1日目 AM

「……死ぬかと思った」

 執事となってからのきっかり一週間は、比喩抜きで地獄としか言いようが無かった。

 もはや僕の中で恒例となっている数日前の自分をぶん殴るだとか、悪態だとか、そんなこと自体が思考の外どころか空の彼方へ吹き飛ばされるほどの激務だ。

 あの屋敷、掃除だけでも五人どころかその十倍くらい欲しいほどの広さになのに、料理、給仕、家政のすべてのノウハウをほぼノータイムで、挙句の果てにはメモを取らせないでメイド長は教えてきたのだ。

 まぁ一番の問題は、そこではない。別に分からなければ睡眠時間を削ればいいだけだし、容量もそこまで悪い方ではない(つもりだ)し。

 メイド長のセッカ。彼女は『能力アビリティ』を持っていた。

 それは、心の声を聞く能力だ。

 一言愚痴を頭の中で考えた日には「つべこべ言わないでやって」と、真冬の北風かというほどの冷たい態度で睨まれるし、機嫌が悪いと普通に殴られる。(痛くはないし、避けられる速度で)いや、叩かれてるのか?親指以外の指先を、指の根元の関節にくっつけて殴るから。

 余談だが、セッカさんには「ゆき」というあだ名があるようで、この呼称を使うと爪でひっかいてくる。

 まぁ……悪い人ではない。悪い人ではないが、色んな意味でコミュニケーションが苦手なだけなのだと思う。

 業務面に関しては逃亡者すら出そうな、というか実際逃げ出した人間がいると予想できるほどの過酷な環境だが……正直、命の危険がなく、おいしい紅茶を飲めるだけでも野宿だらけの旅より百倍快適だ。

 ふかふかのベッドで毎日眠れるし、見た目的には一つ二つほど年下の女の子にたまに注意されるのは辛いが、べつにこれも問題ない。

 彼女たちは純粋に顔がいい。覚えれば美少女の褒め言葉もいただける。

 訂正。ここは理想の職場だ。

 そして地獄の研修が終わった今、夜明け後に起きる習慣を無視して一週間ぶりのベッドの感触をこれでもかと堪能している最中というわけだ。

 これがまた最高の気分だ。背徳感もひっくるめて引きこもる快感は何にも勝るものはない。

 しかも今日は洗剤でも変えたのだろうか、ほんのりと甘い香りではなくいつもと違う、草原で寝転んでいるような心地良い香りがあり、部屋にいながら外で昼寝しているようだ。

 ……あれ?草原の香り?でもまだ夜明け直後だし起きてないはず……

 布団開けて景色を見る。

「早く起きて、ねぼすけ」

「……もう眼は覚めてます」

 枕の横に立つセッカが僕の身体を揺らし始めた。

 あの、すみません。起きてるし目も開けてるのに揺らさないでくれませんか?

「だれが『真冬の北風』なの」

 あ、その時点でいらっしゃっていたんですね。あとそういうところです。

「いいから、起きて。ルッカお嬢様が1時間後、ツクヨムに話があるって」

「……お嬢様が?解雇通知ですか?」

 なんで真っ先に浮かぶのがこれなんだ?僕。

「内容は知らない。だから早く支度して。そんなみっともない格好してないで」

 そういえば昨日の夜は疲れすぎてほとんど肌着で寝ていたんだったか。

 寝起き姿を見られることに羞恥心はないが、流石に肌着となると恥ずかしいな。

「……あの……セッカさん……僕の身体を無言ですりすりしないでください。着替えられません。というかベッドから抜けられません」

「私は悪くない。居心地いい匂いしてるキミが悪い」

 ……ホントにどうなっているんだろ、この人の距離感。

 とりあえず適当にあしらって部屋のタンスから制服に着替えることにしよう。

「……制服と言っても、キミがどうしてもっていうから許可しただけ。ホントは執事服、しっかり着てほしいんだけど」

 背後にいるので分からないが、おそらくセッカはむっとした表情なのだろう。

 それもそうか。制服と言っても僕の今までの普段着そのものだ。

「セッカさん……前も言いましたが、僕はこの服のデザインがお気に入りなんですよ。もちろん執事服が悪いって言ってるわけではありませんが」

「デザインじゃない。別の問題なの。わかるでしょ」

 仕事の都合上汚れがつきやすいのに、僕の服は袖が肩から袖口まで広がっていること?

「そう。それが答え。わかっているなら変えて」

「嫌です。僕の象徴たる服なので」

 絶対に嫌だ。お気に入りだし。

「分かったから、言葉とことばで似たようなこと喋らないで。うるさい」

 そんな軽口を叩きあいながら着替える。初日時点でルッカお嬢様に土下座した甲斐もあり私服で働くことを許可されているので、セッカの着替えろという主張は無視しても問題ない。

 なんなら「執事服よりそっちの服装の方が可愛らしくて好み」とまで言われた。

 むふー。

 肌着を着替えて、ポロシャツを着て紐リボンを結び、サスペンダーをズボンに付けてから、くだんのとやかく言われる服を着る。

 多分後ろのメイド長様は微妙な表情をしているんだろうなぁ。おもしろ。

 ぶん。

「……蹴りぶち込むよ」

 避けたのを確認してから言わないでください。今のは直撃したら死ぬやつですよ。

 左の二の腕にリボンを結び、フードのついたこれまたお気に入りの、リボンが少し被るほどの長さのポンチョの留め具を付けて(メイド長もこれは普通に許可してくれる)最後に右太腿に付けたベルトにポーチを掛けて、はい完成。

「待って。渡したお守り忘れてる」

 そうだった。ありがとうございますセッカさん。

 僕の眼と同じ翡翠のペンダントを掛けて完成。

 ここまで約三分。鏡に映る僕はやっぱりいつも通りだ。

「なんで不服なの?」




「それで……なんで不服そうなの?」

 ルッカお嬢様に会いに行く道中、セッカは聞いてきた。

 ただその答えは彼女も理解している。つまりからかいだ。

「……僕の普段着……執事服より似合っちゃっているなぁ……って思っただけ」

「そうだね。すごく似合ってる。ボーイッシュな女の子って言われても納得するくらいに」

 なるほど。メイド長様には容赦というものがないんですね。

「ええ。ほめていただき光栄です。それでセッカさん的にはどのようにすれば僕が男性らしさを表現できると思いますか?」

 なら僕も容赦しない。僕は自分の持てる最大限の笑顔で、僕のある意味一番の疑問を聞くことにした。

 セッカも僕を逆撫さかなでしたことに気が付いたのだろう。すこし動揺した後、俯いて自分の灰色の耳を折り畳んだ。彼女が考える時の癖だ。

 こうなると彼女はしばらく動かないし、自分の声も、心の声もどちらとも届かない。彼女の中で答えがでるまではとりあえずしばらく立ち止まり、外の景色を見ることにした。

 セッカの持つ『能力』。最初に会話していたころは、相手の思考を読み取る怪異のような能力だと思っていたが、実際はそこまで節操ないものでは無かった。

 端的に言えば、彼女は『今考えていることがそのまま声として聞こえている』だけだった。

 喋ろうとしていること、発言や行動に対する表面上の反応が音声として出力されている。

 例えば夜に「こんばんは」と言おうとした時、言い間違えて「こんにちは」と言うと、彼女には「こんにち《こんばん》は《は》」と、言おうとしたことも重なって聞こえるらしい。

 だが、声自体は発音が曖昧に聞こえるらしく、聞き逃しも多いし、心の声自体もそこまで大きな音量で聞こえるものではないようだ。(あくまで僕の中での解釈で、本当かは)分からないが)

 ただ、その人の感情の激しさによって聞こえる声色や音量が違うらしいようで、屋敷に入る前、うるさいと言われるのはおそらくそれが原因だ。本人は忘れていそうだが。

 これ上手く景色は使う晴天遠く喋りながら鳥の鳴き声話題和だが、考える暇つぶしだけ見て二ついる。思考が話題を纏まる同時のはいつ話すなのことができるだろうか。のは待ち面白いくたびれた。

 でもこれ自体はあんまりやらないようにしている。頭が疲れるのはもちろんのこと、三日目で使いこなした辺りで一回どん引かれたし。

「セッカさん?そろそろ結論出ましたか?」

 流石にこれ以上考えさせるのは申し訳ないので、肩を叩いてみた。彼女はまだ無表情だ。

「それで、解決策は見つかりましたか?」

「うん。見つかった。それも三つも」

 流石はメイド長。いつもは野性的というか感覚的に動く人だが、二分ほど考えるだけですぐに見つけ出すとは。

「じゃあ早速教えてください!あとすりすりしないでください!」

「いいじゃん、どっちにしてももう触れなくなるかもだし。とりあえず……まず一つ目」

「一つ目は……」

「その左耳に付けた蝶の髪飾りを外すこと」

「え」

「それ、装飾に興味ない私でも可愛いと思うくらい良くできてるね。女の子用のとってもオシャレな髪飾り。顔付近の装飾だから余計女の子っぽいよ」

「いや……えっと……」

 反論を考えるが、そんな余地なく彼女は追い詰める。

「二つ目」

「二つ目ぇ?」

「ツクヨムはそもそも童顔で中性的な顔立ち。しかもまつ毛も長いから黙るとカッコイイ女性に見える。まぁ……そもそも地声も高いし、喉仏も小さいけど」

「そ、それは仕方ないでしょう!これは……まだ成長途中なだけ……ですから……」

 言葉のナイフの滅多刺しに正直もう限界だが、彼女は本気で、真面目に考えてくれたのだろう。

 最後とどめの一撃を放ちに来たようで、その水色の瞳で僕をゆっくりと見つめて口を開く。

「三つ目」

「やめてくださぁい……」

「やめない。三つ目は……」

 顔をずいと近づけ、壁際に追い詰めて一言。

「私たちと話しやすい、ちょうどいい身長。ツクヨムがちょっと壁に寄ったら……ほら」

 頭を撫でた後、その心地良い草原の香りを縄張りを主張するようにり付けた。




 しばらく僕は魂が抜けたように歩いて、ルッカお嬢様の部屋に着いたが、魂の抜いた本人はせめてもの情けか、扉の前で思い出したかのように振り向いて話しかけてくれた。

「ツクヨム。大丈夫?」

「はい……後遺症にはならない程度の致命傷です」

「そ。完璧な回答を出せてよかった。まぁ……悪いことしたとは思ってるし、まだ時間はあるから、お嬢様に会うのはもう少ししてからで」

「……そうしてくれると助かります」

 ……僕が言えることではないが、彼女も割といい性格してると思う。

 沈黙が続く。

 傷心もある程度癒えた頃、ふと前を見ると、部屋の前でセッカはパーカーのポケットに片手を入れて、ただ僕のことを見つめていた。彼女の癖だ。

 何も話さない時や暇な時、彼女は近くにいる人や物をただじっと見つめる時がある。

 心を読むわけでもなく、当然顔に何かついているわけでもなく、ただ見ているだけだ。

 ただ、僕はこの顔を見るのが好きだ。

 表情をあまり表に出さない彼女だが、この時の彼女の視線はとても優しく落ち着くもので、自然と心が安らいで、落ち着いていく。

「ねえ……少しいい?」

 見ていたのがばれたのか?いや、ただ話したいだけか。

「僕をお嬢様に会わせる、っていう仕事中なのに、雑談してもいいんですか?」

「まぁ……私は今そういう気分なだけ。気まぐれ。知ってるでしょ」

「一週間、ほぼつきっきりでいましたからね、分かりますよ」

 その後は一週間の仕事中の話だとか、最近は天気が良くてお昼寝日和だよねだとか、本当に意味のない何でもない雑談を続けていたのだが……セッカの黄土の瞳は、常に僕に対して憐みだろうか、寂しさだろうか、溢れてしまいそうな悲しい眼だった。

 やっぱり表情は変わらない。

 でも……なんで悲しそうなんですか?

 彼女は答えない。それを避けるように細く、鋭く、それでいて透き通る声で話を矢継ぎ早に話題を変えて、僕には返答の声だけを紡がせる。

 結局僕は、悲しい目の理由を聞き出すことができずに時間となり、ルッカの部屋へと入っていった。

 ただ一言。扉を開ける前に残して。

「いっぱい話ができて、楽しかったよ。あなたの『声』、どっちも聞き心地良かったから」




「いい夢は見られた?」

 ティーテーブル越しにルッカ様の一言目はこれだった。

「それなりに」

 僕はセッカの淹れてくれた紅茶を嗜みながら、こちらもルッカに一言目を投げる。

 うん、セッカさんの淹れた紅茶は美味しい。

 ルッカ様も紅茶を一口。どうやら同じ感想のようだ。セッカは尻尾を軽く揺らしている。

「そう。ゆきは相当上手くあなたのことを教育できていたのね。安心したわ」

「そんなことはないですよ。普通に厳しかったですし」

「そう?その割に、ゆきはあなたのことを評価していたわよ?身体をすり寄せるくらいには」

 あれ、信頼の証拠だったのか。わかるかそんなもの。

 ちなみにセッカ自身は表情には変化がない。

 その分無表情で顔だけを赤くしているのでシュールではあるが。あ、フード被った。

「まぁ、そんな『どきどき。セッカ様の爆速研修期間』が終わったわけだけども、しっかりと技術が身についたようで何よりね。ひとまずお疲れ様。あなたを正式に従者として迎え入れるわ」

「そうですか……」

 良かった、クビの話では無かった。

「なにを安心しているの?これからが本番なのだから。一週間ついてこれた程度で喜ばないで欲しいものね。あなたは私の屋敷の従者なのよ?誇りを持ちなさい」

 どうやらこれからが本番というのは真実のようだ。

「あなたにお願いがあるの」

 証明するようにルッカ様の表情からは遊んでいるような愉しげな表情が消え、まっすぐと僕を見つめ、可憐で優雅なその声で空気を一変させた。

「私の妹の専属執事になってくれない?」

「……妹?」

「そう、妹」

 はい、ぜひお願いします。とはならなかった。

「……今まで、ルッカ様に妹がいる、ということ自体知らなかったのですが」

「ええ。言わなかったし、ゆきにも『伝えるな』と言ってあるもの。当然ね」

 驚いた……が、一週間の記憶の中にヒントはあった。研修中、セッカは料理を教えているときに、自分で作る僕のものを除いた料理を四人分作っていたのだから。

 その時には理由を聞いたが、セッカは「屋敷の司書の分を含めた料理」とだけ言って、運び出していたのだ。(司書は基本的に図書室で暮らしているらしいが、図書室はまだ入ってはいけないようで、どのような人なのかはわからなかった)

 ただそうなると一つの疑問が浮かんだ

「どうしてルッカ様の妹のことを教えてくれなかったんですか」

「信用に足らない相手に、情報を提供する道理はある?旅人なら一番わかることでしょう?だからあなたを審査していたの」

「なるほど。つまり……この一週間は『研修』であり『試験』でもあったと」

 よほど愉しいのだろう。すこし口角をあげながら彼女は話し続ける。

「察しが早い人は好きよ。まぁ、分かっているとは思うけど結果は伝えるわ。合格よ」

 おめでとう。そう言って彼女は拍手をして部屋に音を響かせた。相変わらず黒の長手袋をしているが、素材自体は薄手のようで、きれいに音が響いている。

 ルッカ様自身に悪気はないのだろうが、彼女の態度は少し高圧的というか、殺し合いの主催者のような、物理的に上から見ていそうな言い方はやっぱり鼻に着く。

 しまった。セッカさんに睨まれてしまった。ルッカ様の後ろで暇そうにしていたので、心の声は聞いていないかと思っていたが、そんなことはなかった。

 拍手自体はすでに終わっていたので、ルッカ様は、話を続けてもいい?とでも言いたげな顔で僕の方を見ていた。

「すみません……話は続けてもらっても大丈夫です」

「そ。なら続けるわ。ええと……なんだっけ。そう。あなたを執事として雇った理由は、私の妹の話し相手になってもらいたいから。という話だったかしら」

「なるほど。そういう理由なんですね。初耳です」

「ならどこまで話したかしら?」

「……口出し失礼します。一週間の研修結果が合格である所までです」

 セッカが横から耳打ちしてこういった。いや、本気で忘れてたのか。

 ただ彼女はさらにとんでもないことを言ってきた。

「ありがと、ゆき。ならそのままの流れで話すわね。私には妹がいるのだけれど。まぁ……その私の妹がね?少し訳ありで、今この屋敷の地下室で監禁しているのよ」

 ルッカはさらりと言った。さも当然かのように、だ。

「…………は?」

「言い方を変えた方が良かった?優しく包むなら、妹は地下の閉鎖された空間に住んでもらっているのよ」

 僕はどのような反応をすればいいのだろうか。

 心無い発言に怒るべきか。思ってもない発言に驚くべきか。

 ただ、この二つの反応は、僕の頭では適切な反応でないと導いている。

 その理由は簡単だ。

 彼女はこの発言を、愉悦を持ってでもなく、申し訳なさそうに言ったわけでもなく、ただ淡々と、事実として、僕に教えている。そんな感覚だったからだ。

「妹様が地下室で暮らしている理由は……」

「教えられないわ。その理由はあなた自身で探しなさい。もっとも、この話を受けるか受けないかが問題なのだけれど」

「断っても、いいのですか?」

「勿論。私は強制しないもの。するのは提案だけ」

 ルッカの眼を見る。その眼は、確信をもった真っ直ぐな瞳だった。

「……分かりました。つまり僕は今から同じ様に監禁されるわけですか」

「その通りね」

 また、常識かのようにあっさりと言われた

「……はぁ」

 溜息一つ。呆れのため息だ。

 説得する気もなく、事情も説明しないルッカ様に対してではない。

 そんな説明をしなくても必ず「はい」と返すと、一週間で確信されるほどお人好しな自分自身に、呆れたのだ。

「……ルッカさん」

「どうしたの?ツクヨム」

「妹様のお部屋へ案内してください」

「そう……ありがとう、ツクヨム。」

 こうして、僕は一週間で、『ルッカの執事』をクビになった。


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