第5話
跳ね返った影を見て、クレオンたちは目を丸くした。
「……矢!?」
「下がって! 来るよ!」
クレオンが慌てふためく間にも、レンカは頭上を見あげる。森の奥で無数の風切り音が聞こえると、その姿はすぐ空の上、木々の隙間から姿を覗かせる。まるで雨のように、大量の矢が降りそそいでいた。レンカはすぐさま周囲へ防御魔法を展開し、クレオンたちを守る。矢は一本たりとも魔法の盾を通さなかった。
すぐ近くで、かかれと号令が響く。繁みの中から、ぞろぞろと鎧を着た人物たちが一斉に立ち上がり、剣や楯を構えて突撃を始める。
「くそ、こいつら何なんだ!」
「気を付けろ! 奴ら、ただの野盗じゃないぞ!」
アーレントの指摘した通り、男たちの装備は一級品ばかりだった。名匠の意匠が取れる甲冑には、王都のシンボルに似た模様が描かれていた。その鎧を、クレオンたちへ襲いかかる者たちは全員身につけていた。しっかりと研がれた剣も、同じくシンボル入りの盾も、彼らが騎士の一団である事を告げるようなものだった。
「あの紋章、もしかして……王都騎士団!?」
セルマは紋章に見覚えがあった。それもそのはず、彼女の教会で同じ紋章を象っていたからだ。そして彼女の錫杖にも、王都の紋章が小さく象られている。
「ならどうして俺たちを襲ってくるんだ!」
「分かんないけど……来るよ!」
レンカは一層魔力を振り絞り、強固な防御魔法を張る。騎士たちは魔法を貫こうと、剣や楯で殴り続ける。その間レンカはひたすらに魔法を維持するために、魔力を消耗させていく。
「レンカ、合わせろ」
「了解!」
レンカの返事を聞く前から、アーレントは詠唱を始めていた。一旦防御魔法を解いたのち、周囲を魔法で蹴散らす作戦だ。
「セルマ、俺たちも――」
クレオンがセルマへ剣を掲げた時、セルマが慌てて止める。
「待ってください! 神聖魔法は魔族に有効でも、人間が相手では全く意味がないのです!」
クレオンは失念していた。長きに渡る旅の中で、彼らが経た戦闘は殆ど魔族が相手だった。たとえ人間が相手だとしても、殆どは己の肉体や言論による戦いばかり。剣を振るう事があっても、それで死人を出した戦闘はなかった。
「くそっ、どうすれば……」
「聖剣無しでやるしかないでしょ! ホラ構えて、アールが詠唱終わるよ!」
レンカの告げた通り、アーレントの詠唱は最後の文面を唱えていた。クレオンはセルマを自分の後へ庇い、剣をかまえる。詠唱が終わると同時に、レンカは防御魔法を解く。彼らの周囲に炎の渦が沸き上がると、それは波状となって広まっていく。
騎士たちの喚く声が聞こえた。炎は鉄の上から肉体へと熱を通し、蒸すように焼き尽くしていく。一部の騎士は身を焦がしながらも、執念で耐えようとした。だが身を焼かれる方が早く、斃れていく。
少なくとも十人程度は魔法によって焼かれた。だが騎士の数は、十人程度どうという事はないというように森へあふれかえっている。
ふと炎の渦が消えた先で、他の騎士とは違う漆黒の鎧を身にまとった人物が現れた。その騎士は凛々しい黒毛の馬を駆り、片手には塔のように巨大なランスを構えていた。
「みんな気を付けて! あいつ出来るよ!」
レンカは盾を黒い騎士の方へ向ける。それに呼応するかのように、黒騎士も足甲の踵につけられた拍車を馬の脇腹へ当てる。馬は一層速く駆け、さらに彼らの周囲を黒色の闘気が包む。さながら人馬一体の槍といったところだった。
レンカもただならぬ気配を察し、両手で盾を支える。彼女の背中から、魔力が奔流し地面を穿つ。絶対に守る。彼女はそう呟いた。馬を駆る黒騎士はさらに速さを増していき、同時に闘気もはっきりとしたものになっていく。その凄まじさは、味方だろう騎士たちすら見惚れるくらいだった。やがて馬が最大速度に達すると、もはや人の形も馬の形も見えない程になっていた。黒い光が一点となり、大槍となる。
クレオンたちは、レンカを信じて背後につくしかなかった。やがて二つがぶつかろうとすぐ近くまでやってきた時、レンカがとっさに振り向く。
「みんな、離れて!」
クレオンとセルマは動けなかったが、アーレントは咄嗟に二人を抱えて倒れ込んだ。その背後で、盾と槍がぶつかり合う。槍は盾を粉々に粉砕し、その穂先に屈強なる盾の乙女を捕らえていた。あまりの勢いからか、レンカの身体は槍の柄まで食い込むほどだった。血しぶきは黒騎士の進行方向にあった木々を削るほど飛び散る。黒騎士のオーラが消えると同時に、レンカの肉体は槍から滑り落ちていく。
彼女が来ていた鎧など無意味に等しかった。堅牢なはずのそれは、人の身体には大きすぎるほどの穴が無惨にも開いていた。そこにあったはずの内臓など、押しつぶされたも同然。彼女が無事でないのは、火を見るよりも明らかだった。
「レンカ!!」
顔を上げたアーレントが叫ぶも、レンカは答えられなかった。少女はとうに息絶えており、光なき眼は地を向いている事さえ知らない。
動かなくなった恋人を見て、アーレントは歯を食いしばる。その目を周囲にいる騎士たちへ向けると、杖を掲げて詠唱を始める。彼が唱えている魔法は、禁術に分類されているものだった。その強大さは、どれだけ不利な戦局であろうとも、たった一人で全てを覆せるほどの威力があった。当然、同じ術を使える魔法師同士で撃ち合うこともあった。結果、ある土地が世界から消えてしまい、その地に住まう人々も塵芥と化してしまう程に。
「アーレントさん、その魔法はっ!?」
気がついたセルマが止めようとするも、アーレントの殺意は留まる事を知らなかった。より早口になっていき、舌を噛み血を流しても気に留めない程だった。
だがその瞬間を、黒騎士は見逃さなかった。彼は馬の向きを変えて、すぐさま突進を始める。
「まずい。アーレント!」
クレオンが慌ててアーレントの肩を掴むも、彼はその手を拒絶した。
「やめろアーレント! お前も死ぬ気か!?」
「やめてくださいアーレントさん! このままでは――」
だが、敵は黒騎士だけではない。その間に時間を稼ごうと、他の騎士が続けざまに襲ってくる。クレオンは退きながら剣をかわしてき、同時にセルマも守っていく。彼女は魔族と戦う力はあっても、人間を相手に戦う事は出来ない。そもそも対人間相手に出来る魔法は、治癒系統の魔法だけだったからだ。
そうしている間に、アーレントはついに詠唱を終えた。その魔法を黒騎士へ向けて放とうとした。すると黒騎士は槍を天に掲げると、反射した光をアーレントの目へ向ける。それは魔力でも何でもなく、数多の戦場を経て学んだ策だった。いくら怒りで我を忘れているアーレントとて、陽の光につい目を閉じうろたえてしまう。その隙を突かれて、彼もまたランスの餌食となった。
クレオンが彼の名を叫ぶも、彼は既に息絶えていた。槍から彼の身体が離れると、黒騎士は次にクレオンたちへ馬の首を向ける。
真正面から戦おうにも、人数も戦力も圧倒的に不利だった。レンカとアーレントを失ったクレオンとセルマには、逃げるという道以外取れる手打ではなかった。
「駄目だ、逃げるぞセルマ!」
クレオンは仲間を失った悲しみを必死にこらえて、セルマの手を引く。彼女も耐えるように、その手を握り締めた。
逃げる途中、クレオンの脳裏にはアーレントとレンカ、二人と初めて会った時の思い出がよみがえっていた。
アーレントとはある村を山賊から救った後に鉢合わせた。その村の近くに住んでいた彼にも、その村の民は山賊について相談していた。彼はどうにか問題を解決したいという真意と、師より学んだ「魔法をむやみに使えば、思いがけない災いを招く」という言葉と両ばさみになっていた。そんな中である男女が解決したと知り、彼は勇者クレオンと見習い女神官セルマと出会った。
魔王が蘇り、魔族が人界へ侵攻を企てていると知らされたアーレントは、クレオン一行への参加を決めた。自らが魔法という力を知り、操る術を身につけたのはそのためだと思ったからだ。
三人がいくつかの村や街へ赴き、ふと請け負った依頼をこなそうとした際、レンカと出会う。彼女とは目的こそ同じでも、報告先の違いで小競り合いをした。その際、特にアーレントは身体を張る機会が多く、彼のお陰で無事にそれぞれが納得できる結末を迎えた。それから彼女も魔王復活を知ると、せっかくだからと気前よくクレオン一行へと参加したのだった。
森を駆け抜ける最中、クレオンの目頭が熱くなった。彼の脳裏で何度も、アーレントとレンカの笑みと末路が交互に映し出される。何故あの二人が死ななければならなかったのか。自分達は確かに、神王の言われた通り魔王を討伐した。証拠こそ持ってきていないが、この手で間違いなく魔王を討った。それがどうして命を狙われなければならないのか。もしかして神王は魔王と結託しているのか。そう考えても、討伐を依頼したのは矛盾する。
何より今は、自分達の身すら危ない。必死で森の中を駆け抜けて、セルマと無事に逃げ切る。だがすでに、背後に黒馬を駆る黒騎士が迫っていた。
結末は二人の予想を裏切る。森を抜けたと思った矢先、たどり着いたのは崖だった。深く暗い谷底の下は、流れる川がかすかに見えるだけだった。飛び降りれば無事で済むはずがない。
他の方向を目指そうとしたものの、既に追手は迫っていた。彼らの前に、黒騎士を筆頭に集まる騎士たち。全員が抜刀し、一部は兜のなかから殺気を伺わせている。
先頭を征く黒騎士も、馬を駆るのは不利と見たのだろう。下馬すると、片手に持ったランスを構えなおす。
「下がってるんだ、セルマ」
クレオンは剣で遮るように、身を挺する。複雑な心持だった。二人を無惨にも殺したという怒りと、勝てるだろうかという心配。だが彼はすでに退けない。自分がやらねば、セルマがやられる。
黒騎士も彼の覚悟を受け入れるように、ランスをかまえる。周囲にいた騎士は、これを正式な決闘として受け取ったのだろう。全員武器を一旦降ろす。
二人は睨み、機を伺い合う。先に仕掛けたのはクレオンだった。彼は黒騎士の周囲を走りながら、一瞬できた隙を突こうとする。だがそれは、黒騎士が敢えて作った隙だった。黒騎士は自分の身体を軸に、ランスを振りかぶる。クレオンは咄嗟に剣で防ごうとするも、力の差では彼が圧倒的に不利だった。たったひと振りで彼の剣は砕かれる。
隙だらけながら、黒騎士はとどめを刺さなかった。まるでいつでも殺せると言ったふうに、クレオンを見おろす。それが彼のプライドに火をつけた。曲がりなりにも選ばれし勇者。魔王を討伐したのだから、奴も倒せる。そう思うと、クレオンは無謀にも柄から先がない剣で立ち向かおうとした。黒騎士はあえてランスの届く距離までクレオンを見逃したが、いよいよ手の届く距離に入ると、無慈悲にも拳を入れた。彼は進む勢いと相克した結果、地面へ叩き付けられる。
力の差は歴然だった。周囲にいた騎士も、これ以上甚振るのは彼の名誉を傷つけるだけだと目で訴える。それは黒騎士も同じだった。彼はせめてもの慈悲として、とどめを刺すためにクレオンへランスを向ける。
そして彼の身体へランスが突き刺さろうとした時、ふと別の誰かが割って入る。セルマだった。クレオンは彼女が突然目の前にやってきたことに、驚きを隠せなかった。
「セル……マ……?」
セルマはクレオンの名をささやく。しかし彼女の献身も無駄に終わったように、ランスはクレオンの身体まで届いていた。それでも身体全体を貫かれたセルマと比べれば、彼は心臓を逸れた場所に浅く突かれただけであったが。
「良かった……無事で……」
言葉を紡ぐたびに、彼女の身体から大量の血が噴き出る。それでも負けじと震える手で、クレオンの頬を撫でる。
「何で……」
「どうか……貴方だけでも……」
そしてセルマは痛む全身に全身全霊の力を込めて、クレオンの身体を押す。丁度彼の背後は、崖が待っていた。
クレオンには何が起こっているのか分からなかった。ランスで貫かれたセルマの姿だけが、鮮明に残っていた。最後に彼が見たのは、ランスが彼女の身体から無造作に引き抜かれて行く様だった。ようやく自分の身に何が起こったのか理解した時、彼は深い水の中で、じわりと意識を失っていく。
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