第92話:織田三郎信長
天文十六年(1548)2月14日:越中富山城:俺視点
「一度手向かったにも関わらず、謁見を御許し下さりありがとうございます。
身命を賭して御仕えさせていただきます」
織田信長が臣従したいと言ってきた。
それも、帝と朝廷を通して言ってきた。
父親と袂を分かって、その下劣なやり方を暴露するという手土産を持って。
織田信秀も長尾為景と同じように、長年朝廷に献金を続けていた。
伊勢神宮式年遷宮のために、材木や銭七百貫文を献上している。
天文十年の嵐によって内裏の建物が倒壊したが、その修理費用として朝廷に四千貫文を献上している。
帝も朝廷も、その奉公を無視して信長の頼みを断ることができなかった。
そんな事をしたら、俺の長年の奉公も風向きが変わったら踏み付けにする。
その証明になってしまって、それでなくても二条の馬鹿の所為で怒らせてしまった、俺の感情を暴発させてしまうからだ。
「謁見を許しただけで、家臣にすると決めたわけではない。
だから礼は言わなくていい、会うと決めたのは、三郎の話が聞き捨てならなかっただけだが、間違いないのだな」
「はい、間違いございません、この耳で確かに聞きました。
父織田弾正忠と今川治部大輔は、六角を通じて甲賀と伊賀の忍者を使い、越中守様のお子様方を暗殺しようとしています」
事前に聞いていたが、改めて信長から聞くと、怒りで我を忘れそうになる。
怒りの余り手が震えるのを止められない。
このままでは、弾正忠と治部大輔の代わりに信長を殺してしまう。
「何故父親を売った?」
「あまりに卑怯だからでございます。
戦国乱世とはいえ、やって良い事と悪い事がございます。
敵の大将を暗殺するのは兵法ですが、まだ幼い元服前の子供を暗殺するのは、兵法ではなく犬に畜生にも劣る邪法でございます」
「長島の連中が出陣しないというのは本当か?」
「絶対とは申せませんが、十中八九は討って出て来ません。
これまでの戦いから、越中守様に野戦で勝てるとは思っていないようです。
僅かでも勝てると思っていたなら、尾張の戦の時に討って出ています。
連中は、輪中の堅固な守りなら、越中守様の攻めにも耐えられると思っています」
確かに、毎年洪水を繰り返す木曽川、長良川、揖斐川が創り出した中州群は、細かく分かれた川の流れを自然の壕とし、輪中を守る堤防を土塁としている。
大洪水から輪中を守る堤防は、下手な城の城壁よりも堅固だ。
更に輪中の周囲には網の目のように湿地帯が広がり、攻める方の脚を取り輪中から狙い撃ちできるようになっている。
川を船で渡って攻めるだけでも不利なのに、湿地帯には土が露出している所があり、舟では渡れず迂回しなければいけないから、輪中に近づける水路が限られる。
まだ火縄銃は広まっていないから、銃での狙い撃ちはない。
だが、足を取られた軍勢に矢を射かける事は出来る。
単なる力攻めでは、攻め手の方がとんでもない死傷者を出す事になる。
木曾三川と呼ばれる木曽川、長良川、揖斐川には、遥か上流の岐阜までの間に、大小四十五ものも輪中が連なっている。
これまでは、全ての輪中が長島願正寺の支配下に入っている訳ではなかった。
だが、俺の侵攻に危機感を持った織田家と斉藤家が、四十五の輪中にいる国人地侍に、長島願正寺に従えと命じたのだ。
とはいえ、輪中の国人地侍の大半は調略を終えている。
七割くらいは俺の直臣に組み入れ、信用できる者の与力同心にしている。
ただ、中には、火事場泥棒的に利を得ようとする者もいた。
本領安堵どころか、加増や利を要求する愚か者がいた。
そんな奴は、調略して命を助けてやる必要もない。
最後まで降伏を許さず、野垂れ死にさせてやる!
「織田三郎」
「はっ!」
「召し抱えるかどうかは、直ぐに決められぬ、宿を用意するから逗留しろ」
「有難き幸せでございます」
近習の一人が信長を宿まで案内していった。
「穴山小助、根津甚八、筧十蔵、海野六郎、望月六郎を呼べ」
「はっ!」
俺の命を果たそうと近習の一人が慌てて出て行った。
使番役の近習達に命を伝えるのだ。
腹心達が集まる前に、信長をどうするか決めなければならない。
召し抱えるか、放り出すか、殺すか。
史実の信長は、その性格と能力に対する賛否が極端だった。
俺は肯定派だったが、家臣として召し抱えて使うかどうかとは別の話だ。
そもそも、前世とこの世界の信長が全く同じわけがない。
俺に尾張を奪われ、父親と共に願正寺の世話になるという屈辱があった。
足利幕府ではなく、下剋上男の俺に仕えるという決断をしている。
それも、愛情を注いでくれた父親を裏切ってだ。
性格が歪んでしまっている可能性がある。
表向き臣従しておいて、俺の寝首を掻こうとしている可能性が高い。
こんな状態で召し抱えるだけの利があるかどうか……
「御召により参上いたしました」
「入れ、他の者が集まるまで中で待て」
「はっ、失礼いたします」
根津甚八が礼儀正しく部屋に入ってきた。
直轄領が増え、俺の命を狙う奴も増え、諜報部隊が大忙しになっている。
表も裏も関係なく、毎年大増員しているにもかかわらず、忙しくしている。
これまでは常にどちらかが俺の側にいた、猿飛佐助と霧隠才蔵もずっと外に出ていて、ひと月に一度か二度報告も戻るだけだ。
日本で特に有名なのは甲賀と伊賀の忍者だが、雑賀、柳生、根来なども金さえ積めば幾らでも雇われ、合戦で奇襲撹乱を受け持っている。
暗殺までやれる腕利きは少ないが、全くいない訳ではない。
現に北条家は、風魔を使って何十何百の刺客を放ち俺を殺そうとした。
俺を殺そうとするのは弱者の戦法として仕方がない事だと割り切れたが……
「よく集まってくれた、諜報部隊が報告していた事の裏が取れた。
織田三郎が、甲賀と伊賀だけでなく、忍び働きをする全ての賊が子供達を狙っていると言った」
呼び出した五人全員が部屋に集まったので、前置きを抜きに話した。
腹心を前に下らない前置きを話していられるほど平静じゃない。
今も怒りで手が小刻みに震えている。
いや、怒りではなく、自分がしてきた事が原因で、子供達が刺客に狙われているという、自責の念なのかもしれない。
「「「「「はっ!」」」」」
「もう、間違いかもしれないと我慢する必要は無くなった。
子供を狙うような腐れ外道には、同じ思いをさせてやる。
筧十蔵、海野六郎、望月六郎、あらゆる方法を使っていい。
鉄砲も手榴弾も大棒火矢でも構わない、何でも使って敵の子供を殺せ!」
「「「御意!」」」
「今直ぐ行け、敵の直系を根絶やしにして家督争いを起こさせろ!」
「「「はっ!」」」
俺の激情を感じたのだろう、三人は何も言わずに急いで出て行った。
「穴山小助、根津甚八」
「「はっ!」」
「わざと隙を作って暗殺者を誘いだして殺せ。
これまで泳がせていた者も皆殺しにしろ!
暗殺を引き受けるような者が住む場所は、一つ残らず根切りにする。
これまでのように、交渉で敵の話を手に入れる必要はない。
忍びや修験者の繋がりを大切にする者は、長年の身内でも殺せ!」
「「はっ!」」
俺の影武者を務める二人がでていった。
相談して、どこでどのようにして暗殺者を誘いだすか決めるのだろう。
影武者二人が暗殺者を引き付けた分、子供達を狙う者が減る。
「鳩、旗振り、使い番を呼べ、緊急の命を伝える!」
「「「「「はっ!」」」」
俺の怒りを肌で感じた近習衆が慌てている。
これまでは禁じ手としていた暗殺を行うと公言したのだ。
それも、大将ではなく元服前の子供を根絶やしにしろと命じたのだ。
何か失敗したら、厳しい罰を受けると震え上がっている。
普段なら安心するように声をかけるのだが、そんな気にはならない。
少しでも早く全て終わらせて、子供達の側に戻りたい。
長島願正寺は水攻めにする。
尾張側にこれまで築いた事のないほど頑丈な大堤防を築く。
徳川幕府が行った宝暦治水の堤防など児戯になるような大堤防を築く。
これまで行ってきたような、遊水を考えた堤防ではない。
全ての水害を美濃側、特に本願寺に与する連中が被害を受けるようにする。
宝暦治水では、尾張徳川藩側の堤防が高くなるようにしていた。
徳川幕府と尾張徳川家を恐れる美濃側の諸藩は、黙って水害を受けた。
宝暦の堤防が完成してからは、尾張側の洪水は殆ど無くなった。
逆に美濃側では、ほぼ毎年水害が起きた。
田畑が破壊され、家だけでなく、時に人と牛馬まで流された。
だがそれは普通に水害を受けた場合だ。
その程度で済ますほど、俺の怒りは小さくない。
子供達を狙ったのが織田であろうと関係ない。
織田信秀と同盟を組んでいた者、信秀を召し抱えた者、全員皆殺しにする!
尾張側に大堤防を築くと同時に、上流に巨大堰も築く。
大雨に時に決壊させて、輪中の連中を皆殺しにしてやる!
一度で殺せなかった二度でも三度でも大洪水を起こしてやる!
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