第109話:閑話・過大評価
天文十七年(1549)5月13日:豊後府内大友館:大猿源助視点
殿が越後を完全に支配された頃から、豊後に派遣された。
越後から遠く離れた遠国に派遣されるなど、追放かと思ったが、違った。
俺達のような者と、慈愛深い殿の御考えを一緒にするなど、不敬極まりなかった!
殿は飢饉に苦しむ者達を助けるために、自らの戦力を削ってまで、全国に人を送られたのだ。
九州の湊といえば、三津七湊の一つである 筑前国那珂郡の博多津と、 薩摩国川辺郡の坊津が有名だが、豊後にも湊があり商人がいる。
臼杵には仲屋乾通、陳覚明、計屋などの大商人がいて、国内の奴隷売買だけでなく、貧しい民を年季奉公だと騙して異国に売っていたのだ!
「銭金に糸目はつけるな、異国に売られる人々を全て買い集めよ」
殿は兵を集めたいからと言っておられたが、とても戦えそうにない老人や女子供まで買い集めさせるのだから、家臣の誰もが嘘だと分かっていた。
人々を助けたい殿がつかれた嘘だと、家臣全員が分かっていた。
己独り、悟りを開くため修行していた事を、心から恥じた。
自分だけのために悟りを開いてなんになる!
人々を救わずに修行に励むのは、単なる我欲だとようやく分かった。
それ以来、粉骨砕身殿のために働いて来た。
いや、殿のために働くなどおこがましい、人々を救う手伝いをさせて頂いた。
死ぬはずだった者、生き地獄に落ちるはずだった者を救う手伝いができた。
救った者の中には、望んで豊後に戻ってきた者もいる。
諜報衆の一人として、自分と同じような身の上の者を救おうと、豊後に戻ってきた者もいる。
そんな生き神様、仏様の生まれ変わりとしか思えない殿のお子様を、まだ幼い若君達を、卑怯下劣にも暗殺しようとした者がいたのだ!
絶対に許せなかった、どのような手段を使ってでも殺してやりたかった!
だが、その者達は遠く離れた畿内でのうのうと生きていた。
どれほど豊後を離れて殺しに行こうと思ったか分からない!
殿から直々に民を救えと命を受けていなければ、畿内に行って殺していた。
殿の手足となって不幸な民を救うという大役を与えられていなければ、畿内に行ってこの手で悪逆非道の輩を殺していた。
そんな極悪人が、都落ちして豊後まで逃げて来たのだ。
この手でぶち殺せる機会がやってきた!
……だが、殿から手出し無用との厳命があった。
殿の命に逆らってでも公方親子をぶち殺してやりたかった!
だが、殿に救われた元奴隷の諜報兵に言われて思いとどまった。
殺すのなら、公方にできた子供を皆殺しにすべきだと!
『先の公方は老齢で病がちだ、公方を殺せば衝撃で心の臓が止まるかもしれない。
そんな楽な死に方で公方親子を殺しても意味がない。
若君達を殺すように命じたのは、老い先短い先代公方ではない。
子供を狙われ殺される怒りと哀しみは、公方本人に味あわせなければいけない』
元奴隷の諜報兵がそう言ったので、我慢できた。
『公方達を匿った大友家の子供を殺せ』
殿の側近衆の一人、山吉丹波守殿からの命だった。
殿の花押があり、署名もされていたから、殿も承認されている。
公方達を匿う者は絶対に許さないという、殿の怒りが伝わってきた。
大友家の内情を探るために、大友館の奥深くにまで入り込んでいた諜報衆が、危険を承知で動いた。
大友家は親兄弟で激しい家督争いを行っていた。
嫡男の大友義鎮を嫌い、三男の塩市丸を溺愛した当主の大友義鑑が、嫡男と嫡男の側近を殺そうと狙っていた。
我ら豊後諜報衆は、何時でも誰でも殺せるように準備してきた。
殿の策謀だと分からないように、大友家に家督争いだと思われるように、万全の準備を整えていた。
だから、大友義鑑と大友義鎮の両人に襲撃計画があると伝わるように動いた。
両人を担いで利を得ようとしている家臣達にも、襲撃計画があると伝えた。
何気なく、下人が噂を聞きつけたようにして伝えた。
我らとしては、どちらが勝っても負けても構わなかった。
公方達が逃げ込んだ大友家で親子の殺し合いが起きたら、公方達は恐怖する。
大友家から逃げるしかなくなったら、龍造寺や島津を頼るしかない。
海を渡って土佐の一条家を頼る事もできるが、堺公方を抱える三好家が強大な力を持つ四国だと、弑逆される可能性が高くて逃げ込められないだろう。
どちらが勝っても良かったが、先手を打ったのは嫡男の大友義鎮だった。
父親と異母弟が眠る大友館を、側近の田口蔵人佐、津久見美作、齋藤左馬助、小佐井大和守らに襲撃させた。
大友義鎮と側近達は余程父親と異母弟が憎かったのだろう。
父親と異母弟を膾のように切り刻んで殺していた。
何の罪もない二人の異母妹まで殺した。
更に異母弟の実母は、散々慰み者にした後で殺した。
大友義鎮は、自分を廃嫡にしようとした者達を許さなかった。
塩市丸の傅役、入田兵庫頭を筆頭に服部右京亮らが襲撃され、皆殺しにされた。
大友家はこれでいい、その気になれば何時でも大友義鎮は殺せる。
我らの真の目標は流れ公方達だ。
大友家の内乱に恐怖した流れ公方達は豊後から逃げ出した。
大友家が攻め取ろうとしている大内家の筑前と豊前には逃げられない。
大内家に加担していた龍造寺のいる肥前にも逃げられない。
そこで足利義晴は、京に居た頃に偏諱を与え礼物三百貫文の遣り取りがあった日向の伊東義祐、黄金三十両の遣り取りがあった肥前の有馬晴純、馬代として百貫文を送ってきた肥前の大村純前に使者を送って下向を打診していた。
三者とも公方達の受け入れには難色を示したが、使者が有馬晴純に食い下がって何とか下向を取り付けた。
龍造寺、大友、旧大内の争いも心配なはずだが、それでも有馬を頼った。
もう逃げる場所を選んでいられない厳しい状態なのだろう。
まあ、有馬晴純は次男の勝童丸を大村家の養子に出していた。
両家の力はもちろん、三男が養子に入った千々石家、四男が養子に入った松浦家、五男が養子に入った志岐家の力も使えると考えたのだろう。
惨めに逃げ出す公方親子を見られて溜飲が下がった。
だがこれで公方親子を殺す機会を失ってしまったのは残念だった。
これからは肥前の諜報衆が公方を苦しめてくれると思おう。
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