第15話: それは、誰にとっての優しさか




 本来、いかなる恩人とはいえ、だ。



 身分や身元が不明の人物が、王族のプライベートエリア(厳密には、少し違うけど)に入れる事はまずない。


 どうしてかって、そこがその国においての中枢であり、城内の造りが分かるだけでも、色々とリスクが発生するからだ。


 つまり、安全性を確保するために、入れる人を制限しているわけである。


 もちろん、表だってお前は信用できないから駄目なんて言ったら角が立つので、格式だとか、身分だとか、色々と言い訳は付いているだろうが……結局は、それが理由である。



 ……で、だ。



 そんな場所にて給仕を行っている者……特に、メイドと呼ばれる人たちもまた、一般人ではない。


 よほどの例外を除いて、それなりの『格』を持つ家柄の娘である。


 だいたいが、まだ嫁ぎ先が決まっていない次女や三女だが、それでも厳しい教育などを受けた淑女である。


 なので、立ち振る舞いの一つひとつが、長年に渡って教育を受けた者特有のソレであり、素人である彼女から見ても、綺麗だなと思えるぐらいであり。



(お~、凄いなあ……エヴァさんのところのメイドさんも凄かったけど、こっちも凄い……)



 国王とエヴァより、直々に案内されるがまま後を付いて行っている彼女は、内心にて感心しきりであった。



 ……が、しかし。同時に、彼女は何度か首を傾げていた。



 その理由は、通り過ぎる際に立ち止まって一礼するメイドさんたち……ではなく、案内してくれている、この状況だ。



 具体的には、周囲に護衛が居ないのだ。



 城内で、王女の下へと向かっているのだから、わざわざ護衛を付けない理由は分かる。傍にはエヴァが居るし、必要ではないと思ったのかもしれない。


 でも、さすがに近衛が1人も居ないというのは、あり得るのだろうか。特に、王位継承の問題が生じているような状況で。


 少なくとも、通り過ぎていくメイドさんたちの中でも、そこが不可解に思ったのか、訝しむ表情を見せた者がいたから、余計に気にかかる。



 あと、普通に盲目でないのが、国王にバレているっぽい。



 いちおう杖を突いて歩いていたが、途中から『普段通りにしてくれ』と言われ、エヴァからも『もう必要無いぞ』と言われたので、杖を使うのを止めたが……国王は僅かも驚いていなかった。


 いや、まあ、エヴァとグルであるならば知っているはずだし、バレているのではなく、始めから知っているっぽいので、特に驚きはしなかったけど。


 でも、こんなにあっさり止めるのならば、この盲目の偽装って何の意味が……それはそれとして、もう一つ。


 ちらり、と。


 通り過ぎていくメイドたち……から、ある程度離れた途端。



『ローエン家のミシスに、バーズロイ家のフレデリカじゃな。そのうち暇を出すので、おまえも口裏を合わせておくのじゃぞ』

『些か、基準が厳しくないかな?』

『ふん、こんな分かりやすいモノに引っ掛かる程度では、地頭も知れておるじゃろう』

『それは、そんな彼女たちの家も含めて、かい?』

『当たり前じゃ、上が白と言えば白、黒と言えば黒。そこに異を覚える者なんぞ、この国にとって邪魔以外の何物でもない。最低限、表面上は隠せという話じゃな』

『前から思っているけど、君ってけっこうえげつない事をするよね。まあ、私も人の事を言えた義理ではないがね』

『誰も彼もが仲良し、お手を繋いで平和に生きていけるほど、この国も、この世界も、豊かではないからのう』

『正直、こういうやり方はあまり好きじゃないのだがな』

『いまさら、じゃろうて。望めば誰もが無限に食糧が手に入り、無限に領土が手に入り、無限に資源が手に入るのであれば、ワシとて暢気に平和に浸っておるのじゃ』

『……やはり、探られているのか?』

『あやつには悪いが、こればかりはどうにも出来ん。まあ、王家の恩人であるのは事実じゃからな、相当な阿呆でない限りはちょっかいを掛ける者は現われんじゃろうな』

『考えれば考えるほどに、申し訳ない……彼女は何一つ悪いことなどしていないのに……』

『それも、いまさらじゃな』



 なにやら、国王とエヴァが囁き合っていた。


 もちろん、二人とも声には出していない。どうやら魔法的なナニカを使用しているらしく、言うなればテレパシーで会話をしているらしい。


 なので、表面上は2人とも、無言のままに歩いているだけだ。表情にも出ていないから、傍目には本当に歩いているだけにしか見えないだろう。



 ……なんで、それが彼女には分かるのかって? 



『──という感じで話し合っていますね』



 彼女の傍にて不可視モードで付いて来ている賢者の書が、逐一彼女にテレパシー的な感じで報告してくれるからである。



(なるほど……まあ、そんなところだとは思いました)

『おや、気に障らないのですか? 貴女、現在進行形で最初から利用されていたわけですよ?』

(もちろん、不快ではありますね。少なくとも、良い気持ちにはなりません)

『ならば、どうしてされるがままに? いくらでもやり返し、出来ますでしょう?』

(やり返して、どうするのですか? 私の気が晴れるだけで、何も生まれませんよ)



 心底不思議で堪らない……そう言わんばかりの問い掛けに、彼女は……内心にて苦笑を零した。



(世界が違っても、国がやる事なんて同じですよ。いえ、国に限らず、組織もまた、やる事は同じです)

『だとしても、貴女だけが、理不尽かつ一方的に我慢を強いられているのを良しとするのですか?』

(この程度でいちいち怒っていたらキリがありません。利用しているのは事実でしょうけど、私へ茶々が入らないようにしてくれているのもまた、事実でございますから)

『……つまらない御方ですね、それでは格下扱いされますよ?』



 そう言われた彼女は、あえて否定せず曖昧に笑うだけに留めた。



『女神様ならば、拳の一つや二つは放っているところですよ』

(女神様がそうなさるのであれば、そうするだけの理由があるのでしょう。それは相手が悪いので、相手が猛省しなければならない話です)

『でしたら、その使徒である貴女様への侮辱あるいは屈辱的な仕打ちは、そのまま女神様への侮辱あるいは屈辱に繋がるのではありませんか?』

(女神様がそう思うのであれば、そうなさるでしょう。そうならないのであれば、それは私の勘違いであり思い上がりですよ)

『う~ん、この……』



 なにやら焦れている様子の賢者の書に対して、彼女は内心にて首を傾げながら……曖昧に笑うだけであった。


 まあ、確かに、だ。


 客観的に考えたら、怒るべき場面だろう。


 特別な、怒らない理由があるわけでもないし、賢者の書の忠告はごもっともだと彼女自身も理解出来た。


 それでもなお、彼女が怒らない理由は、彼女自身が選んだことである他には……余裕があるからだ。


 そう、不快感を覚えはしたが、それだけだ。言うなれば、ちょっと嫌な感じだな……という程度の感覚でしかない。



 何故ならば、余裕があるから。



 もちろん、嫌なモノは嫌だし、不快にも思う。


 大型犬が、小型犬のちょっかいを軽くあしらうのと同じく、彼女にとって、此度のコレは、その程度の話なのだ。



 それじゃあ、どうして彼女は……どこか憂鬱そうにしているのかって? 



 それは、この先の……王女と、エヴァたちの反応によって、己があの男の想いを蔑ろにするかどうかを決めるからだ。


 何も知らなければ、あの男が発した遺言だけを頼りに動いていたら、迷わなかっただろう。


 知り過ぎてしまうからこそ、理解し過ぎてしまうからこそ、迷う。


 神の目は、やはり、神にしか扱えない代物なのだろうなあ……そう、彼女は思うのであった



 ……。



 ……。



 …………ちなみに、エヴァと国王の内緒話だが、普通は第三者が傍受なんて出来ないらしく、エヴァでもまず不可能らしい。


 なんでも、非常に希少な鉱石を魔法によって加工した特注品と、それに合わせた『特殊な魔法』によって行われているらしくて。


 どれぐらい不可能なのかって、エヴァレベルの魔法使いであっても、誰と誰がソレを所持し、使用されている状態で、かつ、ソレが製造する際の加工過程を見ておく必要があるぐらいだ。


 つまり、相手の頭に直接言葉を送り付ける無線機の魔法バージョン(ジャミング加工済み)みたいなものだ。


 ただ、使用する場合は双方が『特殊な魔法』を習得する必要があるので、誰しもが使える類の代物ではない、とのこと。


 そんな、秘密な会話を当たり前のように傍受できる賢者の書、さすがは女神の御付的な立場というやつなのだろう。






 ……。


 ……。


 …………それから、しばし歩いた後。



 奥まった場所……なのかは判断が難しいが、とにかく、他よりも少しばかりお高そうな作りの扉の前に到着した。


 扉の前には、王女の護衛だろうか……甲冑を纏った男(体格からして、そう見えた)が2人、扉を挟むように立っていた。



「娘の顔を見に来た、通すが良い」



 王の言葉に対して一礼を返した二人の男。そのうち、片方は儀礼染みたキビキビとした動きで反転すると、扉をノックした。



 ……たぶん、返事が来たのだろう。



 ちょっと距離があるので彼女には聞こえなかったが、再びキビキビとした動きで反転した男は、これまたキビキビとした動きで……静かに、扉を開けた。


 促されるがまま、王の後に続いて中に入る……室内は、なんというか、王女の私室として見るなら質素というべきか、なんとも地味な内装であった。



「──エステバール・クロヴァ・レイバイク・ダフネ・リフラインです」



 そして、その部屋の奥にあるベッドにて身体を起こしている少女の、か細い名乗りに……膝をついて名乗り返した。


 本当はもっと細やかな作法があるらしいのだが、あの男の記憶にはそこまで無かった。いや、あるにはあったのだが、こんな場所で使用する類の作法ではない。


 とりあえず、相手に対してその場で膝をついたりすれば、ひとまずはOKらしいので、それに従った。



 ちなみに、だ。



 本来は、彼女の方から名乗るべきところだが、室内にはおそらくは専属と思われる王女のメイドが居る。


 そんな場で王女から名乗ったのは、あくまでも対外的には国王からのお願いという形だからで……そのメイドは、微笑を浮かべたまま一礼すると、静かに部屋を出て行った。



「失礼な出迎えをしてしまい、申し訳ありません。言い訳になってしまいますが、まだ易々とベッドから出られぬ身ゆえに……」

「いえ、御気になさらず。私も、こんな格好ですので」

「そう言っていただけますと、こちらとしても気が楽になります」



 とりあえず、簡単な社交辞令を済ませた後。



「此度の一件、本当にありがとうございました。貴女様は私の命の恩人です。私に何か出来ることがありましたら、仰ってください」

「いえ、そのお気持ちだけでも十二分な名誉となりましょう。兎にも角にも、私の事よりも、お身体を治すことを優先してください」



 呼びつけた理由である、お礼を伝えたら。



「…………」


「…………」



 沈黙が、二人の間を流れた。


 こういう場合、基本的には呼び出した側、あるいは、身分の高い者が発言を促したり、自ら話を切り出したりするのが普通である。


 しかし、王女……ダフネは、ぼんやりとした様子で彼女を見つめるばかりで、お礼を伝えてからは、一向に口を開こうとはしない。


 ……いや、正確には、なにかしらを言おうとはしているようだ。


 ただ、言葉が出てこないようで……僅かに開いては閉じて、開いては閉じてを繰り返し……その結果、何とも気まずい沈黙となったわけである。



「私に、なにか?」



 なので、今回ばかりは彼女の方から話を振った。


 その瞬間……ダフネは……迷いを露わに視線を右に左にと忙しなく向けていたが、最終的には……そっと、彼女へと向けると。



「……薬を貴女様に託した人の事を、教えてくれませんか?」



 ダフネもまた、国王やエヴァと同じく……薬を届けようとしていた、本当の功労者について尋ねてきたのであった。



「お願いします、教えてください。いったい、誰からその薬を受け取ったのかを」



 それに対して、彼女は……無言という返答をした。


 それは、意地悪ではない。


 ただ、これまでの焼き直しでしかない質問だったから。


 それだけでは、あの男の想いを無下にしてまで教える事は出来ないと思ったからだ。



「──っ」



 そして、おそらく……いや、ダフネは、そんな彼女の内心を感じ取ったのだろう。


 一つ、二つ……ダフネは、覚悟を固めるかのように深呼吸をすると……なんと、寝間着を脱ぎ始めた。



「ダフネ、いきなりなにを……」



 これには、静観していた国王も驚きに目を剥いた。


 当然、エヴァも驚いた。いや、むしろ、王族貴族の娘特有の気位の高さを知るからこそ、ダフネの親である国王よりも驚いていた。


 だからこそ、反射的に彼女の目を塞ごうとして、いや、それは違うのではと迷い……呪文を唱えた。


 途端──なにやら、目に見えない透明な膜というか、淡い壁のような力がふわりとエヴァを中心に広がり、室内全てを満たすように広がった。



『──外からは覗く事も盗み聞く事も出来なくなる、そういう魔法ですね』



 こそっと、不可視モードの賢者の書からの報告。どうやら、エヴァは成り行きを見守る事にしたようだ。


 そのうち、ダフネは痩せ細った裸体のまま、ベッドの上で居住まいを正すと……深々と、彼女に向かって頭を下げた。



「ナナリー様、今の私は、ただの女でございます」

「…………」

「今だけは、王女ではありません。自分一人では満足に歩くことすら叶わない、痩せ細った病人上がりの女でございます」

「…………」

「どうか、教えてほしいのです。いったい、誰から秘薬を受け取ったのかを……」

「……病み上がりの身体を、冷やしては駄目ですよ」



 対して、彼女の答えは……YesでもNoでもなかった。


 顔色が良いわけではないダフネをベッドに寝かせ、毛布なのか何なのか分からない掛布団(彼女には、そう見えた)を肩まで掛けた彼女は……一つ、息を吐いた。



「どうして、そこまで知りたがるのですか?」

「え?」



 目を瞬かせるダフネに、彼女は……閉じた眼を向けた。



「本当に知りたいのであれば、如何様でも手段が取れますでしょう? どうして、貴方達はこうまで回りくどい方法を取るのですか?」

「それは……」



 ……その先を、ダフネは言わなかった。


 チラリと、その視線がエヴァへと向けられ……頷いたエヴァを見たダフネは……それでもまだ、迷いが見られた。



「当てましょうか? 貴方達が最初から今に至るまで、隠している事を」

「え、その」

「あの人には申し訳ありませんが、さすがにこうまでされるのは、あの人にとっても不本意でしょうし……私も、少々根負けしました」



 でも、もう彼女は待とうとはしなかった。病み上がりの身体で、そうまでした想いが、頑なに守っていたモノを開いたからだ。


 まあ、何時まで経っても埒が明かないし、こんな茶番でダフネの病がぶり返すような事態にもなれば、あの男も悲しむだろうと思ったからなのも……話を戻そう。



「──お察しの通りです」



 ジッと、向けられる視線を一身に受けた彼女は、それでも真っ向から答えた。



「ダフネ王女様、貴女への薬を私へ繋いだのは、貴方様の腹違いの兄でございます」



 その瞬間──ギュッと、身体に掛けられた毛布を握り締めたのを、瞼越しに見やった彼女は……それでもなお、言わなければならない、あの男の想いを告げた。



「あの人は誰も恨んでおりませんでしたし、全てを知っておられました」

「ですが、同時に」

「何時か、自分の存在が大きな火種になる事を……恐れてもいました」



 ──その瞬間、反応したのはダフネよりも、国王……無視した彼女は、毛布越しにダフネの腕に手を置いた。



「貴女様のために命を賭したのは、単純に王家のためだけではありません。複雑な想いではありましたが、腹違いとはいえ……妹のために、その一心であったのもまた、事実でございます」



 ……。



 ……。



 …………しばしの間、誰も何も言えなかった。



 何かを悔いるように固く目を瞑り、血が滲むほどに拳を握りしめる国王。


 やはりそうだったかと……そう言わんばかりにそっぽを向いて俯き、静かに首を横に振るエヴァ。



「そう、ですか」



 そして、彼女の言葉を……ゆっくりと呑み込んだダフネは。



「……知っている人は、知っている。そういう話、なんですけれども」



 横になったまま……ひとすじの涙を流すと。



「そうですか……あの人は、最後まで……」



 ポツリと、それだけの言葉を零し……それ以上は、何も言わなかった。



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