグリーンの鱗が付いた部位、尻尾だった。
「もう、ルー姉……行儀悪いよ」
「何を言う、この尻尾も私の……ドラゴンとしての立派な一部だよ」
そう言って愛おしそうに尻尾を抱くルーは人ではなく、
そんな出会うことも珍しい竜人族に周囲の客が奇異の視線を向けてくるが、ルーは気にした様子もなく先頭車両の方へと目を向ける。
「それよりメル、今の……」
「ちょっと普通の揺れじゃなかったね。不測の事態に準備しておいた方がいいかも……でも、その前に」
「ササッと片付けをして、残ったステーキを味わおう」
「だね」
二人は顔を見合わせて頷くと、無事だった皿をテーブルの上に置き、一先ず散らかった食器類を片付け始める。
「お、お客様、申し訳ございません」
メルとルーが散らかったテーブルを片していると、ステーキを焼いていた鉄板を避難させていたシェフが慌てた様子で駆けてくる。
「お怪我はございませんでしたか? すぐに代わりの料理を……」
「いえいえ、料理は守ったから大丈夫ですよ」
「そ、そうですか、すみませんでした……ああっ、落ちた物の片付けは私共がやりますので」
尚も床に落ちた食器類を拾おうとするメルをシェフは慌てて諫めると、屈んで落ちた物を拾う。
「あの、ちょっといいですか?」
食器をまとめているシェフに、メルが手を上げて質問する。
「普段からあの辺で大きな揺れはあるのですか?」
「いえ、そんなことはありません。ただ、たまに揺れることはありますが、まさかあんなに大きく揺れるとは……」
「う~ん、ひょっとしたら小石か何か落ちていたのかもしれませんね」
「小石って、いやいや、そんなもので……」
「そんなもので大きな事故が起こることもあるんですよ」
一蹴しようとするシェフだったが、メルは真剣な表情のまま確信めいたように言う。
「ですから線路への置き石は、絶対にやっちゃダメなんです」
そう言って窓の外を見るメルの視線の先には、緑豊かな自然が右から左へと高速に流れていくのが見える。
そんなメルたちがいるのは、ガレリア大陸、その初となる港町アクエリアと聖王都エーリアスを結ぶ全長五百キロに及ぶ魔導列車の食堂車だった。
※
緑豊かな森を真っ二つに分けるように真っ直ぐ走る線路の上を、漆黒の鉄の塊が風を切るように走り抜ける。
先頭を走る車両は、煙突からキラキラと輝く光の粒子を吐き出す合計十二の車輪が付いた鉄の塊、最新の魔導機関が組み込まれた魔導機関車だ。
シュッ、シュッ、と小気味のいい音を立てながら進む魔導機関車は、全部で二十もの客車と貨物車を牽引しているにも拘らず、軽快なリズムを崩すことなくかなりの速度で進む。
客車は一等から三等までそれぞれ等級が分かれているが、まだまだ普及しているとは言い難い機関車のチケットは高価で、一般庶民には気軽に手を伸ばせるものではなかった。
つまりこの列車の乗客は、平均して裕福な者が多いということだ。
そして、そういった金が集まる箇所には、それを狙う不届き者が現れるのが世の常であった。
先程、メルたちが食堂車で大きく揺れを感じたのは、置き石ではないがそれに近いものであった。
原因は、魔導機関車が走行する線路上に仕掛けられた罠が発動したためだった。
線路を塞ぐように張り巡らされた網上の罠は一瞬で切れてしまったが、それでも網の先に取り付いた者たちが機関車に取り付くことには成功した。
それはつまり……、
「お前たち、今すぐ金目の物を出せ!」
不届き者たちの登場だった。
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