第56話:誅殺
天文十二年(1543)5月3日:越後春日山城:俺視点
型通りの面倒な挨拶を終えて、長尾豊前守と本庄美作守が平伏している。
俺にカリスマ性はないが、山のような実績はある。
上田長尾家を情け容赦なく滅ぼした前例もある。
「どうした、二人揃っての願いと言う事は、古志長尾家としてか?」
「はい、身勝手な御願いに参りました」
古志長尾家の願いだから当主の長尾豊前守が話すのだな。
だが実際に考えたのは、謀略に長けた本庄美作守だろう。
本庄美作守は実力があるのだが、信用できないから重用しないようにしている。
「ほう、何だ、思い当たらんな」
「信濃の善光寺に預けられておられる虎千代様の事でございます」
「虎千代殿か、僧になる勉学を放り出し、武士の真似事ばかりされているそうだが、お前達がやらせているのか?」
「滅相もございません、殿と御先代の意に逆らうような事はしておりません」
「そうか、それはよかった。
虎千代殿を唆すような輩は、上田長尾のように滅ぼしてやろうと思っていたのだ」
「……左様でございましたか、主家を唆すような者を誅されるのは当然です」
「それで、願いとは何だ、俺も忙しい、早く言え」
「……」
「恐れながら、某から申し上げさせて頂きます」
「なんだ、申してみよ」
臆病風に吹かれて何も言わなくなった長尾豊前守に任せておられなくなったか。
「寺に預けられても武芸を忘れならない虎千代様は、正しく長尾家の御血筋。
このまま性に合わない僧にするのは惜しいと愚考したしました。
還俗させられて、殿の手足として御使いになられてはいかがですか?」
「確かに、百万もの兵を得た俺は、才ある者を求めておる」
「ならば御先代の血を受け継ぎ、殿と血縁のある虎千代様を還俗させられては?」
「だがそれ以上に、謀叛叛乱を恐れている。
今忠告したはずだぞ、虎千代殿を唆す者は同じ長尾でも滅ぼすと。
まして陪臣に過ぎぬ本庄など、九族皆殺しにして根絶やしにするぞ」
「虎千代様を唆すなど、全く考えておりません。
まして殿の目を欺けるなどと、思い上がってもおりません。
心から長尾家の為を思って申し上げさせていただきます」
「御家騒動、謀叛の元を担ぎ出そうとしておいてよく言う」
「越後、越中、加賀、能登を切り取られ、奥羽に並び無き力を有される殿。
これから但馬と信濃を切り取られる殿。
そんな殿に謀叛を起こせる者などどこにもおりません」
「美作守、俺が自分の弱味も分かっていない、愚か者だと思っているのか?」
「そのような事は全く思っておりません」
「実績があり、神仏の加護があると言っても身体は子供だ。
血を分けた子供など望むべくもなく、父上は老齢だ。
一番信じられるはずの同腹の兄を追って家を継いでいる。
年長二人の兄を遠く離れた紀伊の高野山に幽閉している。
残された近親は虎千代殿だけ。
俺に何かあれば、美作守が口にした国々と百万の兵が虎千代殿の物だ。
虎千代殿の後見人ほど旨味の有る役目は無かろう?」
「いえ、だからこそです、だからこそ虎千代様を還俗させねばならないのです。
このままでは、殿に何かあった時に長尾家が割れてしまいます。
殿に逆らった事のない唯一の御兄弟、虎千代様を還俗させるべきでございます」
「そのような心配は、古志長尾の陪臣に過ぎないお前が考える事ではない!
俺に何かあった時のことは、重臣達に命じてある!
無礼者、下がりおろう!」
「「はっ!」」
俺が怒ったのもあるが、近習達が刀に手をかけたからだろう。
長尾豊前守と本庄美作守が逃げるように部屋を出て行った。
「殿、恐れながら申しあげます」
山村右京亮は諫言しようといるのか?
「なんだ?」
「殿に何かあった時のことをお聞かせいただいておりません」
「そうか、お前達にも言っておいた方が良いな。
父上、晴景兄上、太郎左衛門尉、若狭守、伊予守、源右衛門尉には言ってある」
「父も聞かせていただいているのですか?」
「ああ、十万の兵を預けた総大将だからな」
「最も大切な話を聞かせていただくには、十万の兵を預かれるほどの重臣ならなければならないのですね?」
「そうは言わぬが、これまではそうだった。
これからは側に仕える重臣にも聞かせよう。
俺に何かあった時は晴景兄上に継いでいただく」
「左衛門尉様は、殿が当主に相応しからずと追い払われた方でございますが?」
「それは俺に比べて劣るというだけだ。
俺に何かあったら、血筋と年齢から言って晴景兄上以外に適任者はいない。
それとも、高野山に幽閉した二人を当主にしたいのか?」
「とんでもございません、そのような事は毛ほども思っておりません」
「毎年年頭に、俺に何かあった時に誰が跡を継ぐのか話す。
俺に子供ができれば、晴景兄上が三条長尾家を継ぐことはない。
九条と鷹司の甥が大きくなったら、晴景兄上よりも適任かもしれぬ。
あくまでも今だ、今俺に何かあった時の話だ」
「申し訳ございません、無礼な事を申し上げました」
「いや、いい、そうだ、右京亮は虎千代兄上を還俗させた方が良いと思うか?」
好い機会だ、側近達を試しておこう。
「……還俗させられた方が良いと思いますが、条件がございます」
「ほう、なんだ?」
「古志長尾家を潰してからでないと、殿に何かあった時に御家騒動になります。
いえ、還俗させなくても、善光寺に置かれたままでも危険でございます。
虎千代様を高野山に御預けになられるか、本庄美作守を誅されませ」
「右京亮はこう申しているが、お前達はどう思う?
思う所を隠す事なく申せ、答えによって才と忠誠心が測られると思え」
俺の言葉を聞いて、側近達が顔色を悪くした。
俺の意に沿うような答えを口にした方が良いのか、自分が本当に思っている事を口にした方が良いのか、決めかねている。
答え次第で立身出世が決まるのだから当然だ。
だが、側近には内諜の者がついている。
普段家族にどのような事を言っているのか、常に報告を受けている。
「下剋上は戦国乱世の習い、本庄美作守は危険ではありますが、才があります。
才ある者の叛意を抑えて使うのが主君でございます。
虎千代様を高野山に送られて、古志長尾を上手く御使い下さい」
「武家にとって一番大切なのは御血筋と家名でございます。
まだ殿に逆らった事もない虎千代様を、このまま僧にするのは惜しいです。
どれほど才が有ろうと、叛意を持つ者を許してはいけません。
古志長尾家を滅ぼしてから虎千代様を還俗させてください」
側近達の考えは、大別すると二つだった。
俺もどちらかを選ぶしかないと思っていた。
もし俺に前世の記憶がなければ、虎千代を高野山に送っていた。
上杉謙信のカリスマ性と才能はとても危険だ。
下剋上を警戒するなら殺すか僧にするしかない。
だが俺には前世の記憶があり、上杉謙信の事を良く知っている。
主殺しをした父の行いを恥じて、極端に偏った正義感を振りかざしていた。
その点を上手く突いてやれば、俺の手足になってくれるかもしれない。
それに、後ろ盾になる者がいなければ、謀叛を起こしても大した事はできない。
前世では上杉謙信の味方をしていた家臣や国人も、俺の実績で抑えられる。
俺が思っている以上にカリスマ性と才能があり、危険だと思ったら、殺す。
上杉謙信の後見人は、俺に絶対の忠誠心を捧げている者にさせる。
「分かった、右京亮は兵を率いて古志長尾を滅ぼしてこい。
奴隷になってやり直すと言うのなら、本庄美作守以外は助命しろ」
「承りました、本庄美作守を誅殺して参ります」
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