第17話:三分一ヶ原の合戦
天文五年(1536)4月1日:越後国春日山城:俺視点
昨年の春と秋も、これまでの五倍の大麦と二倍の大豆が収穫できた。
大雨は降ったが、堤防の御陰で三条長尾家の田畑は何の被害も受けなかった。
だが、こちらが堤防で被害を受けない分、対岸に領地も持つ上条定憲勢の国人地侍は、何時も以上の被害を受けた。
堤防で追い込まれたのか、上条定憲を中心とした反三条長尾家勢が、形振り構わず南下してきた。
自分達がまともに収穫できていないのに、三条長尾家が通常の四倍の麦を収穫できたことへの妬みもあったのだろう。
更に言えば、毎日のように大型の関船が直江津に入り、大量の米だけでなく奴隷まで運んでくるのだ。
時間が経てば経つほど不利になる事は馬鹿でも分かる。
家臣が長尾為景に調略され、何時裏切るか分からない状態にもなっている。
少なくとも堤防だけは破壊したかったのだろう。
とはいえ、反三条長尾家勢の中心は下越の揚北衆だ。
毎日増え続ける奴隷を間近で見ている上越の国人地侍は、逆に擦り寄って来た。
中越の国人地侍も、時候の挨拶にかこつけて三条長尾家の状態を確かめ、勝てないと判断したのだろう、擦り寄って来ている。
だが、少しでも敵意を持つ者は徹底的に倒さなければならない。
強い者におもねる連中は、少しでも弱みを見せると牙を向いて襲って来る。
それに、中途半端に終わらせてしまうと、上杉謙信のように家臣間の争いに悩まされ、隠居したくなってしまうかもしれない。
俺は長尾為景と話し合って罠を仕掛ける事にした。
今味方の振りをしている者を炙り出し、徹底的にたたく事にした。
俺は直属の奴隷兵五千を引き連れて、必要もないのに信濃、越中、京を転戦した。
必要ないと言っても、信濃越中の味方が裏切らないように脅かす意味は十分にある
奴隷として買ったばかりの者達を鍛えるのにも丁度良かった。
天文五年(1936)4月10日:越後国三分一ヶ原:俺視点
長尾為景は、自分が重病で枕から頭も上げられない状態だという噂を流した。
俺が献策するまでもなく、為景が自分から言い出した。
だから軍の指揮は長男の定景兄上や譜代重臣が行った。
残念ながら定景兄上は内政家で、軍指揮官の才能はなかった。
大将として最前線に立つ胆力は持っていたが、指揮は重臣任せだった。
そんな定景兄上では、勝てる戦いにわざと負けて、損害を出さずに撤退する事などできない。
そんな高等戦術を使いこなせるのは、三条長尾家でも突出した勢力を持つ山吉家の当主、山吉丹波守政久だけだ。
彼が上手く敵を春日山城まで誘い出してくれた。
山吉家は、三条長尾家が本拠地にしていた三条城とその一帯を支配している。
元々譜代家老だったのだが、今では長尾為景でも油断できない力を持っている。
その気になれば独立勢力に成れるほどだ。
それだけの能力があるからこそ、俺の力を理解したようだ。
万に近くなった奴隷兵と堤防政策を見て、臣従し続ける事を選んだと思う。
だからこそ山吉一族の山吉孫四郎、山吉孫次郎、山吉孫八郎の三兄弟を人質も兼ねた俺の旗本に寄こしてきた。
他の譜代や味方国人も、人質兼用の旗本を寄こしてきた。
飯田小次郎、伊与部伴四郎、吉田周一郎、秋山主計助などが使えそうだ。
史実の三分一ヶ原の合戦では、長尾為景が上杉定憲に快勝したと伝わっている。
ただし勝てたのは、追い込まれていた所を、以前から調略していた平子右馬允などが、上杉定憲勢の背後で裏切り総崩れになったからだ。
その影響は三条長尾家に重くのしかかる。
裏切ってくれた者だけでなく、その派閥の者や家臣にまで気を使わなくてはいけなくなり、最終的には古志長尾家派と越後守護上杉家旧臣派が激しく対立する。
上杉謙信が死に、上杉景虎と上杉景勝が跡目争いをした御館の乱では、古志長尾家派と上田長尾家派が生き残りをかけて戦っている。
だから俺は、この戦いを中途半端に終わらせない。
敵になった者は徹底的に叩き、上田長尾家も潰してしまう。
特に私利私欲で上杉、北条、武田の三カ国同盟を潰した上杉景勝は、生まれる事すら許さないし、樋口与六は直江家に婿入りさせない。
今回も三条長尾家勢と上杉定憲勢の決戦は三分一ヶ原で行われた。
三分一ヶ原とは、保倉川に架かる三分一橋の北側になる。
いや、これ絶対におかしいだろう。
保倉川の北側と言う事は、春日山城を拠点にしている長尾為景から見れば川を背にした布陣で、背水の陣になってしまう。
戦国乱世を生き延びてきた戦上手の長尾為景が、何の理由もなくそんな場所を決戦に選ぶわけがない。
つまり、保倉川の北側を決戦の場に選んだ時点で、長尾為景は敵の中に裏切る者がいると確信していた事になる。
今回も事前に多くの国人や地侍を調略していたが、彼らの裏切りで勝てるような状況にはしない。
俺の作戦では、保倉川を挟んで対峙するだけで、裏切りを誘発しないようにした。
調略していた連中が自主的に裏切る前に勝つ!
「わっはっはっはっ、愚か者ども、簡単な策に騙されおって!」
重い病で寝込んでいるはずの長尾為景が、対峙している敵の前に現れて、策に落ちた事を嘲笑う。
一万の奴隷兵と越中に潜んでいる俺とは、伝書鳩や早馬で毎日連絡を取っていた。
上杉定憲勢を上手く誘い出せたら、挟撃して殲滅する作戦を立てていた。
「ほれ、背後を晴龍に取られたぞ、もう逃げられぬ、首を置いていけ!」
長尾為景が敵を挑発するだけでなく、不安を煽って裏崩れを起こさそうとする。
俺は上杉定憲勢が柿崎川を渡るのを待って、背後に上陸したのだ。
俺は商売の利益を諦めて、大型関船五十隻を越中に駐留させてあった。
とはいえ商売を完全に諦めたわけではない、
普通に利益が上げられる程度には商売用の大型関船を運行させている。
日本海沿岸にいる全ての船大工に大型関船を建造させ続けただけでなく、瀬戸内や太平洋沿岸にいる船大工にも大型関船を建造させていたのだ。
そのお陰で、長尾水軍が持つ大型関船は百二十七隻にもなっていた。
日本中の船大工が三カ月に一隻の速さで大型関船を建造してくれる。
小型の小早船が中心とはいえ、毛利軍が第一次木津川の戦いで動員した船数が七百隻を越えていたので、決して建造するのが不可能な数ではない。
銭金さえあれば、大型関船であろうと造らせられる。
問題だったのは、優秀な船頭や船員が揃わなかった事だ。
荒波激しい日本海を、船を座礁させる事なく蝦夷から博多津まで行き来できる船頭は、たった七十七人だった。
俺が手元に残して越中に駐留させていたのは、優秀な船頭と一緒に航海しなければ、船を座礁させかねない未熟な船頭が指揮する船だ。
だが、そんな連中でも、生まれ育った越中や越後の沿岸に限れば、船を座礁させる事なく往復できる。
だから戦闘用の奴隷兵と奴隷主水を満載して、上杉定憲勢の背後に上陸できた。
俺達が上陸できるように、戦場近くに潜んでいた地侍と百姓が誘導してくれた。
「殺せ、一人残らず殺せ!
敵の首一つ取れば百文だ、永楽銭百文与えるぞ!」
「「「「「おう!」」」」」
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