第19話:分郡守護代

天文五年(1536)6月2日:越中国大村城:俺視点


 越後を掌握するのに集中している間にも色々な事があった。

 三月十日に足利義晴将軍に男児が誕生した、後の義輝だ。


 三月十七日、駿河の守護大名、今川氏輝が跡継ぎを決めずに死んだ。

 梅岳承芳、後の今川義元が勝ち残る花倉の乱が始まった。

 

 俺が組織しようとしている諜報部門が上手く機能しだした。

 春日山城に下向している公家衆、召し抱えた公家と地下家の子弟子女が、京はもちろん地方に下向している者達を通じて情報を集めてくれる。


 それに加えて、善光寺と戸隠神社を支配下に置いた事で、両寺に立ち寄り修行する修験者が全国の情報を伝えてくれる。


 両寺の奪還に協力した、高野山金剛峰寺と園城寺も全国の末寺から情報を集めてくれるので、これまでとは段違いに早く正確な情報が入るようになった。


 更に蔵田五郎左衛門に預けた者達が、商人としてだけでなく、伊勢神宮の御師となり、表向きは檀家を集めると偽って全国を歩き回り、情報を集めてくれる。


 彼らは俺の直属なので、時には敵を混乱させる流言飛語を広めてくれる。

 この点が協力関係にある公家や寺院の諜報網とは違う所だ。


 俺はそれらに加えて、表だって女性の救済を掲げる信濃善光寺を利用した。

 善光寺にある尼寺、大本願を信じれば女性も救済されるという話を広めて、越中能登加賀の一向一揆を切り崩した。


 更に善光寺の教えを広める聖として、忍びの者を兼ねた元奴隷を全国に送った。

 戦いなどしなくても良い、情報を集めて噂を広めてくれるだけで十分だ。


 善光寺ではできない組織、歩き巫女は戸隠神社に作った。

 旅芸人や遊女を兼ねているのが歩き巫女だ。


 売春をするので、いくら女性救済を公言する善光寺でも認められな。

 そもそも巫女を名乗っているので、寺ではなく神社でなければいけない。


 戸隠神社、戸隠山勧修院顕光寺は神仏混淆なのでうるさい事は言われない。

 修行に来ている修験者の家族が、戸隠神社の巫女を私称している体裁だ。


 これだけ多くの組織を利用しているから、早く多くの情報を手に入れる。

 複数の情報源があるから、騙されて陥れられる事もない。


 お陰で越中にいても手に取るように越後、信濃、畿内の情報が手に入る。

 これで不意を突かれて殺される心配がなくなった。

 問題は玉石混淆、真偽不明の情報を取捨選択する能力があるか無いかだ。


 毎日忙しく政務を執る俺の所に長尾為景がやってきた。

 最近は、三年五作の指導と軍事調練にやってくれていた。


「忌み嫌われる根切りは俺がやってやる。

 お前は善光寺を使って一向一揆を切り崩せ。

 それとも小黒を使うか?」


 俺自身の手で三条長尾家に敵意を持つ越中の国人地侍を殺す気だった。

 だが、長尾為景が手を汚してくれた。

 お陰で俺は、越中の国人地侍に恩を売るだけの良い人間に成れた。


 やはり長尾為景は油断のならない男だ。

 俺が善光寺だけでなく、小黒氏を使って一向一揆を切り崩そうと画策していたのを知っていた。


 浄土真宗の宗祖とされる親鸞には妻がいた。

 越後に流罪になった時に、恵信尼と呼ばれる女と結婚している。


 親鸞と恵信尼の間には、範意、小黒女房、善鸞、明信、有房、高野禅尼、覚信尼の四男三女がいたと言う。


 後に小黒女房と呼ばれる長女は、母の恵信尼が相続していた、山寺三千

坊近くの米増にある比丘尼屋敷を守っていた。


 その後、小黒女房と呼ばれる元になる、安塚の小黒氏に嫁いでいる。

 その子孫が小黒親勝と小黒親豊の親子だ。


 彼らに新たな一向宗を興してもらって、一向一揆を宗旨替えさせる心算だったのだが、善光寺が手に入ったから迷っていた。

 だが今、長尾為景に言われて決断した。


「それは一向一揆に選ばせましょう。

 彼らは元々真宗三門徒派や高田派でした。

 それが本願寺派に宗旨替えしています。

 利益や地位が欲しくて宗旨替えした者は、殺されるくらいなら宗旨替えします。

 これからも乱暴取りが許される宗派や国人に従います。

 ただ、女房も救いたくて宗旨替えした者は、そう簡単に宗旨替えしません。

 女人救済を掲げる宗派に拘るでしょう。

 そう言う者は善光寺に宗旨替えさせましょう」


「分かった、それで行こう」


 大筋が決まったので、怒涛の勢いで越中に侵攻した。

 長尾為景が分郡守護代を務めている新川郡であっても、内心では長尾為景を憎み敵対している者がいる。


 そんな連中が一向一揆と通じている証拠は、密偵達が大金を使って集めてくれているので、軍事力を使って攻め滅ぼす事ができる。


 長尾為景が特に入念に国人と地侍を滅ぼし追放したのは、越後と地続きの地域、新川郡でも北に有る場所だ。


 何かあった時に、敵が越後に入る道を防ぐために、新川郡を流れる小川よりも北側は、全て三条長尾家の直轄領とした。


 越中は、甲斐越後と同じよう水害に悩まされる土地柄だ。

 北アルプスの立山連峰などの山岳地帯から平坦地までの標高差が大きいのだ。

 急勾配なので、黒部川、常願寺川、神通川、庄川など大雨で氾濫する川が多い。


 戦国時代の記録は残っていないが、江戸時代には四十六回もの洪水があり、河川の沿岸部は大被害を受けている。


 明治に成ってからも、五十回以上の大洪水に襲われている。

 越中全域を完全支配して、強権を持って堤防を築かなければ、対岸の村々が堤防を破壊し合うような争いが終わらない。


 黒部川の北側もできるだけ三条長尾家の直轄領にする。

 そして氾濫しやすい黒部川の北側に頑丈な堤防を築く。

 黒部川の南側は湧水地域にする。


 次の川、片貝川は南側に丈夫な堤防を築き、北側を遊水地にする

 だから黒部川と片貝川の間にいる敵対的な国人と地侍は放置する。


 今時間をかけて滅ぼさなくても、毎年のように洪水の被害にあえば、力を失うか頭を下げて来る。


 早月川は北側に丈夫な堤防を築き、南側を遊水地にする。

 片貝川と早月川の間は安心して耕作できる農地にする。


 ただ、三津七湊の岩瀬湊は完全に支配下に置きたいので、岩瀬湊にある神通川は順番を無視して北側に城壁に匹敵する堤防を築く。


 神通川の北側にある常願寺川は南側に堤防を築き、川と川の間を総構えにする。

 まだ築城されていなかった富山城を俺の手で築き、周囲を城下町にする。

 

 富山城と城下町、岩瀬湊を守る支城として、 大村城、日方江館、新庄城、蜷川館、太田本郷城、上熊野城、津毛城などを修理拡張する。

 

 長年越中に住む、多くの古老に話を聞き、氾濫した事のある川には堤防を築く。

 安心して耕作できる地域と、足軽や奴隷兵に耕作させる遊水地域に分ける。

 最初は激しく抵抗するかもしれないが、一度七倍の収穫を見れば変わる!


「儂はここに残って新川郡を直接統治する。

 それが気に喰わない者は弓矢を持って掛かって来い!」


 長尾為景は、これまで越中新川郡の支配を椎名弾正左衛門尉長常に任せていたのだが、俺に分郡守護代を譲る前にワンクッション置いてくれるようだ。

 思っていたよりも愛情深いのかもしれない。

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