第26話 意識は無意識

「変わりないか?」


「わっ……あ、ムール統括長。はい、大丈夫です」


 あと半刻ほどで昼休憩になろうかという時、突然真後ろから声をかけられイサは肩をびくつかせた。

 後ろを振り返ると、ジャンがこちらを見下ろしている。片手には植物紙のボードを持ち、隣にはエキディウスがにこにこと意味ありげに微笑みながら立っていた。


「そうか。ならいい」


 それだけ言って、ジャンは白い詰め襟服の裾を翻し去って行く。他の案内人に呼ばれたからだが、そのすぐ後に、ぽん、とイサの頭の上に手が置かれた。


(え?)


 何事かと見上げると、鮮やかな赤色の髪が目に入る。なぜかエキディウスが嬉しそうに笑いながらイサの頭をわっしわっしと撫でていた。


「わ、わっ……ちょ、エキディウスさん? どうかしましたかっ?」


「ん? いやあ、イサは頑張ってて偉いなーと思ってな」


「はあ……?」


 髪をぐしゃぐしゃにされて、慌てながら何事かと聞けば、そんな風に返される。

 イサはわけがわからず困惑した。


「エキディウスさん、おれはどうですか!?」


 するとすかさずとばかりにユッタが間に入ってくる。念話が終わったばかりなのか、マイク部分を上に上げて、ペンを片手に前のめりになっていた。


 そんなユッタに、エキディウスはやや考えるような仕草をしてからにっと笑う。


「うん、ユッタお前はもっと頑張れ!」


「ええ~っ」


「そもそも遅刻を減らせ。次は流石にジャンに氷漬けにされるぞ」


「……ど、努力します……」


 しょぼくれるユッタを明るく笑い飛ばしたエキディウスは、満足したのか最後にもう一度イサの頭をぽんっと撫でてからジャンの方へ歩いて行った。


(な、何だったんだろ、今の……?)


 急なエキディウスの行動にイサは困惑するばかりだ。元々ユッタと同じくらい人懐こい人間ではあるが、こうやってイサに直接構ってきたことは無かったから、余計に驚いた。


 イサはヘッドセットを付けたままぽかんとした顔でエキディウスが歩いて行った方向を見た。


 少し離れた場所でジャンが他の案内人に指示を出している。フロア奥に表示されているマップを鋭く見つめる横顔は厳しさはあれど凜としていて美しい。


 真っ直ぐ落ちた銀色の髪も、実はしっかり鍛えられた身を包む詰め襟の白い長衣も、何もかもが整えたように綺麗だと、ふいにころりと落ちてきたようにイサは思った。


(まずい、なぁ……)


 ジャンの横顔から中々視線が外せない自分に、イサは内心で苦笑した。


 たたエキディウスが歩いた方向を見ただけなのに、視界に捉えたのはジャンだった。目が彼を追っているせいだ。その理由は、きっとジャンを異性として意識しているからだろう。


 先日の風呂の事件があったからだけではない。この気持ちはおそらく、あの時から始まっている。

 性別がバレたあの時だ。


 ジャンが女であるイサを許容してくれた時、既に感じ始めていたのだと思う。そして今のジャンはもう、イサの中ではただの尊敬する上司というだけではなくなっていた。


(駄目、仕事に集中しないと)


 そう思って、イサはジャンから目を逸らそうとした。けれどその時、何かに気付いたようにぱっとジャンがイサを見た。二人の視線がぶつかる。


(あ……)


 見ていたことに気付かれてしまった。

 そう一瞬青ざめたものの、予想外の表情を見てしまったイサの心が違う感情に染まる。


(……どうして、そんな風に笑うんですか)


 イサが見つめていたことに気付いたジャンが、イサを見返して微笑みを浮かべていた。

 まるで「どうかしたか?」とでも話しかけているかのような優しい表情に、イサは慌てて首を横に振り何でも無いことを知らせた。


 すると、ジャンがほっとしたように頷く。イサは慌てて顔を俯け、デスクの上の魔術パッドに目を落とした。


(な、な、何、これ……!?)


 頬がなぜか尋常ではなく熱かった。

 ぐっと顔に力を入れて念話機のランプを睨むように見ても、こういう時に限って念話がかかってこないものだから余計に羞恥が募る。


 おかげで、イサは脳内でジャンの微笑を反芻することになってしまった。


 しかも、言葉無く会話が成立したことへの衝撃も凄まじかった。これではまるで恋人同士のようではないか。などと、ありえないことを考えてしまう。


(いやいやいや……! 気にしてくれてるだけだから!!)


 ぶんぶん頭を振って脳内のありえない思考を振り払う。


 そうしているうちに、イサの念話機が受信を知らせて勢いよく念話を取った。


 ―――とそんな二人のアイコンタクトを、周りの案内人やユッタはぽかんとした顔で、エキディウスだけはにやけ顔でと、みんなが見ていたのだが、当のイサ達だけが気付いていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る