異世界遊園地「笑顔の王国《ラフレシア》」始め〼

杏穏希厘

prologue 始まりの風船

悲鳴を上げるのも忘れた…─

ふわりなんて優しい浮遊感なんかじゃない、手にした風船に身体ごと持っていかれる。


「ちょ、待っ! 何、何、何これ!?」


美しいタイルで装飾された地面はみるみると遠ざかり、大好きなテーマパークが、遊んでいる人々が、ミニチュア模型みたいに小さくなっていく。


……あ、本当にハート型なんだあ。


ドローン映像でしか見たことのない、このパークの全容に感動すら覚える。

香川逢 かがわあえる、本日二十歳の誕生日を迎えたところ。

アルバイト先のスタッフ特典で入園して、双子の片割れと一緒に夜はお酒も楽しんじゃおう計画のはずだった。

感動だらけの昼パレードを見終わった直後、自分の方へと飛んできた赤い風船を上機嫌でキャッチしたら、身体が空高く舞い上がったんだ。←今ココ


けれど、不思議だ。誰も私のことを見ていない。

こんなパニック的謎状況、スマホで撮る人がいたっておかしくないはず。

指に絡めた細い糸はぶらさげた質量を反映することなく、映画のワンシーンみたいに私を上空へと運んでいく。

糸に結ばれたのは、物理法則に逆らう赤い風船。

こんな商品、うちのパークにあったっけ?


そう思いを巡らせた瞬間、さあーっと血の気が引いていく。

風船が風船でしかないとしたら、どこまでも昇れるわけじゃない。

気圧というものがこの世には存在して、一定の高さに到達したら、飛散してただの素材に戻ってしまう。

飛行機内には持ち込めませんって、販売スタッフの友人は何度も繰り返すんだもん。


……二十歳になったら、毎日がきっと今以上にハッピーだと思ったんだけどな。

どうして、こんな不思議な現象に巻き込まれてるんだろう。


「アエルーーー!!」


あ。真羽 マハネ

聞き慣れた双子の片割れの声に、ハッとして足元へと視線を向ける。

あまりの高さにくらりと眩暈を起こしそうになるけれど、見える姿が小さくても分かる。

真羽だけが私を見据えて走っている。

パーク内は駆け足禁止です。

だけど、きっとそれどころじゃない。


「マハネ!!」


双子の兄だか弟だか論争に、いまだ決着もついてない。

戸籍上は兄だし、しっかり度もお兄ちゃんっぽいけれど。

帝王切開の偶然で取り上げてもらった順なんだから、兄も姉も弟も妹もない。

けれど、命なんてきっと偶然の重なりでしかないのも、もう分かっている。


アエル 、待ってろ。今! 誰かっ!!」


声の最後が、微かに掠れた。

息を乱して、髪も振り乱して、ずれそうな眼鏡も気にせずに、必死に私を追いかけてくれる。

これだけ離れていても、真羽の声だけは聞こえる。

もし、もしも私がいなくなったら……、真羽は一人になっちゃう。

二十歳のめでたい誕生日に、そんな思いはさせられない。


「真羽、ごめん。私……っ」


その瞬間だった。

あまりにも短い不穏な音がした。

指先の糸が、歪な赤い欠片を連れて、目の前を過ぎる。


あ、あ、あ……!


声は出ない。

生粋のテーマパークオタクだけど、落ちる系の乗り物は最も苦手。


駄目だ。このまま落ちたら!

大好きな笑顔の国が、台無しになっちゃう!


このパークに来る人は、みんな笑顔になりたくて来るんだ。

こんな、まさかの惨事を目撃するために来るんじゃない!


スカイダイビングはしたことないけど、落ちたのに生還した人って確かいたよね。

せめて落下点に木とか! や、逆に突き刺さる?

無意味だったとしても、少しでも衝撃をなくさなきゃ!

馬鹿だったなあって、真羽に笑ってもらわなきゃ。


……私は、誰かが笑顔になるのが好きだった。

そのためのお手伝いをするのが、大好きだった。

スタッフバイトに受かった時はめちゃめちゃ嬉しくって、真羽にずっと自慢してたっけ。


とんでもない風圧に顔面全身マッサージされる。

目を開けているのも、息をするのさえ苦しい。

けれど、最後の最後の最期の瞬間まで目なんて閉じていられない。

自分の人生、笑って、笑って、笑い尽くして生きてやるんだ!


強い願いは奇跡を起こす? 誰、そんなこと言ったの。

どんなに足掻いても、空で泳げなければ、鳥のように風なんて掴めない。

体感数分……、数十秒?

無情にも近付く地面に、乾きそうなはずの瞳が潤んでいく。

真羽、真羽……。

喋りたいことがもっと沢山あるんだよ。

父、母に久しぶりなんて言いに行くのは、もっと先のことでいいんだよ。


「真羽……」


最後に零した声は、双子の片割れの名前だった。


「呼んだか?」


もうどこにいるのか見失ったはずの姿が、鼻先にあった。

大きく広げられた腕と、なりふり構わず走ってきたくせに穏やかな笑み。


だ、めっ!!!!!!!!


地表に衝突する瞬間、滑り込んできた真羽の腕の中に私は堕ちた…─



          ◇


これ、何……?


色んな映像が自分の頭の中を駆け巡る。

走馬灯なんて言われる過去の記憶なんかじゃない。

知らない場所、見たこともない人達、そもそも……人、なの?

蝶のような羽が生えた少年、耳の先が尖った半透明の美女、長髪の麗しい男性に、帽子を目深に被った人。

映画で見たような、ゲームの中に出てきそうな、レンガ造りの街並みや、お城のような邸宅。

それを覆う影、影、影……。

おびただしい人の死。疫病?

ぞわっと鳥肌の立つその影に、見たくないものを突き付けられていく。


勝手に流れ込んで来る光景を遮断したくて、固く瞼を閉じようとするけれど、元々目を瞑っているらしい。

切り貼りのような短いシーンが、次々と脳裏を侵す。


やめて! これは、夢なの!? 私、どうなってるの?


頭を抱えようとした瞬間、その中で、一人の男性に目を奪われる。

どこか、懐かしさを感じる……、銀髪の知らない人。

一緒にいる女性と共に、青い絨毯が印象的な大広間を歩いていく。


「決めた! 私、ここに……を作る!」


ピンク色の長い髪を揺らして、連れの彼女が高々と声を上げる。

あの声って、まさか!


私の意識は、そこで途切れた…─

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