第7話 野球の本の出版と甲子園大会を目標に
真はオリンピック予選に参加し、タイの実情を認識するにつれて、今後の課題と活動目標が見えてきた。それは、野球人口のすそ野を広げるため「子どもたち」という未来を託すネクストジェネレーションへ野球を普及することと、タイ国内における野球技術の永続的な指導体制を確立することであった。
そのために真は、タイ語による野球の技術書を作成することを決めた。自分がいなくなった後、野球の専門家がいなくても、タイの人たちが自分たちで野球を続けるために欠かせない内容を中心に作成にとりかかった。練習が終わった後に、タイ人のコーチたちに動作を交えながら説明し、正確なタイ語に訳してもらう。
スパーンブリー県に滞在の時から、少しずつ書きはじめたのである。最初はボールの握り方投げ方、取り方、バットの握り方、振り方、野球に必要なトレーニング方法から書き、最後は試合についても言及したが、最も重視したことは基本動作を身につけることであった。
いろんな人に手伝ってもらったが、一番力になってくれたのはブルーさんである。彼はアメリカの留学経験もあり知識の豊富なジェントルマンであった。2001年に参加したアジアAA大会の最も信頼できるコーチとしても同行してもらっている。タイのソフトボール連盟にも所属しており、今なお国内で子どもたちへの指導を続けている。
もう一人、パソコンを使って打ち込み、タイの選手たちをモデルとして撮った写真や野球場道具などさまざまな写真などを入れて制作に携わってくれたのは日系企業の社員で、野球連盟のスタッフ・ジュである。彼女は大変な仕事をいとも簡単にやってのける才女であった。
この2人に無償で手伝ってもらい完成したのは、日本に帰国した翌年の2002年の6月であった。「ファンダメンタルベースボール」と名付けたこの本は、基本的な動作を解説したタイ初の野球の技術本であった。
真はこの本の収益金で、野球場を建設する予定であることをタイアマチュア野球連盟のチャイワット事務局長に託しておいた。後日談ではあるが、残念なことに本は一冊も売れなかった。そこでタイの多くの学校に無料で配布し、野球の普及に使ってもらうことに方向転換したのである。
真はもう1つ目標をかかげた。それは、タイ版「甲子園大会」を開催したいということであった。タイにおける青少年への野球の普及活動の集大成として、全国のチームに参加を呼びかけて野球大会を開催することであった。これも野球の普及活動を展開していく上で大きなモチベーションとなった。
スパーンブリー体育学校で指導をしていても、相手がいない状態では進歩がない。日本人学校との試合を終えて、子どもたちのモチベーションは高まったが長続きはしなかった。そんな彼らの様子を見ていた真は一人いらだちすら感じていた。
キャッチボールの大切さは何度も強調してきた。練習場所が狭いために、全員でボール回しをさせていた。しかし、ダイヤモンドの広さではこれが精一杯の全体練習の1つであった。子どもたちもわかっていたに違いない。しかし、徐々に精度が下がっていった。
そんな子供たちのためにもタイの「甲子園大会」は絶対に必要なものだった。対戦相手がいない問題の解決なくして、この先の野球の発展は望めない。そんな思いが強まった時、野球の普及を多くの人たちへ訴えるまたとないチャンスがめぐってきた。
タイ全土に体育学校は設置されていた。可能な限りそれぞれの地域に野球部を作りたい。しかし、2年間という限られた中でどれだけのチームができるのか。時間との戦いであった。
1999年11月22日から1週間、古都スコータイで体育競技大会が開催された。全国の体育学校が一堂に会するため、真にとっては全ての学校の校長に、野球部創設をアピールする絶好の機会であった。陸上、水泳、サッカー、バレーボール、セパタクロー等、あらゆる種目の競技が行われていた。当然ながらその中には、野球もソフトボールも含まれていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます