第15話:信濃善光寺長吏と戸隠神社別当

天文四年(1535)6月17日:越後国春日山城:俺視点


「初陣見事であった、これからも長尾家の為に働け」と長尾為景に褒められた。

 俺が晴景兄上を立てると言ったから、五男の俺は兄上の家臣となる。

 いずれは越中加賀で自立する気だが、まだこの幼さでは無理がある。


「晴龍様の武勇には恐れ入りました。

 寺からも晴景様に長吏を努めていただくと聞いております。

 何なりとお申し付けください」


 園城寺から派遣された僧兵の長が恭しく言ってくれた。

 栗田刑部大輔は別当を名乗っていたが、長等山園城寺では、一山を代表する僧のことを長吏と呼ぶのだ。


 長野善光寺を栗田氏に奪われた園城寺は、栗田氏に別当を名乗られるたびに、はらわたが煮えくり返るような怒りを感じていたのだろう。


 善光寺の方には、僧兵五百と足軽二千五百を常駐させてある。

 三千兵が籠る守りの堅い寺を落とすのは至難の業だ。


 それに、直ぐ近くに三千兵が常駐する戸隠神社がある。

 何時背後を襲われるか分からない状態で善光寺を囲むのは難しい。


 戸隠神社の方は、金剛峰寺の僧兵二千と足軽千が籠っている。

 高野山は寺領十七万石、僧兵三万を擁す巨大勢力ではあるが、二千もの兵力を遠く離れた信濃に派遣し続ける余裕はない。


 高野山は紀伊の国にあるのだが、同じ紀伊の国に高野山を敵視する根来寺がある。

 正面から敵対はしていないが、信徒獲得競争をしている相手に、比叡山の延暦寺や摂津の石山本願寺、大和の興福寺があり、畿内の兵力は多ければ多いほど良いのだ。


 山伏や修験者が真言宗、密教の教えに従う俺が戸隠神社を守り切れると見極めたら、僧兵は徐々に金剛峰寺に帰る予定だ。


 俺が名乗る戸隠神社の役職は別当だ。

 天台宗園城寺寺門派の長吏と、真言宗戸隠山勧修院顕光寺の別当を兼職する事は、争い元になると考える人もいるだろう。


 弱肉強食の戦国乱世でなかった、大問題になっていたかもしれない。

 俺の同盟相手が天台宗比叡山延暦寺山門派なら問題になっていたかもしれない。


 だが、天台宗園城寺寺門派と真言宗金剛峰寺なら見逃してくれる。

 実際に見逃してくれている。


 両宗派とも比叡山延暦寺山門派に奪われていた豊かな寺を取り返せたのだ。

 下手に俺と揉めて、俺が寺を延暦寺や一向宗に宗旨替えする事を恐れている。

 戦国乱世では、宗派による寺の奪い合いが全国で頻発しているのだ。


 それに元々戸隠神社は、天台密教と真言密教と神道とが習合した神仏混淆の教えを信徒に説いていたので、天台密教と真言密教の並立は問題ない。


 園城寺寺門派に至っては、円珍が密教を法華経の教えよりも上位に置いている。

 一方の延暦寺山門派は、密教と法華経の教えは同等だと教えている。

 物凄く単純にした考え方だとこうなる。


 たったそれだけの違いで、延暦寺は園城寺を五十回も焼き討ちしているのだ。

 俺に言わせれば、少しでも多くの信徒と金と地位を我が物にしたくて、権力争いをしているだけだ。


 話を戻すが、園城寺寺門派は密教を法華経よりも上に見ているから、信濃善光寺でも同じ考えを信徒に教え広める事になっている。


 それと、信濃善光寺は仏教が多くの宗派に分かれる前からあったので、宗派に関係なく修行の場にできると考えられている。


 更に言えば、高野山金剛峰寺などの多くの仏教が女人禁制なのに、女性の救済を掲げる全国でも稀な寺でもあるのだ。


 女性救済を掲げて爆発的に信徒を増やし、守護や国人を圧倒するような力を持つようになった本願寺一向一揆に、信濃善光寺は対抗できるかもしれないのだ。


 俺は、両寺の支配と管理を、僧兵と地下家出身の家臣に任せた。

 戦いに加わって手柄をたてた地下家出身の家臣を信用した。


 彼らには、合戦の時と同様に三十人の足軽を配下につけて両寺を守らせた。

 正式な役職は足軽組頭で、扶持は永楽銭で二十貫文。

 信濃なら玄米を二十石買えるくらいの金額だ。


 一人前の武士には安い扶持思われるかもしれないが、以外とそうでもない。

 両親や子沢山だと苦しいが、一人で京から流れてきた地下家の部屋住なら、二十貫文全てを自分の為に使える。


 一人前の武将のように馬を買うのは無理だと思うかもしれないが、絶対に無理という扶持でもないのだ。


 山内一豊の妻が東国のずば抜けた名馬を金十両で買った話が現代まで伝わるのだ。

 毛利元就が官位を取得する際に、室町幕府の役人に贈った馬代金が三貫文なのだ。


 だから初めて馬を買うような地侍だと、一貫文程度の安い馬を選ぶ。

 旗本に成ったばかりの者が買う馬の平均的な値段が二貫文前後だ。


 馬は買う事よりも維持するのに銭と手間がかかる。

 自分で田畑を耕している地侍や百姓でなければ、餌を買わなければいけない。

 戦場で怖がって暴れないように、常に訓練しておかないといけない。

 

 それに、足軽組頭になると、足軽と同じような貸具足では戦えない。

 足軽組頭に相応しい最低限の具足を買わなければならない。

 槍も打刀も足軽組頭として恥ずかしくない物が必要になる。


 帝や将軍に献上するような、贈答用の太刀で十貫文。

 同じ贈答用でも、室町幕府の実務官僚に贈る太刀だと五百文程度だ。

 足軽に貸すような数打ちの刀だと二百文前後。


 帝や将軍に献上するような贈答用の特別な槍だと百貫文。

 足軽が使うような安物の槍なら一貫文あれば手に入る。


 結構高いのが鎧兜だ。

 足軽に貸し与える具足一領でも四貫六百文するのだ。

 足軽組頭なら最低でも六貫文の具足を買わないといけない。


 まあ、それでも、武器も鎧も馬も揃えて十貫文あればなんとかなる。

 配下の足軽三十人の扶持は、俺が直接渡しているから足軽組頭は何も与える必要がなく、何時でも戦えるように訓練しておくだけでいい。


 それに俺は兵糧と軍資金をとても大切にしているので、特別な指示をだしている。

 乱妨取りは禁止しているが、開墾耕作した作物は自分の物にして良いと言った。


 善光寺を守備する足軽組なら、放棄されている田畑を足軽に耕作させたら、足軽組独自の食糧が手に入り、足軽の忠誠心も上がる。


 戸隠神社を守備している足軽組なら、山を切り開いて焼き畑をすれば良い。

 切り出した木材は燃料にできるし、焼き畑で作った雑穀はおやつになる。

 この時代では黍団子だって御馳走なのだ。


「若様、湊に関船が到着しました。

 新しい奴隷を連れてきたようでございます」


 これでまた人手が増える。

 兵力として使うだけでなく、放棄された田畑を耕させる事も、原野を開拓させる事もできる!

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