第58話:捕虜

天文十二年(1543)5月9日:越後春日山城:俺視点


 武田村上連合軍を完膚なきまで叩き潰した。

 背後から奇襲を受けた武田軍は殆ど抵抗できなかった。

 当然だ、奇襲軍の鬨の声に合わせて高梨勢が千曲川を渡って攻めたのだから。


 自軍の匹敵する軍に背後から奇襲された状態で、これまで対峙していた九万の大軍が攻め寄せてくるのだ。


「武器を捨てて降伏せよ、降伏したら命だけは助けてやる。

 武功を立てれば、奴隷兵から侍大将にも成れるぞ!」


 俺の軍は、奴隷からでも成り上がれる事で有名になっている。

 下級指揮官の数が圧倒的に足りないので、少々の武功で足軽組頭になれる。

 武田の地侍なら、直ぐに足軽大将に成り上がれる。


 手当たり次第に奴隷を買い集めた弊害だが、ようは使い方だ。

 弱点を逆に見せれば、才ある人間に成り上がれると思わせる事ができる。

 実際、但馬方面では奴隷から侍大将に成った者がいる。


 優秀な武将は喉から手が出るほど欲しい。

 裏切らない忠誠心がある者なら自ら出向いても家臣にしたい。

 兵数だけいても、軍としては大きな弱点を残したままだ。


「お前達に言っておくことがある、敵は捕虜にしろ。

 首を取った者よりも捕虜にした者に多くの恩賞を与える。

 俺のやり方は知っているな? 

 奴隷を買って屯田させ、兵力だけでなく兵糧も確保するのだ。

 殺した者を働かせる事はできん、捕らえてこそ明日から使えるのだ」


 俺は信濃に送る諸将に言って聞かせた。

 普通は言われただけだと実感できないが、俺の配下は身に染みて理解している。

 普通なら飢饉で死んでいるはずの連中が、莫大な量の兵糧を作り出しているから。


 初陣の謙信は、ただひたすら槍を振るっていたそうだ。

 後見人の山村若狭守が、できるだけ武田を殺さないように降伏勧告してくれた。

 千曲川の狭隘部にいた武田勢は、逃げる事もできないと諦め、次々に降伏した。


 村上勢は山上の城を中心に陣取り、戦いが始まったら斜面を駆けおりる勢いを利用して、俺の軍の横腹を突こうとしていた。


 だが、戦いらしい戦いは起こらなかった。

 予想していた戦場ではなく、後方に奇襲を受けた武田勢が早々に降伏した。

 攻め下る機会を失った村上勢は、籠城するか城を捨てて逃げるかしかなかった。


 村上義清の史実での行動を考えると、最初は籠城を続ける気だったと思う。

 頑強に籠城しながら関東管領の上杉憲政に援軍を求めたと思う。

 だが、籠城したくてもできなくなった。


 山の下では、精強を誇った武田勢が戦う事もできずに降伏している。

 武田勢を飲み込むほどの大軍が盆地を埋め尽くしている。

 無理矢理集められた領民が、城から出られた機会を利用して逃げた。


 領民兵が逃げるのを取り押さえるはずの足軽や地侍も、同じように逃げた。

 勝てるかもしれないと思って集まった国人や地侍も、負けたと思い逃げた。

 残ったのは僅かな忠臣と家族だけ、とても籠城などできない。


 村上義清は家族と僅かな忠臣を率いて逃げた。

 信濃には俺の兵が溢れっているので、西には逃げられない。

 東の山々を越えて関東管領を頼るしかないだろう。


 だが、関東管領上杉憲政を頼っても無駄だ。

 信濃に援軍をだせるのなら、当の昔に出している。

 上杉憲政は愚かな面も多いが、勇猛果敢で臆するような性格ではない。


 そんな上杉憲政が、武田と村上に援軍を頼まれているのに援軍を出さなかった。

 理由は単純明快、援軍を出せば上野を奪われるから。

 俺の軍が一度関東に押し入れば、そのまま関八州を奪われると思ったから。


 俺は慎重な性格だし、不敗神話を失う気もない。

 信濃に兵を侵攻させる前に、上野との国境に屯田兵を置き築城耕作させた。

 五十万もの大軍が国境にいるのに、信濃に援軍など送れるはずがない。


 五十万とは言っても、半数以上は老人、女、子供だ。

 買い集めた奴隷の過半数が兵士には向かない者達だ。

 だが一向一揆や法華衆の一揆を知っている者は、老人や女子供でも馬鹿にしない。


 老人や女子供が振るう剣でも、当たれば身を裂き、命を奪う。

 投げる石に当たれば頭が割れ意識を失う事がある。

 数に飲まれたら一騎当千の武士でも殺されるのを良く知っている。


 それに、相模には強敵の北条氏康がいる。

 北条氏康、いや、風魔忍者は油断ならない。

 三年五作の立毛間播種を盗んで真似しやがった。


 最近は忍者の侵入を許さないようになっている。

 かなり以前、まだ防諜対策が十分でない頃に盗みだしたのだろう。

 もしかしたら北条氏綱が生きていた頃に盗み出したのかもしれない。


 そんな以前から、領地も接していない俺の事を調べられるだけの忍者がいる。

 北条家の諜報能力と形振り構わず他家の長所を取り入れる貪欲さは油断できない。

 

 まあ、全ての領民にやらせている立毛間播種が盗まれるのは想定内だ。

 茸の人工栽培も盗まれる前提で広めているから良い。


 絶対に盗まれないようにしなければいけないのは、真珠と硝石。

 これだけは人の手で作り出せると知られてはならぬ!

 そう言う意味でも、風魔衆は手に入れたい。


 敵味方の情報を手に入れる密偵衆は数も質も確保できている。

 夜討ち、放火、暗殺、伏兵、攪乱ができる者も僧兵と修験者から選んだ。


 だか、できれば、戦闘に長けた忍者をもう少し増やしたい。

 戦闘に秀でた風魔衆を味方に加えたい。


「殿、武田大膳大夫殿を御連れしました」


「入れ」


 俺の命を受けた近習四人が武田信玄を部屋に案内してくる。

 案内人ではあるが、見張りでもある。

 俺に危害を加えようとしたら即座に斬る役目だ。


「どうです、私に仕える覚悟はできましたか?」


 ひと通りの面倒な挨拶を終えてから武田信玄に聞いてみた。


「元服間もない年下に仕える気にならないと言ったらどうされる?」


「奴隷になっていただき、田畑を耕して頂くだけです」


「仕える振りをして寝首を掻く機会を伺うやもしれませんぞ」


「それは誰もがしている事、気にするような事ではありますまい」


「某を家臣に加えたからと言って、簡単に甲斐は取れませんぞ。

 駿河の今川殿が父を押し立てて甲斐を手に入れようとするのは明らか」


「その時は、今川殿と御尊父を捕らえるまで。

 北条家を敵に回した今川殿の動かせる兵など、高が知れている。

 武田大膳大夫殿の兵は全て捕虜にした、甲斐に兵は残っておりますまい」


「私が誇りを捨てずに切腹したらどうされる?

 甲斐の国人地侍が私に殉じてくれたら、味方を増やせませんぞ」


「私を試しておられるのか?

 大膳大夫殿に殉じるのは、御舎弟の典厩殿くらいであろう。

 目の前に、大膳大夫殿以上の兵力と領地を得られる機会が転がっているのだ。

 それを見逃すような国人地侍が何所に居るのです?」


 武田信玄がこの合戦に動員できたのは七百騎七千兵だけだ。

 俺に認められて侍大将に成れたら、万の兵を率いる事ができる。

 自分に自信がある国人地侍ほど、この機会を逃さない。


「仕えると言ったら、私はどのような待遇になるのだ?」


「足軽大将として千兵を率いてもらう事になる」


「千もの兵を与えて大丈夫ですか?

 兵を率いて逃げるどころか、越中守殿の命を狙うかもしれませんぞ」


「その素振りを見せたとたん、私の手の者が大膳大夫殿の首を刎ねる。

 返り討ちにできたとしても、奴隷兵は誰もついて行かない。

 飯を食わせてくれない者に付いて行く奴隷兵はいない。

 飢饉であろうと腹一杯喰わせてくれる、餓死させない主君の元を離れぬ。

 大膳大夫殿に付ける兵は、飢えて甲斐から逃げて来た者、奴隷にされた者だ。

 私の首の心配をするより、自分の首の心配をされよ」


「……分かりました、仕えさせていただきます」


「大膳大夫殿には奴隷兵を率いて田畑を耕し、堤を築いていただく。

 武功を得る機会は、奥羽か西国に兵を進める時。

 甲信と関東に兵を進める時は領内に残って頂く」


「承知いたしました」


 今回はどこまで兵を進めようか?

 諏訪郡と甲斐一国には進めておくべきだろう。

 伊那郡と木曾をどうするかが問題だ。


 理想は戦う事なく勝つ事。

 敵対していた者が進んで降伏するような状態にもって行く事。


 上野との国境、越後には五十万の兵がいる。

 それに、国境にいる上野の国人地侍は、密かに誼を通じてきている。


 会津と信濃に十万兵ずつ屯田させたら、雪崩を打って俺に味方するだろう。

 智仁勇を兼ね備えた、名将長野業政でもどうしようもないだろう。

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