第27話 突然のプロポーズ!?

 マルガリータが、ベッドから起き上がれるまでに全快したのは、それから五日後の事だった。


 マルガリータとしては、少し眠ってしまっただけで、つい先程父親やディアンと言葉を交わしたばかりの体感だったのだけれど、実際には二人との会話から丸二日経っていたのには、さすがに驚いた。

 そして、ずっと眠り続けていた身体が調子を取り戻すのに、更に三日を要する。


 看てくれた医者が言うには、ディアンが外部からの怪我は全て、魔力によって治療してくれた様で、外傷はどこにもなかったらしい。

 一般的な魔力量しか持たないマルガリータの身体に、一気に膨大な魔力が注ぎ込まれた為に身体が処理しきれず、眠り続けることで対応したのだろうという話だった。


 ディアンとマルガリータの魔力の相性が良かったから、この程度で済んだのだとも言われた。

 普通ならば、これだけ自分の物とは違う魔力を取り込むと、中毒症状が出てもおかしくなかったらしい。


 奇跡に近い位、魔力の相性が良かったからこそ治療は上手くいったし、経過も良かったのだと、興奮気味に熱く語られた。

 一度、実際にディアンの魔力で治療する所を見せて欲しいものだと熱望されたけれど、そうそう刺されるような体験はしたくないので、丁重にお断りさせて頂く。


 そしてこれは、回復して自分でお風呂に入れるようになってから気付いたのだけれど、マルガリータの胸元に刻まれていたはずの奴隷紋が、綺麗さっぱり消え失せていた。

 思い返してみれば気を失う前、刺された場所とは違うのに、胸に焼け付くような熱を感じた様な気がする。


(ディアンの魔力が、奴隷紋さえ消せるほどの力を持っていた、という事なのかしら?)


 ディアンこそが屋敷の主人で、かつ黒仮面の男だったのだとしたら、奴隷商に消し方を尋ねていた記憶がある。

 ただその時は、詳しいことは聞けなかったし、魔力の強さや量だけで、簡単に消せるものではない様に感じたのだが。


 マルガリータの持っている伯爵令嬢としてのドレスは、首元が開いている物ばかりだったのだけれど、それに袖を通しても何の違和感もない。

 鏡の前で首を傾げていたら、父親からの言伝で「応接室へ来るように」と指示があった。


 普段であれば、用事があると父親の方から直接マルガリータに会いに飛んでくるから、今回は第三者がいるのだろう。

 メイドに軽く手伝って貰い、支度を整えて応接室を訪れる。

 そこには仮面を外した状態の、黒仮面の男と同じ格好、つまり黒一色の貴族然とした服装を身に纏ったディアンが、後ろにダリスとハンナを従えて立っていた。


(やっぱり、ディアンが黒仮面の男だったんだわ……)


 まるで、マルガリータの父親と睨み合いでもしている様な緊迫した雰囲気の中、ディアンが入室して来たマルガリータへと視線を移す。

 すっかり元気になった姿に、ほっとした様子を見せた。


 そして、今まで隠していたはずの胸元の開いたドレスのその場所に、あったはずの物が無いことにも気付いたのだろう。

 驚いた様に目を見張り、そして次の瞬間には蕩けるような表情で、嬉しそうに笑顔を向けた。


 その反応こそが、奴隷紋を消したのはディアンの魔力では無い事を示している。

 けれど消えた理由には、何か心当たりがある様だ。


「元気になって、本当に良かった」

「ディアンのおかげです、ありがとうございます。えっと……旦那様と、お呼びした方が?」

「止めてくれ、マルガリータ。俺のことは今まで通り、ディアンと……」

「旦那様だと!?」


 ゆっくりと淑女の礼をするマルガリータの頭上で、父親が信じられないとでも言いた気な、悲痛な叫び声を上げている。

 奴隷としてのマルガリータを、父親は実際には知らないのだから、驚くのも無理はない。


 けれど、マルガリータと庭師の格好ではない今のディアンの間には、間違いなく主従関係があった。

 実際の所、奴隷として買われたというよりは、助けられたと言った方が正しいような気はするけれど、奴隷紋が消えたからと言ってその関係は覆らない。


 だから、今目の前に居る黒仮面の男であるディアンに対して、「旦那様」と呼ぶことは当然だと、マルガリータは思う。

 けれど父親からすれば、それはどうにも受け入れ難い事らしい。


 マルガリータが顔を上げると、近付いて来ようとしていたディアンを父親が阻むように立ち塞がる。

 入室した時に感じた、睨み合っているのではないかという雰囲気の空気は、完全なる睨み合いへと不穏な方向へ進化を遂げていた。

 というよりは、主に父親から一方的に視線を突き刺しているだけで、ディアンは困った様に受け止めている状況だけれども。


「お父様、落ち着いて下さい。ディアンは、私を救ってくれた方なのですよ」

「だが、私のマルガリータを傷付けたのも、この男が原因だ」

「それは違います」

「いや、違わない。今日は改めてその謝罪と、それからマルガリータを我が屋敷へ正式に迎え入れる許可を、頂きに参りました」


 マルガリータが首を振るのと同時に、父親ではなくディアンにその言葉が否定された。

 ぽかんとするマルガリータを置いて、睨み付けている父親へとディアンは深く頭を下げる。


 しばらくそのまま無言が続いたけれど、先に沈黙に耐えきれなかったのか、折れたのは父親の方で、大きく深いため息と共に、どさりとソファーに腰掛けた。


「聞くだけは、聞こう」


 ディアンをその場に立たせたまま席を勧めることもなく、父親はマルガリータだけを、隣に座らせようとする。

 けれど、主人であるディアンを差し置いて、奴隷であるマルガリータが堂々と座ることなど考えられなかった。


 首を振って拒否したら、悲しそうな顔で「病み上がりなのだから」と懇願されてしまう。

 頭を下げたままのディアンの後ろで、ダリスとハンナが視線だけで「大丈夫ですから、お座り下さい」と訴えてきている視線を感じて、マルガリータは結局しぶしぶ父親の隣に腰を下ろした。


 正直病み上がりだと心配してくれるのなら、この訳のわからない緊張状態の空間から解放してくれる事が、一番の優しさなのではないかと思う。

 けれど、どうやらそれは許されないらしい。


 マルガリータに関わる話のようだから、仕方ないのかもしれないけれど、ある程度は二人で話し合っておいて欲しかった。


「今回の件は、完全に私の落ち度です。まさかアンバーが、あんなに愚かな成長を遂げているとは気付かず……。マルガリータとの接触を許すだけではなく、生死に関わる怪我までさせてしまった。本当に申し訳ございません」

「アンバー王子の愚かさについては、学園でのマルガリータへの仕打ちがあった事からこちらでも把握している」

「お父様……」


 上手く事を運べなかったのは、マルガリータの落ち度だ。

 学園で起こった事は全て自分の責任だと思っていたし、その事に対して父親が調べてくれていたとは思ってもみなかった。


 震える声で父親の愛を受け止めていると、マルガリータの手を優しく撫でてから、父親は再び鋭い視線をディアンへと向ける。


「確かにまだ手回しが終わっていない段階で、王家ゆかりの地へマルガリータを連れ出したのは、軽率と言わざるを得ないが……今まであの場所に、アンバー王子が訪れた事は一度もなかったとも聞くし、予測しろと言うのは酷だろうとは理解している。今回の件に関しては、殿下も被害者だろうしな」

「寛大なお言葉、痛み入ります」

「つまり、だ。私が聞きたいのは、謝罪ではない」


 「わかっているな」と、無言の圧力を掛けている父親の姿に、マルガリータは首を捻る。

 謝罪を望んでいる訳ではないと言っているのに、マルガリータの怪我がディアンのせいではないと正しく理解している様でもあるのに、どうしてこんなにも機嫌が悪いのだろう。


 顔を上げたディアンは、マルガリータが不思議に思っている事に気付いたのか、僅かに苦笑した。

 その表情は、父親の不機嫌の原因は自分にあるのだと言っているようで、マルガリータはますますわからなくなる。


 そんなマルガリータの疑問をよそに、ディアンは父親とマルガリータの前で、何の躊躇いもなく跪いた。


「ディアン、何を……」

「マルガリータ、黙っていなさい」

「でも、だって!」


(ディアンは、この国の王子様なんでしょう!?)


 父親に制されて、マルガリータの叫びは声にはならなかったけれど、それが確かな事は、今更確認するまでもなさそうな状況だ。

 第二王子であるアンバーに「兄上」と呼ばれ、伯爵であるマルガリータの父親が「殿下」と呼ぶ。


 病弱で療養中だと一般的には発表されている第一王子が、本当はその黒を纏う容姿のせいで疎まれ城から追い出され、半幽閉の軟禁状態という形で、郊外にある小さな屋敷に閉じ込められている。

 ディアンの置かれた状況は、それそのものと言えた。


 だからこそ、父親のディアンに対する態度に、青くならざるを得ない。

 オーゼンハイム家は、実は名ばかりで借金まみれの貴族も多い中、実力面でも金銭面でも侯爵家に負けないくらいの力を誇れる、正しい領地経営を行っている貴族ではあるのだが、位としては伯爵家だ。

 王家と血縁関係を持てて、且つ王族に多少もの申せる公爵家や侯爵家とは、身分上雲泥の差がある。


 真奈美の日本での社会人知識に当てはめると、公爵家や侯爵家は役員クラスで、ワンマン社長相手でも何とか意見は言えるけれども、いくら頑張っても部長止まりの伯爵家では、すぐに左遷あるいは下手をすると簡単に首を切られてしまう可能性もある。その位の差だ。


 ちなみにこの世界においての平民は、平社員とは違う。

 平社員になれるのは、貴族位の一番下である男爵家までで、平民は入社することも許されない。

 ただただ、搾取されるだけのイメージである。

 それより下の奴隷など、人間扱いもされないのは、言わずもがなだろう。


 つまり今、普通なら意見を言うことさえ憚られる相手に対して、父親は自分は悠々とソファに座りながら跪かせて、あまつさえ平気な顔をしているという、あり得ない状態になっているという事だ。


「今の私は、オーゼンハイム伯爵である前に、マルガリータの父親だからね」

「それは、どういう事ですか?」


 慌てるマルガリータに片目でパチンとウィンクをして、「だから、大丈夫」と告げる父親の言葉の意味を測りかねていると、跪いているディアンが真剣な表情で顔を上げ、真っ直ぐな視線を父親へと向けている。


「オーゼンハイム卿、貴殿の一人娘であるマルガリータ嬢を、我が妻にお迎えしたい。どうか許可を」

「は? え? はぁぁぁぁぁ!?」

「どうやら娘は、承知していない様子だが?」


 混乱の極みに達したマルガリータが、令嬢らしからぬ大声を上げても、誰も咎めはしなかった。

 それが幸いだと安心することは、全く出来なかったけれど。


 そんなマルガリータの反応に、父親はやれやれとため息を漏らす。

 その「呆れた奴だ」という態度は、マルガリータにではなくディアンに向けられている。


「オーゼンハイム卿の許しもなく、ご息女にプロポーズする訳には参りません。それに私は……普通の、身分ある者ではありませんから」

「それは前にも聞いたよ。君の立場は、正しく理解している。だけど私は、あの時にも言ったはずだね? マルガリータを幸せに出来ないのならば、お断りだと」

「もちろん、幸せにします」

「普通ではないと、自ら言っているのに? 無責任な誓いなど必要ない」

「言葉だけなどでは、決して……」


 にべもない父親に、ディアンが焦った様な困った様な顔で、必死に言葉を重ねている。

 けれどどんなに言葉を尽くそうと、きっとディアンに父親は許可を与えたりはしないだろう。

 だってここは、オーゼンハイム伯爵家だから。


 ディアンの誠意は、普通の貴族に対してなら充分に筋は通っているし、きっと正しい。

 貴族の婚約や結婚は、家同士の繋がりといった意味合いの比重が大きいこの世界では、当の本人達の気持ちよりも親が相手を見定めて、許可を出すかどうかの判断をする。


 でも残念な事に、本人にとっては幸いな事なのだけれど、オーゼンハイム伯爵家は結婚に対しての考え方が、普通じゃない。

 両親が大恋愛での結婚であるが故に、気持ち重視なのだ。

 実のところ、相手の身分なんて全く関係ない。


 多分マルガリータが、平民の男性と一緒になりたいと言い出しても、きっと反対はされないだろう。

 もちろん、どの位の覚悟があるのかは試されることになるだろうけれど、本当に考えた末の愛し合う相手ならば、身分の違いを理由に無理矢理引き剥がされるような事にはならない。


 そんな自由恋愛主義の家で育ったが為に、逆に初恋をこじらせたマルガリータは、この歳になっても婚約者の一人も居なかった訳でもあるのだけれど。

 むしろ奴隷という身分になった今の状況を考えると、結果的に傷付けてしまう相手が居なかったのは、幸いとも言えるかもしれない。


(前にも聞いたとお父様は仰っているけれど、もしかしてディアンがこの話を持ってきたのは、今日が初めてじゃないの?)


 オーゼンハイム伯爵家において、言葉を尽くすべきは、許可を取るべきは、父親に対してではない。

 その事にディアンが気付いていないとすれば、恐らく何度父親に掛け合っても無駄である。


(昔、「王家からの婚約話もあったけれど、丁重にお断りしておいたよ」って、お父様が笑顔で言っていた事があったけれど……まさかね)


 確かそう父親に言われたのが、マルガリータの初恋相手であるオブシディアンが屋敷に来なくなった頃の話だったと思い返して、自然と頬がひくつく。

 オブシディアンの髪と瞳の色は黒ではなかったはずだけれど、ディアンと限りなく同一人物の様な気がしてならない。


 名前だけではなくて、今ディアンがハーブを研究しているのも、マルガリータが良い香りのする葉っぱをもっと沢山知りたがっていたから、離れた後も気にしてくれていたのではないかと思い上がってしまう位には。


 寝込んでいる間に見た夢だったし、消えかかっていた記憶を思い起こしたばかりの状態なので、マルガリータの脳内が勝手にディアンと結びつけている可能性も、否定は出来ない。

 けれど、あの頃マルガリータが彼のことを「ディアン」と呼び、彼がマルガリータの事を「マリー」と呼んでくれて、幸せな時間を共に過ごしたという気持ちは、ちゃんと心の奥底にあった。


 思い出のオブシディアンに似ているからなのか、それとも庭師のディアンが奴隷であるマルガリータにも優しく同等に扱ってくれたからなのか、黒仮面の男がマルガリータを助けてくれた人だからなのか。

 目の前で跪く人のどこに好感を持ったのか、マルガリータ自身にもよくわかってはいなかった。


 けれど突然繰り広げられた、マルガリータに対するものなのに父親しか見ていない公開プロポーズに、父親同様少し呆れてしまったものの、嫌だとは感じなかった。

 きっとそれがマルガリータの答えで、だから少しだけ助け船を出してあげてもいいと思える。


「ディアン、少し出ませんか?」

「マルガリータ……」

「お父様、少し席を外してもよろしいでしょうか」

「病み上がりなのだから、無理をしてはいけないよ」

「はい。さぁディアン、参りましょう」

「あ、あぁ……。それでは少し、失礼を」

「そのまま帰ってしまっても、構わないよ」


 追い出そうとしているのか、行っておいでと言っているのか判断が絶妙な、ひらひらと手を振る動作付きで、立ち上がったディアンに告げる父親は、楽しそうに笑っている。

 これは、マルガリータの助け船の意味もわからずに戻れば、今度は問答無用で追い出されるやつだ。

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