第88話:美談と癇性、気鬱の病
天文十六年(1548)5月3日:越中富山城:俺視点
晶の御願いは、渡りに船だった。
領民を含む八万の人間を餓死させて、俺の心がもつのか半信半疑だったのだ。
大丈夫だとは思うが、万が一、心を病んだら取り返しがつかない。
前世で読んだ信長の言動を考えると、天下を治めて太平の世を築く精神的重圧が、どれほど信長を苦しめたのが分かる。
徳川幕府三代将軍の家光、彼が不安神経症だったのは間違いない。
家光の言動を見ていくと、将軍職の精神的重圧が不安神経症を発症さている。
その症状が特に重くなったのが、弟の駿河大納言忠長を殺した後だ。
弟を殺した自責の念で無気力になり、二年間も政務が取れなくなくなっている。
表の老中達に二年も会わず、大奥に籠っていたのだ。
俺は図太い方だと思っているが、何がきっかけで心が壊れるか分からない。
他人を大量虐殺しても大丈夫だし、兄達を追放してもよく眠れている。
用心して殺してはいないが、たぶん殺しても大丈夫だろう。
ただ、国人地侍を殺すのは大丈夫でも、北条家に巻き込まれて籠城している民を殺しても大丈夫かは分からない。
しかも、普通に殺すのではなく餓死させるのだ。
豊臣秀吉の兵糧攻めと同じ結果になると、人肉を食べるほど追い込まれる。
それを聞いて、俺の心がもつかどうか心配だったのだ。
長尾家の当主として、誰にも弱い所は見せられない。
一般的な戦国大名や国人地侍が平気でやれることは、やれなければならない。
だが、身重の妻に温情をかけるように嘆願されたら、許す事ができる。
神仏を信じる者が多い戦国時代なら、祟りや怨念を避けるのは正当な理由になる。
まして俺は善光寺の長吏で戸隠神社の別当だ、民への情けは許される。
長尾家の全力を使って、晶の温情を美談として広めた。
晶と子供達に神仏の加護を得る為、怨念や祟りを避ける為、北条主従の命を助けて追放で許す話を美談として広めた。
天文十六年(1548)6月7日:近江観音寺城:朝倉宗滴視点
「宗滴様、堺の御所様と松江の公方様から使者が参っております」
「追い返せ、城内に一歩も入れるな」
「はっ!」
毎日毎日諦める事なくしつこく調略しようとする。
殿が与えてくださる御恩に十分の一も有らえられないくせに、偉そうにするな!
命懸けの奉公を望むなら、それに見合うだけの恩を与えなければならぬのが、全く分かっていない!
名ばかりの守護職などもらっても、兵の一人も集まらないし、米の一粒も手に入らないのが分かっていない。
愚か者どもに比べて、殿の公明正大さは心から尊敬できる。
足利のような弱い幕府では太平の世を望めなから、どれほどの功臣でもあろうと、与えられるのは遠国一国までと、最初から言い渡されている。
誰かが山名氏のように、一族で十二ヶ国もの守護に任じられ、六分一衆と呼ばれるほどの権勢を持ってしまうと、必ず天下が乱れるとも言われた。
だから、どれほどの功臣であろうと、一族で二カ国を治める事は許さない。
領地を与える直臣は一人まで、それ以外は万貫を越える武功を立てようと、扶持しか与えないとはっきり言われている。
それが気に食わない者は、殿の家臣ではいられないだろう。
今忠誠を尽くしている者でも、何れ謀叛するだろう。
だが私は、殿のなされようを心から尊敬している。
幕府の弱さや将軍家の身勝手さが、どれほど世を乱すのか、民草を苦しめるのか、嫌と言うほど知っている。
朝倉家の陣代として戦っていた頃も少しは感じていたが、それほど切実ではなかったし、朝倉家を他家や一向一揆から護るのに必死だった。
だが、殿に仕えるようになって、加賀の国人地侍だけでなく、戦に敗れて領地を失った揚北衆や甲斐衆、奴隷兵を十万も預かるようになって、ようやく分かった。
私達が飢える事なく生きて行けるのは、民草が田畑を耕してくれるからだと。
その民草が、飢えて死ぬか野伏にならなければいけないほど、私達武家が苦しめている事を、奴隷兵と身近に話す事で身に染みて知ることができた。
だから私は、どれほど武功を立てても遠国一国で満足できる。
それに殿は、侍大将以上の者に善光寺の誓詞を書いて約束してくださっている。
領地を制限する代わり、漢の劉邦のような功臣殺しはしないと。
「宗滴様、堺の御所様と松江の公方様からの使者は、左衛門尉様と越後守様にも使わされているとの事でございます」
先ほどとは別の配下、表の諜報部隊に所属する者が報告する。
「左衛門尉様は今回も門前払いか?」
「はい、我らが知る限りでは、左衛門尉様が使者に会った事はありません」
「越後守様は相変わらずか?」
「はい、使者を上座に迎えておられます」
一度大きな敗北を喫した左衛門尉様は慎重だ。
殿の粛清にあわないように、幕府や足利の関係者とは絶対に会わない。
問題は、殿とは腹違いの景虎様だ。
九郎判官の前例があるというのに、足利関係者に会うどころか、嬉々として守護職を受けるなど、愚かにも程がある。
「高野山の御二方はどうなされている?」
「相変わらず、酒色に溺れておられます。
勧める者が誰の手先なのかは分かっております」
「殿は御止めになられないのだな?」
「はい、時が来れば決断すると申されておられます。
我らは、手出しする事なく見張り続けろと命じられております」
殿は兄上方を殺す覚悟をされているのだな。
私も朝倉の家督を手に入れたいと思った時は、兄弟殺しを考えたが……
「今一度確認するが、京にも甲賀にも美濃にも攻め込まなくて良いのだな?
殿からの命はないが、お前達が伝える事もないのだな?」
内々の命を授かるくらいは信頼されていると思うのだが……
「はい、我らを通じての命はございません。
宗滴様になら、裏の諜報衆を通じて内々の命が下るかもしれません」
うむ、表の者達から見ても、私は信頼されているのか。
「そうか、その時が来るまでは、余計な事はしない方が良いな」
「はい、殿の深慮遠謀は我らが計り知れるモノではございません」
「そうだな、疱瘡の治療法も、甲斐の水腫病も、殿でなければ治せなかった。
あのような手段で民の心を掴めるなら、行える事が根本的に違ってくる。
そもそも、三年五作の技がなければ、どれほどの民が死んでいた事か!」
「宗滴様、このような事を申し上げるのは失礼ですが、まずは殿が命じられた策を全力で取り組まれるべきだと思います」
「そうだな、政ばかりしていて、ようやく武功の機会が来たと思ったら、ろくに戦う事なく勝ってしまったから、知らず知らずの内に戦を求めてしまっていたようだ。
殿の御心を考えれば、先ずは民を飢えさせないように、地を治めるべきだな」
「はい、堤防を築いて洪水が起きないようにする。
新しく治めるようになった国で最初にやらなければいけない事でございます。
宗滴様は十分やられておりますが、問題は堰でございます
「分かっている、今一度殿に確かめて間違いのないようにする」
近江の国に来て驚いたのは、大雨が降ると淡海乃海が溢れて田畑が沈む事だ。
私はまだ見た事はないが、ここ数年で二度もあったと言う!
それでは、堤防など築いても無駄かと思ったら、殿が瀬田川に堰を築いて淡海乃海の水を操ると申された!
この歳になって腰が抜けそうになるくらい驚いた。
だが、越後、越中、加賀、甲斐の暴れ川を見事に操り豊穣の地にされた殿なら、淡海乃海の水も操れるのかもしれない。
一年二年で出来るような軽い役目ではない。
殿からは、十年かけて近江の民が安らかに暮らせるようにせよと命じられている。
加賀の暴れ川を治めた時のように、一世一代の役目になるだろう。
武家に生まれて、人を殺すのが当たり前で、敵を多く殺す事が功名だった。
そんな私が、民を戦から守るだけでなく、飢えや洪水からも守るようになった。
そんな役目を誇れようになるなど、殿と出会わなければ有り得なかった。
随分と歳をとったが、まだまだ体は動く。
殿が理想とされる太平の世を築く礎に成れるのなら、命など惜しくない。
瀬田川の堰と京に通じる隧道、生きているうちに完成させてみせる!
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