ノクターン・オブ・リベンジ

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ノクターン・オブ・リベンジ

 夜の繁華街は、明かりが灯り、人々の活気が踊るようなエネルギーに包まれていた。

 高層ビルのネオンサインや看板が、色とりどりの輝きを放ち、街を洗練された美しさで彩り、照らし出している。

 車のヘッドライトの流れとテールランプの赤い光の帯が、道路を光の大河のように流れて行く。

 街を流れるエネルギーは激しく波打ち、輝きを放っていた。

 そんな街を、トレンチコート姿の男が歩いていた。

 雄々しい体躯と鋭い視線を持つ男だ。

 身長は高く、筋肉質な体つきはスリムで逞しく引き締まっている。

 機能性を重視したトレンチコートは、男の長い脚を際立たせるデザインで、彼のスタイリッシュさをさらに高めていた。

 男の名前はアレクセイ・イバノフ。

 年齢は31歳。

 繁華街を歩いていると、人々から自然と注目を集めるタイプの男だ。

 洒落た格好をしているわけではないが、独特な雰囲気があった。

 彼のような男は珍しくはないが、どこか他の人間とは一線を画したオーラを感じさせる。

 その理由は、彼の瞳だ。

 鋭い視線。

 視線だけで人を殺せそうな程の強い眼力が、彼の中にある〝何か〟を物語っているのかもしれない。

 そんな男が繁華街を歩いていた。

 この界隈では名のあるクラブが建ち並ぶ通りを歩いていると、足元から声がかかった。

 見ればオーバーダイデニムジャケットを羽織った、青年が靴磨き台を前に座っていた。

 身長は平均より少し高いぐらいで、体格的にも華奢な感じがある。

 だが、よく鍛えられているようで、腕や足などはしっかりと筋肉がついているのが分かる。

 顔立ちは綺麗と言っても良い部類だが、表情に覇気はなく、眠そうな顔つきをしている。

 髪型にも特徴はなく、無造作に伸ばしていた。

「お兄さん。靴を磨かせてもらえないかな?」

 青年は目深に被った、ハンチング帽の奥から微笑みを向けていた。

 青年の傍らにある料金表には、靴磨き100円と書かれている。

 イバノフは、特に何か言うこともなく、足を止めた。

「靴磨きか。頼んだ」

 そう返事をすると、イバノフは折り畳み椅子に腰掛けた。

 靴磨き台に足を乗せようとすると、青年は待ったをかけた。イバノフが疑問に思っていると青年は、白い紙を靴磨き台に敷いた。

「他のお客さんさんが乗せた台だけに、靴裏を乗せるのは良くないからね」

 と、青年は言った。

 イバノフは青年の心遣いを好意的に受け取った。

 紙の上にイバノフはブーツを乗せ、青年はブーツを磨き始めた。

 クロスを使いブーツの汚れを丁寧に落とすとワックスを使って磨き、革をツヤツヤに光らせていく。

「いいブーツですね」

 青年が靴を磨きながら尋ねた。

「支給品だ」

 イバノフは素っ気なく答える。

 青年は愛想の無い男に、特に気にした風もなく靴を磨き上げていく。

「お客さんは、ロシア人? 観光で日本に来たの?」

 今度は青年が尋ねた。

 イバノフは表情を変えずに、また素っ気なく答えた。

「ああ」

 それを聞いて青年は、さらに質問した。

 その口調は、会話を弾ませようとか探ろうとする意図はなく、世間話をしているかのような自然なものだった。

 逆にイバノフは淡々と自分の仕事をこなすように答えている。

 青年は作業する手を休めることなく靴を磨き上げていく。

 仕上げにブラシでホコリを取り除くと、形こそ変わっていないが輝きを纏う美しいブーツが現れた。

 これにはイバノフは軽く目を見開いた。

「ほう、上手いものだな」

 それを聞いて青年は嬉しそうに微笑むと、イバノフは財布から1000円札を取り出す。

 青年は、それを受け取ると腰に身に着けた釣り銭バッグを開いた。イバノフの目の色が変わり、わずかに殺気立つ。

 料金100円で商売している割には、札が何枚も入っている。イバノフは日本に来て間もないが、色と大きさからして万札も少なく無いと判断できた。

「随分と儲かっているようだな」

 青年が釣り銭を取り出す前に、イバノフは低い声で話しかけた。

 青年は苦笑いを浮かべ、頭をかいた。

「俺、両親が居ないんです。子供の頃に死んで、高校は卒業したけど進学も就職も失敗して今は、自分でこの商売やって何とか生きてる感じなんです。そんな身の上を話すとですね、俺の身の上を哀れんでチップをくれるお客さんも居るんです」

 青年はバツの悪そうな笑みを浮かべた。

 イバノフの中に黒い感情が湧き出してくる。

「日本は豊かな国と聞いていたが、労働に対する対価は不当に低いようだな」

 その言葉に青年は困ったように笑う。

 イバノフは続ける。

「オレもチップを弾んでやろう。だが、ここは人目がある。そこにある路地まで行こう」

 青年はイバノフが、路地の入り口を指差したのを見て不思議そうにした。

 それを見て、イバノフは何を言っているんだと言わんばかりに鼻を鳴らして言った。

「ちょ、ちょっと……」

 小柄な青年の襟首を掴み軽々と持ち上げると、そのまま引きずるようにして歩き出した。

突然のことで青年が驚きの声を上げているのを無視して、イバノフはそのまま路地裏まで連れ込んだ。

 そこは繁華街の華やかな光景からは一変し、暗く静寂な雰囲気が広がっていた。ビルの壁が高くそびえ、暗い影が路地裏全体を覆っていた。

 ここは都会の喧騒から遠ざかりたい者や、人目を避けたい者に人気のある場所だ。

 誰も見ていないからこそ、何でも起こる物騒な場所でもある。

 イバノフは青年をゴミでも捨てるように投げ捨てる。

「何を」

 青年が抗議の声を上げようとすると、イバノフは有無を言わせず青年の上腹部を蹴り上げた。

 青年はうめき声を上げながら、痛みに耐えるべく体を丸く縮こまる。

 しかし、間髪入れずにイバノフが青年の顔面に蹴りを入れる。それは怒りや憎悪からの暴力ではない。ただ単純に実験し検証するような作業的なものであった。

 サッカーボールを蹴り抜くような一撃は、手加減の類も一切無いことから容赦の無い一撃であることが窺える。

 しかし、次の瞬間に青年が見せたのは暴力に恐怖する小市民の反応ではなかった。

 青年は後方へと身を転がせて、イバノフの蹴りを避ける。それと同時に、青年は低い体勢から手を軸にし、地を薙ぎ払うように右脚を回転させ、イバノフの左軸足を刈るように蹴った。

 予想外の動きと衝撃にイバノフは天地がひっくり返る感覚を味わい、地に叩きつけられていた。


【水面蹴り】

 身体を沈み込ませ地を這うように回転しながら相手に脚払いをかける。相手が技を仕掛けてきたのを躱してカウンターで見舞うことも多い。

 プロレスラー橋本真也が、ボクサーのトニー・ホームに敗戦した後、リベンジマッチのために「ボクサーのパンチの届かない低い位置からボクサーの弱点である脚を攻める」ために習得。

 中国での修行し、少林拳の蹴技・掃腿そうたいを元に会得したと橋本は語る。


 イバノフは一歩的にいたぶるつもりでいたが、完全に形成逆転されていた。見上げると、青年はこちらを見ておらず、手にした2枚の紙を重ね合わせていた。

 それは靴磨きの際、靴を乗せた紙であった。

「やっぱり同じミリタリーブーツか。お前が、アレクセイ・イバノフか」

 イバノフは青年の口から出た名前を聞き目を細める。自分が知らないにも関わらず、青年はイバノフのことを知っている。そこに不愉快を感じたからだ。

「誰だ貴様……」

 イバノフは立上ると、拳を握り戦闘態勢に入る。

 青年は余裕の笑みを浮かべている。

「強盗、強姦、殺人を犯し、50年懲役刑で服役したが、囚人兵として戦場に送られる。だが、命おしさに軍を脱走し日本へ潜伏した」

 青年は確認を取るように尋ねた。

 その目は殺意に溢れている。炎のような燃えるような怒りが、彼の瞳に燦然と宿っている。その瞳は深い闇に包まれ、何かに灼かれるような熱さがそこに宿っていた。

 青年は続ける。

「加賀美葵さんを覚えているか?」

 その名を聞くが、イバノフはせせら笑った。

「そんな女の名前は知らんが、俺の性欲を満たせるいい女なら記憶に残るな」

 青年は冷たい殺気を放ちながら、静かに告げる。

「彼女は俺のマンションの住人だ。介護士をしている女性で、いつも笑顔で明るくて誰からも好かれる人だった。この世界に必要とされるいい人だ。でも、貴様は我欲を満たすためだけに、その命を奪った」

 イバノフは嘲笑った。

 この青年は、たかが女のことで怒っている。

 まったくもって理解できない愚かな行動だ。

 たかだか一人の人間が死んだぐらいで、何故ここまで憤りをぶつけてくるのか理解し難いことだ。

 平和ボケした島国の青年が、あらゆる犯罪を犯し殺人という最も重い罪を犯した自分に、かなうと思っているという事だ。

 つまりは、愚かだと嘲笑った。

(クソガキが。俺がコートのポケットに入れているトカレフを出したら、どんな顔をするんだろうな)

 イバノフはコートの内側に手を忍ばせて、ロシア製自動拳銃オートマチック・トカレフを掴む――。

 その瞬間だった。

 青年は自動拳銃オートマチックHヘッケラー&Kコッホ HK45を両手で構えていた。

 その速さ0.3秒。

 まるで流れ星が見えたようだった。

 拳銃の早射ちは、軍人、警官で1秒程度。

 だが早射ちのトップクラスとなると、0.5~0.4秒台だ。

 人間は瞬きを一日で約19200回を行っているが、人はそれを認識することはない。その瞬きをしている時間は0.3秒という。

 つまり、青年の自動拳銃オートマチックを構える速さは尋常ではなかった。射撃センスも神の領域に達しているであろうことは、見る人が見ればすぐに理解できた。

 イバノフは、これまで何人もの人間を拳銃で脅し、頭や体を撃ち抜いてきた。誰よりも強く、誰よりも上手く銃で人が殺せると思い込んでいた。

 だが、青年のドイツのH&K HK45を持つ姿を見て、それは慢心だったのだと思い知らされた。

 800gもある金属の塊を、0.3秒という速さで抜いて構える。撃鉄ハンマーは起きている。

 つまり、引き金トリガーはいつでも引けるという状態だ。

 対してイバノフのトカレフは未だに、コートの中だ。

 それがどういう意味を示すのか。

 答えは1つしかない。

 イバノフがトカレフを抜くよりも早くに、イバノフのあたまに45口径で射ち抜かれることを意味している。

 未来は誰にも分からないから未来なのだが、イバノフは自分がどういう結末を辿るのかを直感的に理解してしまった。

 脳がブルリと震え、全身に戦慄が走り回っていく。

(バカな)

 イバノフの脳裏に浮かぶのはその言葉だけ。

 理屈ではありえないと思っているが、本能は理解しているのだ。

(あり得ない!!)

 H&K HK45を構えた青年の姿は、死神のような死を司る神のようだと錯覚するほどであった。

「す、まない。助けて……ください」

 イバノフが出した、その場しのぎの言葉に青年はH&K HK45の銃口マズルを下ろさずに、冷淡に言った。

「土下座しろ」

 イバノフは身体を震わせながら、ゆっくりと膝を折る。

 H&K HK45を向けられているというだけで、生きた心地がしなかった。体の芯から震えが沸き起こってくるのだ。それはまるで真冬に裸で外にいるかのように全身が凍りつくかのような寒さであった。

 イバノフは顔を伏せながら、邪悪な笑みを見せていた。

 右手はまだトカレフを掴んだままなのだ。

 そして、何としても目の前の青年を殺してやりたい衝動に駆られた。イバノフは土下座すると見せかけて、トカレフを抜い――。

「バ……」

  カめ!

 とイバノフが言い放ったと思った瞬間、奴の眉間に黒い射出孔が穿たれ後頭部から脳漿を破裂させていた。

 自動拳銃オートマチック独特のくぐもった音と響きが路地裏を支配する。

 その音に反応したのか、猫が逃げるように脇の路地裏へ飛び込んでいく音が聞こえた。銃口から硝煙が上がる。

 そして、重い音を立ててイバノフが倒れていた。

 眉間を中心に黒い穴が穿たれており、そこから赤黒い液体が流れ出ている。一目で死んでいることを確認するまでもなく分かった。

 青年は硝煙が上がっているH&K HK45を、素早くホルスターに収めた。

 そして、青年は何事も無かったかのように路地裏から立ち去る。

 未だに銃を手放せない。

 こんな生き方などしたくない。

 そう青年のむねの中で思いながらも、銃を持つことでしか生きていけない自分を受け入れるしかなかった。

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