第99話 踊れなかったダンスとキスの味
「はぁっ……はあっ……」
目の前に広がる景色は本当に現実だろうか。切り裂かれた木々、えぐられた地面、ところどころで燃え尽きた木がプスプスと音を立てている。
そして、その中心で倒れている赤い男……。
だんだんと魔法感知で感じる魔力も小さくなっていく。
「ごふっ……。誰かと思ったら……お前か……。さすが……俺様が惚れた女だけあるぜ」
「うそ……?イグニス……!ちょ、ちょっと!!何があったの!?」
「せっかくダンス誘ったのに……こんなになっちまってすまねーな」
「そんな……何言ってるの……?ねぇ!?大丈夫なの!?」
慌ててイグニスに駆け寄る。全身傷だらけで、体のいたるところから血が出ていた。
「失敗しちまったな……はは、もう少しうまくできると思ったんだけど」
「笑ってる場合じゃないでしょ!!」
イグニスが笑いながらつぶやくと、それに反応するかのように口の端から血が垂れる。
慌てて髪を縛っているリボンをほどき。腕に巻き付け止血をする。でも、こんなもの気休めにしかならないのは誰の目から見ても明らかだった。
「あいつらの事は責めないでやってくれ……きっと何かあったんだと思う」
「あいつらって誰よ!?誰にやられたの!?」
「ま……、いいじゃねーか」
辺りはしんと静まり返り、イグニスの荒い呼吸がやけに大きく聞こえる。
イグニスが震える手で私の頬にそっと触れる。その手からはだんだんと体温が無くなっていく気がした。
「……なぁ、ミーナって結局誰だったんだ?」
「今はそんな事言ってる場合じゃないでしょう!?もう……いいから黙ってて!早く、早く治療しないと……!」
どうしたら?こんな場所から保健室に?でもこんな状態のイグニスを持ち上げて移動することなんてできない。どうしよう、どうしよう、どうしよう……!!
「死ぬ前に……聞きたいことがあるんだ」
「やめて!そんなこと言わないでよ!!」
「聞いてくれって……もうあんまし大きな声、だせねーんだからよ」
イグニスの真剣な瞳に、思わず口をつぐむ。でも、代わりに目にどんどん涙がたまっていく。
「それで、ミーナを覚えてるお前は何者なんだ……?……俺様の知ってるレヴィアナ・ヴォルトハイムじゃ……ねーよな?」
「……っ……!?」
イグニスの言葉に目を見開く。
心臓の音がどんどんと大きくなる。
「えっ……っ……ちが……」
言葉を探すが、何も出てこない。
そんな私の様子を見てイグニスはふっと笑った。
その笑顔はいつもの様な自信にあふれたものではなく、何かを納得したような穏やかな笑みだった。
「はっ、よかった……」
「なに……がよ……」
「俺様がレヴィアナを好きになるなんて……想像できねーからな」
イグニスはそういうと咳き込んだ後、口の端を伝う血をぬぐった。
「ごめんなさい……違うの、騙すつもりなんてなかったの」
「騙す?俺はレヴィアナじゃなくて『お前』にダンスを申し込んだんだぜ?『お前』に惚れたんだ。だから……『お前』の事、聞かせてくれ」
イグニスはそう3回重ねて『お前』といった。
「いいから……全部話してあげるから、今は早く治療を……!」
「たぶん……ダメだな。魔力を全部回してるけどもう持たねぇ。下半身の感覚なんてのこってねーし」
下半身があるはずの場所に視線を移す。
必死に傷口を抑えるけど、血は止まることなく流れ続ける。
「いいから、話そうぜ。俺様の、最後のお願いだ」
「ねぇ!ふざけないでよ!!最後なんて、そんなの嫌よ!!」
イグニスの手を握る。でもその手はもう血にまみれていて、温かみも感じないほど冷えていた。
体としての機能は今も猛烈に失われていて、魔力でつなぎとめているだけなんだろう。
私にももうイグニスが長くないことは否が応でも理解させられてしまった。
「ま、俺が死んでも魂の連鎖に……ってたぶんこれもちげーんだろうな。……ミーナってやつ、たぶん死んだんだろ?」
その言葉に息を吞む。イグニスは全部知っている。少なくとも予想はしている。そしてそれはきっと当たっている。
「……そうよ」
「なるほどな……。俺様も死んだら、お前に忘れられちまうのかな?それともミーナってやつの時みたいに覚えててくれんのかな……?……忘れられんのは……嫌だなぁ」
イグニスはそういいながら空を見上げる。でもその目の焦点はもうどこにも合っていないように見えた。
「忘れない!忘れないから!!当たり前でしょ!あなたのことなんて忘れられるわけないじゃない!!」
「はは……。ありがてーな。それなら安心だ」
イグニスはそういうと困ったように笑った後、ぽつりとつぶやいた。
「……なぁ、お前、名前なんて言うんだ?」
「……藤田 柚季……」
「藤田 柚季、か。改めて、俺様は藤田 柚季のことが大好きだ」
「わた、しも……イグニス、イグニス・アルバスターを知った時からずっと……ずっと好きだった」
涙で視界がぼやける。今気を抜いたらイグニスが消えてしまう気がして、握る手に力を込める。弱弱しかったけどちゃんと握り返してくれる。
「よかった……ぜ。……っとあぶねぇあぶねぇ」
イグニスの体がぐらりと傾く。あわてて背中を支えるが、もう目は半分ほど閉じられている。
まだ微かに呼吸は続いていたし、心臓の鼓動も聞こえた。
でもそれは今にも消えてしまいそうなほど微かで……魔力も……。
「最後に……って言ったが、最後にお願いが2つある……」
「うん……。うん!」
「もし、魂の連鎖があるなら、……生まれ変わっても、また俺様と出会ってくれ」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、私は何度もうなずいた。
「そしてもう一つは……」
イグニスがそのまま私に体を預けそのままキスをした。それは短い、本当に短かったけど、永遠のようなキスだった。
唇が離れるとイグニスはそのまま私を強く抱きしめた。もうほとんど力が入っていないのに、それでも絶対に離さないと言わんばかりに。
「俺様はお前の笑顔が好きだ。幸せに、楽しく、そして笑って生きてくれ」
耳元でそうつぶやいた瞬間イグニスの腕から力が抜けたのを感じた。そのまま私に覆いかぶさるように倒れる。
「イグニス……?」
今までも冷たく感じていたイグニスの体がさらに氷のように冷たくなっていくのを感じる。
「ねぇ、起きてよ……。まだ何も言ってないんだよ?返事させてよ!!自分だけお願いしてずるいわよ!!」
いくら呼びかけてもイグニスは動かないし、答えてくれない。
「ねえ!しっかりしてよ!こんなお別れなんて私認めないから!!」
何度声をかけても返事がない。私はイグニスを揺さぶって何度も何度も叫んだけど、もうイグニスは何も言ってくれなかった。
「もっと話そうよ!!もっと色んなところに行こうよ!いろんなところに連れて行ってよ!!ダンスも……一緒に踊ってよ……っ!!」
それでもずっと叫び続けた。もしかしたらまた目を開けてくれるかもしれないと信じて。
そんな私の思いはむなしく終わった。
……キスが甘い味なんて誰が言ったんだろう。
……こんなの血の味しかしないじゃない。
「イグニス……?ねぇ?イグニス?」
聞こえてくるはずの声に耳をかたむける。
聞こえてきてほしい声に耳をかたむける。
しかしいくら待っても、何も言葉は聞こえてこなかった。
そっと目を閉じる。
初めて入学式で出会って、いきなり抱きしめられた。
はじめてのアークスナイパーはとってもかっこよかった。
アリシアの家に行ったときはたくさん笑った。
生徒会主催の焼き菓子ティーパーティはイグニスが焦がしたクッキーを泣きながら食べた。
お父様にあって緊張しているイグニスの一面を見た。
一緒にお父様の屋敷を守った。
学園を逃げたとき、パニックにはなったけど、実は結構わくわくした。
訓練をしているときの真剣な顔、ちょっと失敗して照れながら笑う顔、私を見つけて「おう」と声をかけてくれる声、そして、生徒会室でのあの緊張して、そして真剣な顔。
たくさん、たくさん、たくさん、たくさん、毎日一緒に過ごした。
そして最後に言われた言葉が、そのすべてが頭に響く。
なんで生徒会室ですぐに返事をしなかったんだろう?
なんでもっと早くここに来れなかったんだろう?
なんでボール・ルームの外に逃げてしまったんだろう?
もし、あそこでちゃんと一緒に踊っていたらこんなことにはならなかったのだろうか?
そして……なんでこんなことになってしまったんだろう?何を間違えたんだろう?
なんで、なんで、もし、なんで……?
いろんな疑問が浮かんでは消える。
なんで、なんで、もし、なんで……?
そんな答えの出ない自問を何度も繰り返す。
でもいくら考えたところでイグニスは帰ってこないし、もうその答えも聞くことはできない。
どれだけここでイグニスのことを抱きしめていたか分からない。涙は枯れ果て、それでも嗚咽をこらえながら、ただイグニスの体を抱きしめていた。
体は冷え切っていた。それでももし私の体温でイグニスが温まってくれるならと抱きしめ続けた。
――――しかし、そんな時間は唐突に終わりを告げる。
「へっ……えっ!?」
抱きしめていたイグニスの体が突然消えた。
「な、なんで!?」
慌てて立ち上がりあたりを見渡してみるがどこにもイグニスの姿はない。まるで最初から何もなかったかのようにきれいさっぱりと消えていた。
「……あ……日付……」
この世界は悲しむことを許さない。
日付が変わったことでミーナの時と同じように、『イグニス・アルバスター』はこの世界から消えてしまった。
「待って!ねぇ!待ってよ!!返して!イグニスを返してよ!!」
何度も空に向かってそう叫んだが、誰も答えてくれる人はいない。
あたりは静まり返り、聞こえるのは木々の葉がこすれる音と自分の呼吸音だけだった。
手元に残ったのはイグニスの血がしみ込んだリボンだけだった。
「わぁああぁっっっーーーーー!!」
私はそのリボンを抱きしめながら、声がかれるまで叫び続けた。
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