第48話:総兵力と輿入れ

天文十年(1541)10月1日:越後春日山城:俺視点


 ようやく『天文の大飢饉』が終わった。

 餓死や疫病で死ぬ者は殆どいなかったと思う。


 家臣領民はもちろん、全国の商人に奴隷を買う足軽を雇うと伝えた影響だ。

 商人達は、奴隷を売って利益を得ようとした。

 更に足軽の年季奉公を斡旋する形で手数料を手に入れようとした。


 後の世の中には大飢饉は起こらなかったと伝わるだろう。

 俺のやった事が伝わるかどうかは、俺が天下を握れるかどうかで決まる。


 計算ずくでやった事だが、天下を得たら自分を奇麗に見せなければならない。

 表向きは、餓死する者を可哀想に思い、危険を顧みずに大切な軍資金と兵糧を使って救ったという美談にする。


 今年の収穫は小氷河期の例年並みだった。

 いや、全国平均では少し良かったのかもしれない。

 大洪水で豊かな土が田畑に流れ込んだからだろう。


 秋の収穫が始まってから、売られてくる奴隷が徐々に少なくなった。

 今では例年と同じくらいの奴隷しか売られてこない。

 結局『天文の大飢饉』で手に入れた奴隷と足軽は百万人だった。


 五月雨式に毎日売られてくる奴隷なので、最初から百万人いたわけではない。

 それでも、一人一反の田畑を耕作してくれたら四百万石の大麦になる。

 田畑さえあれば、一人十反を耕作する事もできるだろう。


 俺の知る例では、江戸時代の農民夫婦が一町五反の田畑を耕作していた。

 男で一町、女で五反としたら、平均して一人七反は耕作できる。


 これまで越後、越中、能登、加賀、会津、米沢を支えてきた領民が、これからも収穫してくれる穀物以外にだ。


 実際、奴隷や足軽を使ってこの秋に収穫した大豆は、二百五十万石もあった。

 麦と違って、麦翁権田愛三の農法が使えないのにだ。

 一反で一石の大豆しか収穫できなくて二百五十万石だ。


「殿、将軍家からの使者にどう返答なされるのですか?」


 三条長尾家の代々家老を務める山村家の山村右京亮が聞いて来た。

 父親の山村若狭守は越中を治めてくれている。

 加賀は朝倉宗滴ががっちりと守り治めてくれている。


「適当に歓待してから追い返せ」


「本当に宜しいのですか?」


「構わない、屋形号など何の役にも立たない」


「周囲に対して身分差を明らかにできますが?」


「屋形号を持つ者など掃いて捨てるほどいる、関東だけでも八人以上いる。

 そんな意味のない物をもらって、将軍の下だと思われるのは損だ。

 これからはできるだけ将軍の下だと思われないようにする」


「……将軍家を滅ぼされる気ですか?」


「必要ならやるが、できれば他の者に滅ぼしてもらいたいと思っている。

 三好殿に期待しているのだが、俺の手でやらなければいけないかもしれない。

 必要ならば躊躇わぬ!」


「新たな幕府を開かれるのですか?」


「幕府を開くのか、全く新しい物を創り出すのか、まだ分からん」


「恐れながら再度お聞きさせていただきます。

 屋形号は必要ないのですね?

 将軍家が求められている一万石の米、お断りするのですね?」


「既に一万貫文の宋銭を渡してある、それ以上は鐚一文渡さん」


「承知いたしました、そのように取り謀らせていただきます」


「悪い顔をしているな」


「殿の不利にならないように、謀らせていただきます」


「普通にすればいいぞ、喰わせて飲ませて抱かせろ。

 将軍家への忠誠を忘れさせるくらい遊ばせてやるだけでいい、良いな?」


「殿がそう申されるのでしたら仕方ありません、そのように取り計らいます。

 それでは、光子様の輿入れの件はいかがいたしましょうか?

 将軍家を敵に回すのです、京は危険なのはありませんか?

 九条家に嫁がれた桃子様を越後に戻された方が良いのではありませんか?」


「危険が全くないとは言わないが、まず大丈夫だ。

 九条だけでも三千の兵がいる。

 鷹司にも光子姉上に従う兵を三千つける。

 実相院には三万の兵がいる。

 若狭の武田も将軍や管領よりも俺を選ぶ」


 九条家に嫁いだ桃子姉上には、姉上が自由に動かせる兵を三千つけてある。

 今の九条邸は、堅固な城砦に大改築された実相院内にある。


 それだけでも守り切れる所に、墓地に続く裏山に詰めの城を築いている。

 隣の大雲寺も城砦化されているから連携して守れる。

 鷹司家に嫁がれる光子姉上のために、園城寺から大雲寺を買い取ったのだ。


 何より京都雑掌の神余隼人佑親子が三万の兵を率いている。

 俺の元に送る前の弱った奴隷や足軽が中心だが、籠城戦なら十分使える。

 少なくとも俺が京に駆け付けるまでは姉上達を守れる。


 船団を組んで京に行くには若狭の小浜湊を使う事になる。

 若狭の武田が敵に回ったら少しだけ厄介だが、その心配はない。

 

 武田信豊は六角定頼の娘を正室に迎えている。

 六角定頼は足利義晴将軍を立てている。


 強大な六角と将軍家を敵の回したくない武田信豊は、普通なら義晴将軍の命に従って俺の敵の回るだろう。


 だが俺は、若狭武田家にとって普通ではない存在になっている。

 前世、上杉謙信が柏崎湊と直江津で得ていた船道前が四万貫文だった。


 船を使って全国から奴隷を買い取り、蝦夷と明国の中継貿易を行う俺は、長大な海岸線に数多くの湊を持ち、その全ての船道前を合わすと六十万貫文もある。


 そのおこぼれではないが、若狭武田家には莫大な船道前が入っている。

 畿内から奴隷を買い集めて俺の所に送るのは小浜湊だ。

 俺が北陸の産物を京で売る時に使うのも小浜湊だ。

 小浜湊の船道前は十万貫文にもなっている。


 十万貫文、石高で言えば八十万石に匹敵するかもしれない。

 若狭一国の石高は十万石にも満たないのだ。

 小浜湊の繁栄を若狭武田家は絶対に手放せない。


 だが俺を敵に回したら、三条長尾家の船はもちろん、俺の影響下にある船が全く小浜湊に立ち寄らなくなる。


 だからといって油断している訳ではない。

 世の中には、とんでもない愚かな行動をする人間がいる事を良く知っている。

 油断する事なく密偵に動向を調べさせているが、俺に敵対する気配は全く無い。


 むしろ俺に合わせて越前に攻め込む準備をしているような動きだ。

 俺が小浜湊を使わないといけないから、利用しても敵対しないと思っている?

 そろそろ京との交易を止めて若狭武田の力を削ぐべきか?


「殿、大切な事を忘れておられるのではありませんか?」


「分かっている、晴景兄上の事であろう」


「左衛門尉様は、殿に当主の座を奪われた形になっております。

 将軍家が越後守護と当主の座を餌に、味方つけようとされるかもしれません」


「兄上の性格だと、将軍の味方をする事はない。

 何かあって味方する事があっても、姉上達に何かする事はありえない」


「恨みで我を忘れると言う事はありませんか?

 側にいる者達が欲に駆られて唆す事はありませんか?」


「絶対に無いとは言わないが、可能性はとても少ない。

 それに、油断はしていない。

 姉上達には陰の護りをつけている。

 兄上にも陰の護りをつけている」


「陰の護りでございますか?」


「ああ、陰の護りだ、兄上が名の穢す事のないようにしている。

 他の三人の兄上達にもだ、だから心配するな」


「そうでございましたか、余計な事を申し上げました」


「気にするな、と言うか、これからも余計な事を言い続けてくれ。

 俺にもうっかりと言う事がある」


「はっ、仰せのままに」

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