第三章 平穏な日常 4.穏やかな日々 --1年経過--

 迫り来る脅威、飢えと寒さ。泥まみれになりながら工夫して危機を乗り越える。何度挫折しても立ち上がる。知恵と勇気と不屈の闘志。そして有り得ないほどの回数の幸運に助けられながら。


「やっぱりサバイバルって言うのはこうだよな」


 大画面に映るブルーレイ映画の主人公のことだ。


「それに比べて…… これでサバイバルって言えるのかねぇ」


 今の俺のことだ。大音響が響いている。柔らかい1人掛けソファーに深々と身を沈め、大型の缶を小脇に抱え、手を突っ込んで中のローストナッツを掴んで口に突っ込む。冷えたコーラを飲みながら。

 映画を見る前に風呂に入ったからバスローブを着ている。初夏だがスポットクーラーで暑くもない。


 リビングが充実した。アウトドア用品売り場を寝室にしているが、パーティション越しの電気店側にソファーとカーペット、AV機器を並べてリビングにした。周辺にはDIYでパーティションを作って、一般家庭のようだ。天井以外は。

 テレビは100インチ有機ELだ。一番高そうなアンプとスピーカーで7.1チャンネルオーディオを作った。ソフトはDVDとブルーレイだ。ここの電気屋にはソフトがあまりなかったので、立川まで調達に行った。古いものから新しいものまで、映画やドラマを大音響でたくさん見ている。大人のソフトもあるぞ。


 音楽もたくさん聴いている。以前は聴いたことがなかったクラッシックやロックなんかも聴いている。結構元気が出てくるものだ。

 ところが、大きな音を出したら自作のパーティションが振動して変な音がするんで、裏に補強材を付けたり、表に吸音材代わりのタイルカーペットを貼ったり、いろいろ工夫したよ。DIYって楽しいんだな。今では音響は完璧だ。音が天井に抜けている気もするが… 気にしなければ問題ない。


 ゲームもやってる。高額なゲーム機とヘッドマウントディスプレイで楽しんでいる。ところが、ネットワークが使えないんでシナリオとかが限定的だし、対戦もできない。すぐに飽きてしまう。困ったもんだ。

 有名なドライビングシミュレータもやってるぞ。電気店のゲーム売り場に、ハンドルとペダルを備えた本格的なドライビングシートが展示してあったんだよ。こっちは何回同じコースを走っても飽きないんだよな。不思議なことに。セッティングとかタイヤとか車を変えると全然違う走りになるからかな。今では結構なドラテクを身につけたぞ。


 読書も充実している。図書館や書店からいろんな本を持ってきて、ソファーにごろ寝して読んでいるとよく眠れる…… いや、いろいろ勉強になる。料理とか農業とかDIY、オーディオ、AV関係も結構読んだな。リビングの充実はその成果だ。


 キッチンも造った。

 リフォームコーナーには6台のシステムキッチンの見本があった。一番気に入った奴を改造して使ってる。

 ガスコンロは都市ガス用だったので、外してプロパンガス用に変更した。少し離れた燃料店で小型のプロパンガスボンベを調達してシステムキッチンの裏に設置した。標準サイズは重たいからね。

 水道の裏に櫓を組んで、その上にポリタンクを載せて、ホースを蛇口に繋いで水道のできあがり。逆に、排水口の先にポリタンクを設置してシンクも利用可能になった。

 この辺はキャンピングカーの感覚だね。キャンピングカーは小型のポンプで上水を汲み上げるけど、12Vのポンプじゃ水量が少ない。スペースのあるここでは重力式の方が便利だ。櫓作りも板に付いた、ってシャレか?


 採用しなかったシステムキッチンは調理家電置き場と作業場所に使う。

 ホームセンターからドラム式の延長コードを持ってきて、炊飯器、湯沸かしポット、オーブンレンジ、オーブントースター、電気圧力鍋、コーヒーメーカー、ホームベーカリー、ヨーグルトメーカーなんかを並べる。


 換気扇の排気口も頑張れば作れそうな感じだが、どこから排気するかっていうアイディアが沸かなかった。住宅リフォームに関しては素人だからな。壁に穴開けるとか、窓ガラス外すとか、やり方はありそうだが、具体的にどう作業すれば良いか、本に載っていないことはイメージがわかなかったので諦めた。

 だから、火を使うときは窓を開けて扇風機を回してる。とにかく広いんで、酸欠とか一酸化炭素中毒にはならんだろう。匂いとか、無駄な水蒸気が排出できればOKだ。油汚れだけ気をつけよう。




 被災から1年が経った。また夏が来る。既に汗ばむくらいの陽気だ。

 この1年、不安になったり、悲しくなったり、前向きに突き進んだり、いろいろあったな。毎日毎日、運用という名のコンピュータのお守りの仕事で憂鬱だった日々に比べるとなんだか楽しい。遣り甲斐がある。人類が俺1人になったかもしれないって言うのにな。


 相変わらず誰も助けに来てくれない。外国軍の偵察機も飛んでこない。俺が気がついていないだけかもしれないが。

 ラジオと無線は時々聞いている。簡単なアンテナだから遠くの電波は取れないけど。相変わらず人の声は聞こえない。確実に受信できるのはGPSと気象衛星NOAAだけだ。


 畑は完成した。でっかいプランターを並べただけだけどな。塩水選別ってのをやって米を直播きにした。種籾は近くの農協から調達した。東京にも農協はあるのだよ。多摩地区にはな。

 それとジャガイモとサツマイモ、菜っ葉類とナスとトマト、大豆だ。種は園芸コーナーにあった。種芋は去年住んでいた公園の畑で収穫しておいた奴だ。どれも芽が出てきた。嬉しいものだ。


 水やりはじょうろで手作業だ。水は雨水を溜めているので、遠くまで汲みに行くという作業はない。台車に大きなポリバケツを置いて自作水道栓をひねって水を入れる。畑に移動してじょうろで散水するんだ。

 ホームセンターで商品を並べていた什器をそのまま利用して、少し高いところに除湿機を並べた。タンクは外してホースで大型バケツに流し込むように改造している。

 高級機は湿度50%に設定する。廉価機は節電モードで連続運転するとちょうど良い。快適な農場になった。溜まった水の方を優先して作物に散水するので、溜めた雨水が足りなくなるという事態には陥っていない。今のところは。


 照明は朝晩自分で電源を操作する。バッテリーの蓄電容量に余裕があれば長めに点灯させている。成長が早くなるんじゃないかと期待しているんだが、植物は日照時間で季節を感じているかもしれない。夏の間だけだな。長時間照射は。

 あと、作物に音楽を聴かせるとよく育つっていう話を聞いたことがある。モーツァルトが良いのだとか。2階の電気店から大型のオーディオセットを持ってきて、バッテリー容量に余裕があるときだけモーツァルト全曲集CDを大音量で再生しているが、果たして効果があるものかどうか。


 風呂は快適だ。大雨の日は入らないが、小雨の日はお湯の温度が十分高ければ入っている。毎日毎日、景色を眺めながら入っていると、なんだか贅沢をしている気分だ。

 ここは奥多摩と秩父の間にある山筋の終点付近だ。東西と北側は低い山だが、南側は武蔵野台地になっている。もっと南にも山があるんで、地平線は南東の方にちょっと見えるだけだが広い平地だ。見晴らしは良い。

 しかも、近くに大きな建物が何もない。なぜならば、目の前には広大な米軍基地があるからだ。


 横田基地。日本では沖縄の嘉手納に次いで二番目に大きい飛行場だ。成田空港より滑走路が長いそうだ。

 俺は軍事には詳しくないが、ざっとミリタリー雑誌に目を通したところ、輸送中継基地らしい。燃料、武器、弾薬がいっぱいありそうだ。……まさか、核はないよな。

 この先、経年変化で弾薬が突然爆発! なんてことが起きなきゃ良いが…… 核爆発はなくても放射性物質が漏れ出すってことはあるかも知れんな。ここに住んでて良いのか? うーん。

 浴槽に浸かって景色を楽しみながら考えることじゃないな。せっかくの入浴タイムが台無しだ。


 雨は何日も降らないときがある。水がもったいないので、1回入ったお湯は発泡スチロールの浄水器に戻している。サイフォンの原理で、慣れると簡単に汲み上げることができる。衛星写真でしばらく雨が降りそうもないときは3回使い回すこともある。浄水器を通しているから衛生面は問題ないことにしている。交換用カートリッジもちゃんと確保しているしな。


 食事は大分制限されてきた。一般的なインスタント食品は賞味期限をとっくに過ぎているので、よくよく考えてから食べている。味が落ちるだけなら問題ないが、腹を壊したら苦しんで死ぬかもしれないからな。

 菜っ葉類は近くの畑を巡回するとある程度採取できる。果物も採れる。採れる量はほんのちょっとずつだが、まだ不自由はしていない。


 肉が食いたい。生肉はないので、相変わらずジャーキーと煮干しと缶詰で耐えている。

 ビーフジャーキーを煮てみたがあまり変わらなかった。匂いは結構良かったにも関わらずだ。

 電気圧力鍋に入れてカレーとして半日煮込んでみた。これは食えた。けっこう美味かった。でも、薄いせいか、肉感がイマイチだった。やっぱブロックの肉が食いたいよな。


 そんなこんなで簡単な食事が多いものの、時には料理の研究もしている。ホームベーカリーでパンも焼いているし、高級コーヒーメーカーも楽しんでいる。既にミルクはないけれど。

 電力に余裕があるときはホームベーカリーでピザ生地を作って電気オーブンでピザを焼いたりしている。チーズが手に入らないので味気ないというか、デザート系になっちゃうから、何かでチーズの代用にできないだろうかと検討中だ。




 何にも追われることがない生活だ。作物の世話はそれほど手が掛からない。環境維持のための敷地や周囲の見回りと、足りないモノと食材と刺激探しのために、少し遠出することが多くなった。

 そんな充実した毎日だが、時々やるせなくなる。何度も考えることを止めようと思ったが、無理に抑え込んでもやっぱり考えてしまう。


 なぜこうなったのか?

 本当に他に人はいないのか?

 たった1人で生きている必要があるのか?

 たとえ貧乏であっても、以前のつまらないIT運用の方が今よりマシだったんじゃないか?

 幸せって何だっけ?


 そうなんだよね。リビングが充実して余裕が出てくると、逆にこれで良いのかと疑念が沸いてくる。10日にいっぺんぐらいやる気がなくなる。たいてい寝れば翌日には治るのだが、放っておくと鬱になるかもしれない。


 そんな心配が心の奥底にたまり始めた頃、書店をよく見るとメンタル系の本が大量に並んでいた。そうだ。被災前はメンタルに課題や問題を抱えている人がたくさんいた。そんな人達のための本だ。

 いろいろ読んで試してみたよ。美味いモノを食うとか、歌うとか、踊るとか、運動するとか。でも俺にはほとんど合わなかった。美味いモノを食おうと努力しているが、手に入る食材が減ってきているので、俺の料理の知識や手元の本では代用品が見つからず、努力すればするほどガッカリすることが多くなった。歌も踊りも元々好きじゃないから、効果が出るまで続けられないんだよね。

 筋トレだけはやっている。確かに体を動かすと気持ちも少し楽になる。以前は自分から運動することはなかったが、やってみると嫌いじゃないと気がついた。

 でも、効果は一時的だ。運動の途中から、終わって寝るまでぐらいかな。寝付きが良いけど、翌日の昼には気が滅入ることが多い。


 そんなときに手に取ったのが瞑想の本だった。これはできる様になると相当効果がありそうだ。

 寝室の一角に瞑想コーナーを作った。薄暗くしてお香を焚いてみた。ホームセンターにたくさんあるクッションの内、高さと堅さがちょうど良いものを選んで尻の下に敷く。尻だけ少し高くすると楽にアグラが組めて腰も楽だと書いてあったからだ。確かに。

 瞑想では何も考えない。考えないのが瞑想なのだが、何も考えないようにしようと思えば思うほど思考が迷走してしまう。すごく難しい。これもダメか、と思ったが、毎日寝る前になんとなくやっている。まだ無の境地にはほど遠いのだが、なんとなく楽になった気がする。その程度でも十分なのかな。

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