ふらここ遊び

十余一

1 祖父の家

 東京から新幹線で二時間と少し、在来線に乗り換えて四十分、駅から車で二十五分。それが母の実家――祖父の家までの行き方だ。

 圧倒されるほど大きな表門をくぐった先にあるのは、いくつもの棟にわかれた広大な屋敷、青々とした芝生が広がる庭、点在する灯篭、巨石、そして松林。山間やまあいの集落を見下ろせる台地の先端から裾野まで、すべてが揺本ゆりもと家の敷地だ。江戸時代から続く旧家だと聞いている。

 玄関棟では家政婦のシズヱさんが人の良さそうな笑顔で出迎えてくれた。


 伯父おじが亡くなって二年。伯父夫妻には娘が一人いるだけだった。従姉いとこの志穂ちゃんは優しくて芯が強く、私から見るととても立派な人物に思えた。けれども、祖父は血縁のある男子に跡を継がせたいそうだ。伯父は私の母と二人兄妹、伯父の遺児は女子のみ。というわけで、私の兄――千秋に白羽の矢が立ったらしい。

 そうして私たち家族は、いや、正確には兄と父母は、今後のことを話しあうため今日この家に招かれた。私は、一人家に残ることを懸念した母に連れてこられた。高校生なのだから留守番くらいできるのに。少し心配性が過ぎる。

 この先私たちは、志穂ちゃん一家を追い出した居間棟に住むことになるかもしれないし、兄は祖父と養子縁組するのかもしれない。きっと母は強く出られないだろうし、父も一応は招かれているものの結局は蚊帳の外だろう。兄は……、田舎の不便さに辟易していたけれど揺本家や祖父のことをどう考えているのかまでは知らない。なんにせよ、私には入りこむ余地のない話だ。

 カビ臭い考えの残る家。こんなにも広いのに息が詰まる。

 閉塞感から少しでも解放されたくて、私は部屋に荷物を置くと庭へ飛びだした。



 青空に向けて深呼吸をしたら、芝生を踏みしめて目的もなく歩く。

 灯篭に寄り添う松、咲き終えた百日紅さるすべりの木立、まだ染まっていない紅葉、そしてひと際目立つ常緑の大木。つややかな葉が生い茂り、大きな影を落としていた。その根元に、誰かいる。

 小さな男の子だ。紺の着流しに生成り色の帯という古風なで立ちの男の子が大樹の影に佇んでいる。たしかに祖父や亡き伯父も普段から着物姿だったけれども、今、目を引くのは足元だ。草履も下駄も履いていない素足が冷たい土の上にさらけ出されていた。

 男の子は私の姿を目に入れると、にぱっと笑顔を咲かせる。

「こんにちは!」

「こ、こんにちは……」

 ひとりぼっちの、それも寒々しい格好の子ども。もしかしたら敷地内に迷いこんでしまったのかもしれない。そうでなくても何か事情がありそうだ。

 私は視線を合わせるように膝を折ると、できるだけ優しく問いかけた。

「僕、お名前は?」

「みのる!」

「そう、ミノルくん。どこから来たの? お母さんは?」

「ぼくはこの家に住んでるよ。でも、お母さんはいっしょに住めないの」

 私はミノル君の言葉を頭の中で反芻はんすうしながら考える。まるで謎かけみたいだ。家政婦は住みこみで働いているから、「お母さんは一緒に住めない」には当てはまらない。伯母に息子はいなかった。だからこそ今日私たちがここに招かれているのだし。

 そのとき、背後から「千恵ちゃん……?」と私の名前を呼ぶ声がした。竹ぼうきを持った家政婦のシズヱさんが首を傾げている。

「シズヱさん、ちょうどよかった! この子のことなんですけど――」

 そう言いながらミノル君の肩に添えようとした手が、空を切った。シズヱさんがいぶかしげな表情を浮かべてこちらを伺っている。

「ああ、いえ……。なんでもない、です」

 言いよどむ私に、「何か困ったことがあったら遠慮なく言ってくださいね」と気遣う言葉を残してシズヱさんは仕事に戻っていった。目尻に浮かぶ優しげなしわが彼女の親切心を物語っている。

 私は改めて、ミノル君と向き合う。二本の足で地面に立っているし、体が透けているわけでもない。とても幽霊だとは思えなかった。けれども事実として、触れることはできず私以外に姿は見えないようだ。

 寂しげに見えるひとりぼっちの子どもへの同情に、末子である私の、お姉さんぶりたいという少しの見得が混ざる。超常現象を恐れる感情よりも、目の前の小さな男の子を助けてあげたい気持ちが勝った。

 彼はなぜ、ここにいるのだろう。もしもこの世に未練を残しているのだとしたら、私にできることが何かないだろうか。

「ミノル君は、ここで何をしていたの?」

であそぼうと思ってきたの」

「ふらここ……?」

 疑問符を浮かべる私に、ミノル君は「この木になわをかけてね、ユラユラするの」と、大きく手を振って説明してくれた。ブランコのことかな。

「弟のためにつくったんだって。でも弟はまだ赤ちゃんなの。大きくなったらいっしょにあそびたいんだけどね、ぼくが先にちょっとだけあそんじゃおうかなって」

「ミノル君は、ふらここが好きなんだね」

「うん、すき! ずっとまどから見ててね、あそびたいなあって思ってたんだ」

 横に伸びた太い枝を見上げるミノル君の目がキラキラと輝く。けれども、今となっては枝には何も残っていない。昔ここにブランコがあって、いつかの日に撤去されてしまったのだろう。

「それにね、こじろうったらズルいんだよ! いっしょにふらここであそぶって言ったのに、約束やぶってひとりでユラユラゆれてるし。ぼくもふらここであそびたい!」

 コジロウというのは友だちだろうか。親しい友人や大きくなった弟と一緒に遊ぶ夢は叶えてあげられないけど、もう一度ここにブランコを作ってあげたい。幸いにも、資材がありそうな場所に思い当たる節があった。

「もしかしたら納屋に縄や木の板があるかも。お姉さんが探してきてあげる」

 ミノル君は一瞬、きょとんと不思議そうな顔をした。けれどもすぐに、出会ったときと同じように満開の笑顔を咲かせる。

「おねえさん、ありがとう!」

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