第28話 材料を仕入れさせていただけませんか?

 町の中央広場に到着すると、陽葵ひまりとロミは馬車から降りた。褐色屋根に白い石壁の建物が連なる町並みを見て、陽葵は瞳を輝かせる。


「何度見ても可愛い町だなぁ」


 東京とは雰囲気の異なる町並みを前にして心が躍る。凸凹とした明るい色合いの石畳も、町中に植えられた色とりどりの花も、広場で雑貨を売る商人の横顔も全部輝いて見えた。


「カリンさんのお店はこっちですよー」


 町並みを見入っている陽葵に、ロミが呼びかける。そこでハッと我に返った。


「うん、いま行くね!」


 陽葵はふさふさとした尻尾を追いかけながら、目的地に向かった。


~*~*~


 案内されたのは、洋服屋や帽子屋などのお店が立ち並ぶ大通りの一角にある、二階建てのお店。二階の窓辺にはバラのような真っ赤な花が飾られていた。


 正面に掲げられた看板には『ジュエルソープ店』と記されている。もちろん、この世界の文字で。


「ここも可愛いお店だなぁ」


 町に来てから可愛いと連呼している気がする。どこを見ても絵本の世界のような可愛い町並みだから仕方がない。


「では、入りましょうか」

「うん」


 ロミに続いて陽葵は店に入った。


 扉を開けると、陽葵は「はわぁ……」と感嘆を漏らす。目の前には並んでいたのは、宝石の原石にも似たカラフルな石鹸だった。


 ルビーのような透き通った赤色の石鹸、エメラルドのような深い緑色の石鹸、アクアマリンのような淡い水色の石鹸。これらがすべて石鹸で出来ているなんて信じられない。どれも美しくて思わず見入ってしまう。これはもはや芸術だ。


「これ、全部石鹸なんだよね?」


 独り言のように呟いていると、不意に声をかけられた。


「そうですよ。全部石鹸で出来ています」


 顔を上げると、茶色い髪を三つ編みにした、たれ目の女性に声をかけられた。ベージュのロングワンピースの上には白のエプロンを合わせている。もしかしてこの女性がカリンさん?


 陽葵が声を発するよりも先に、ロミが女性に話しかけた。


「こんにちは。カリンさん。今日はお友達を連れてきましたの」

「ロミちゃん、こんにちは。お友達を連れて来てくれたなんて嬉しいわ」


 三つ編みの女性は、もう一度陽葵と視線を合わせる。それからふわりと微笑んだ。


「初めまして。ジュエルソープ店のオーナーのカリンです」


 カリンが微笑むだけでマイナスイオンが放出されたような気がした。癒し効果は絶大だ。思わずぽーっと見惚れてしまったが、すぐに陽葵も挨拶をする。


「佐倉陽葵です。森で魔女さんと一緒にコスメ工房を営んでいます」


「まあ、コスメ工房のヒマリさん? お噂はかねがね。ずっとお会いしたいと思ってたんですよ」


「私のことをご存知なんですか?」


「ええ、町の女性達の間では有名ですからね。魔女様と一緒に働く、元気いっぱいな女性がいるって」


「えへへー、そうなんですね。なんだか恥ずかしいなぁ」


 町の人に噂されていたというのは予想外だ。だけどそれだけコスメ工房の知名度が上がったということだろう。そう考えると嬉しい。


「今日はジュエルソープをお求めで?」


 カリンから尋ねられると、陽葵は本来の目的を思い出した。


「ジュエルソープそのものにももちろん興味があるんですけど、それよりも材料が知りたくって……」

「材料……ですか?」


 はて、と首を傾げるカリン。そこで陽葵はハッと気づく。


(もしかしてそういうのって、企業秘密だったりするのかな?)


 初対面の相手にそう易々と材料を教えてくれるものなのだろうか? ましては相手は化粧品を扱う人間。ライバル店と捉えられてもおかしくはない。


 迂闊なことを言ってしまい焦る陽葵だったが、カリンは躊躇いなく教えてくれた。


「ジュエルソープの材料は、クリアソープと専用のカラー剤ですが……」

「クリアソープ!? それって見せてもらうことってできますか?」

「ええ、構いませんよ」


 カリンは一度お店の奥に引っ込むと、カゴに入った透明な石鹸をいくつか持ってきた。


「こちらです」

「ありがとうございます!」


 陽葵はまじまじと石鹸を観察する。透明で四角い石鹸。見た目は陽葵が知っているグリセリンソープそのものだった。陽葵が見入っていると、カリンが説明を始める。


「クリアソープは石鹸にグリセリンを混ぜて作ったものです。これを細かく切って溶かしてカラー剤を混ぜると、ここに並んでいるようなジュエルソープができるんですよ」


 製法もグリセリンソープと同じだ。この世界のクリアソープが手に入れば、洗顔石鹸も簡単に作れそうな気がした。


 陽葵は断られることも覚悟で、カリンにお願いをしてみる。


「カリンさん、こちらのお店からクリアソープを仕入れさせてもらうことってできませんか?」


「ジュエルソープではなく、材料の段階のクリアソープが欲しいということでしょうか?」


 カリンは不思議なものでも見るように、目をぱちぱちさせる。商品そのものではなく、材料を欲しがる客なんて早々いないだろう。戸惑うカリンに陽葵は事情を明かした。


「実はコスメ工房で洗顔用の石鹸を作ろうと考えているんです。だけどイチから石鹸を作るのは大変で」


「あー、確かにイチから作るとなると手間も時間もかかりますからね。他の商品を作りながらというのはあまり現実的ではありませんね」


 カリンは納得したように腕を組みながら頷いた。石鹸作りに手間がかかることを理解してもらえたようだ。


「ちなみにカリンさんは、このお店でクリアソープを作っているんですか?」


「いいえ、実家から取り寄せています。私の実家は何代も前から石鹸工場を営んでいるので」


 その言葉で合点がいった。工場が存在するから大衆にも石鹸が広まっているのだろう。それからカリンは細い指先でクリアソープに触れながら語った。


「かつて石鹸は上流貴族しか使えない高級品だったんですよ。ですが勇者様御一行が魔王を討伐し、平穏な時代が訪れたことで、原材料を安定して調達できるようになり、生産設備も整えられるようになりました。石鹸が広まったおかげで、伝染病の発生も激減して、衛生環境も良くなったんですよ」


「そうだったんですね」


 またひとつ、この世界の歴史を知った。勇者が魔王を討伐したことで、産業も大きく発展したようだ。やはりこの世界では、勇者が魔王討伐をしたことが大きな転換期になっているのだろう。


(いまの時代を勇者が見たら、きっと誇らしく思うんだろうなぁ)


 勇者はとっくの昔にいなくなってしまったようだから、平和になったいまの時代を知る術はない。それでも、自らの手で切り拓いた平和な未来を見せてあげたかった。


 勇者に想いを馳せていると、カリンは話を続けた。


「そういうわけなので、私は実家からクリアソープを仕入れて、この店で加工しているんです。石鹸って汚れを落とすだけじゃなく、専用のカラー剤を混ぜれば宝石のように輝くんです。私はそこに魅了されてジュエルソープ職人を始めました」


「カリンさんの作るジュエルソープはどれも綺麗ですね。私もこのお店に入った時、感動しました」


「あら、そう言ってもらえると嬉しいわ」


 カリンは頬に手を添えながら嬉しそうに微笑んだ。それからクリアソープの入ったカゴを陽葵に差し出す。


「とりあえず5つあれば足りるかしら? 追加分は実家から仕入れられるように話を付けておきますね」


「仕入れさせていただけるんですか?」


「ええ、実家の売上にも貢献できますからね。それにヒマリさんにクリアソープを渡したら、とても面白いものができる予感がしたので。ものづくりに関わる人間の血が騒いだとでもいうんですかね」


 カリンはうふふと楽し気に笑う。期待されていることが伝わってきた。その期待に応えるためにも、良いものを作らなければならない。


「ありがとうございます! カリンさんのご期待に添えるように頑張ります」


 陽葵は意気込みをカリンに伝えた。

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