第240話 133『虫のいい望み』

 イジの手を借りて馬車に乗り込もうとするアンナリーナを、サムエルは慌てて引き留めにかかる。


「待ってくれ!

 あんたたちは、もう行ってしまうのか?!」


「ええ、悪いけど」


「そんな!

 こんなところに放り出して……」


 必死に言い募ろうとするサムエルの、話の途中に割って入った。


「まだこれ以上、どうにかしろと?」


 アンナリーナの眼差しが剣呑になる。


「そのひとの治療だけでは不満なのかしら?

 これ以上、一緒にいる必要性はないし、何よりもナタリアと同じ空気を吸いたくないの」


 どちらの気持ちもわかるテオドールは、複雑な思いでその光景をみていた。

 おそらくサムエルは、馬車に同乗してクレヴィットまで連れて行ってもらうか、おそらくは野営を共にしようと思ったのだろう。

 そしてその両方が、今アンナリーナが最も避けたいと思っているはずだ。


 アンナリーナ自身も、自分が少しきつい言い方をしてしまった事に気づいたのだろう。


「あのね、申し訳ないけど私、期日中に王都に帰らなきゃならないの。

 ……もうすでに、かなり予定を押していてね。

 正直なところ、こうしている間も惜しいのよ」


 そう話しながら、ウエストポーチから何かを取り出した。


「学院の新学期が迫っているの」


 学院と聞いて、縛られたままのナタリアの身体がピクリと震える。


「この後もエピたちの足が許す限り飛ばさなきゃ、遅れは取り戻せない。

 だからこれから先は自分たちで何とかしてくれないかしら?」


 常識で考えれば、元々アンナリーナが現れなかった場合と同じはずだ。

 いや、その場合は確実に一人は減っていただろう。ひょっとしたら二人だったかもしれない。

 それなら身軽に動けただろうから、今とは事情が違ったろう。


「この後、野営するのか、移動するのか、どうするのか知らないけど、せっかく助けた人がまた怪我したら気分悪いし、これもあげる」


 イジが受け取り、サムエルに手渡される。


「魔獣避けのお香よ。

 森狼はもちろん、オークや森熊も寄ってこないはずよ。

 丸一日保つのでクレヴィットまで何とかなるんじゃないかな」


 そして今度こそ馬車に乗り込んだアンナリーナの後ろでドアが閉まった。


「済まないな。

 色々あって、ずいぶん日程が遅れてるんだ。

 元々俺の依頼に無理に付き合わせたわけだから、これ以上はな。

 それと、あまりしつこいとポーション代を請求されるぞ」


 この最後の脅しが効いた。

 アンナリーナが今回使ったポーションだけでも3本……このあたりの相場ではポーション代だけで金貨30枚、その他の丸薬などを含めると恐ろしい価格になる。


「じゃあな。

 それとそこの馬鹿女、しっかりと処罰しないとまた犠牲者が出るぞ」


 先に御者台に上がっていたイジに続き、テオドールが席に着く。

 と、同時にエピオルスの轡に繋がる手綱が引かれ、馬車が動き出す。

【山猫】のメンバー達の恨めしそうな眼差しを受けて、アンナリーナ達の馬車は走り出した。




「なあ、あいつら良かったのか?」


 何を、とは聞かない。

 とっぷりと日が暮れた森の中を通る街道沿いの、ほんの少しの空き地に馬車を止め、エピオルスたちは召喚を解除して休ませ、アンナリーナらは結界を張った馬車の中にいる。


「あれ以上の面倒はごめんだよ。

 甘やかすと、どんどん要求がエスカレートしてくるからね」


 アンナリーナはナタリアの事を思い出して顔をしかめた。

 だが、ようやく彼女に対して一矢報いたのだ。

 今夜は良い夢が見れそうで、アンナリーナはかすかに微笑んだ。

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