第20話 記憶との決別
俺は夢を見ていた。懐っこい後輩にせがまれてアーチェリーを教えたり、クラスメイトが道場の横を通る時に手を振ったりしている夢だ。可愛らしい後輩と、綺麗なクラスメイト。あれは誰だろう?知っているはずなのに名前が出てこない。自分の記憶ではなく、他人の記憶を見ているのだろうか?
しかし寒さに意識が段々とはっきりしてきた。山の風は冷たく、素肌に触れるたびに身震いが止まらなかった。そんな中、俺は意識の霧が晴れていくのを感じ、目の前の見知らぬ山の景色に目を奪われた。生き物の気配もない寂しい空間に呆然と立ち尽くし、俺の肩で息が白く霞んだ。そっと目を開けると、俺の目には信じられない光景が飛び込んできた。
周囲の地面には、息詰まるような静けさの中で、人の頭ほどもある巨大な魔石が2つと、ゴルフボールほどからソフトボールほどの大きさのものが無秩序にいくつも転がっていた。
「ここはいったい…」俺がつぶやいた声は、周囲の寂寥と対照的な生命力に満ちていた。片腕と片目を失いながらも、体が軽くなっていることに俺は驚いた。その時、目の前にある宝箱が新たな希望として俺を誘った。金箔を施したそれは、ただならぬ輝きを放っていた。
宝箱の中には10本以上の純金に輝くポーションのビン、新しい黒い中2病臭のする戦闘服、そして俺の足にぴったりの靴がすっと現れた。さらに、内に知識と力を秘めたアイテムがふんだんに詰まっていた。そして自分の姿を確認し、ぼろ布の破片同然になった制服の残骸を見下ろし淋しく呟いた。
「さようなら、制服」
そう、今は裸同然だったのだ。
辛うじて短パン状態で、男の裸という見苦しい姿を他の人に見せない謎配慮が・・・
俺は喉が乾いたなあと感じだので、栄養ドリンクかと思い無造作に手に取った金色の小ビン(ポーション)を口に含んだが、その途端に驚愕の出来事が起こった。
『にょきにょきにょき』
アニメのような効果音を立て、驚異的な速さで肉体、つまり喪われた腕と目が再生を始めたのだ。
「うおおおお!すごい絵面だけど、生えてきたよ!うひょおおお!」
目の前の景色が揺れて新たな力に目覚めた俺は、再び立ち向かう勇士の姿を宝箱の金具に映し出した。俺の記憶は断片的だった。
俺は新しい戦闘服を着て、金箔を施した宝箱の中から取り出したカバンを、興味深げに眺め回した。カバンは外観からはごく普通の俺の通う学校のリュックタイプの学生鞄のように見えたが、触れるや否や、その質感は何万回も研ぎ澄まされた絹のように滑らかで強靭だった。深い漆黒の色合いからは、さりげなく高貴な雰囲気が漂っており、鍵穴の周りには金色の糸で繊細な魔方陣が刺繍されていた。俺が驚いたのはそのカバンが持つ驚異の収納力だった。開けてみると、内部は見た目以上の容量を持っており、無数の魔石が底に触れることなく次々と吸い込まれていった。重さを感じさせない取り出し口は、俺が必要とする魔石を考えるだけで、即座に望んだものを手元に届けてくれた。カバンの中身を一度全て取り出してみたものの、複数の内部ポケットや魔法の隔壁があることに気づき、その中にはさらに小物を分類して収納できる仕組みが施されていた。
「これはまるで、持ち運ぶことのできる宝の間だな…」
俺は感嘆の息を漏らした。俺が座り込んでカバンの中をいじっている間、地面に転がった魔石がひとつ、またひとつとカバンの中へと跡形もなく吸い込まれていく様は、まるで魔法のようだった。それは俺の旅の中で果てしない冒険と戦いが待ち受けている中で、きっと俺の最も頼りになる相棒となるだろう。
ダンジョンでの戦いの記憶は鮮明だが、シズクとの約束は覚えていなかった。それどころか異世界にどういうわけか自分一人だけでおり、クラスメイトやアーチェリー部の仲間ともう二度と会えないと少し残念に思ったが、気持ちを切り替えるために自分に言い聞かせた。クラスメイトの1人をシズクと呼んでいたことだけは覚えていた。
「大好きなシズク。もう二度と会えないのは淋しいけど、俺はこの世界で生き抜くよ!好きだったような気がするけど、俺はこっちで恋人を見つけるよ!だからさようなら。今までありがとう。そしてリナ、俺がいなくてもインターハイがんばれよ!お前なら行ける!」
そんな別れの絶望の中でウィッシュが発動した瞬間を思い出した。ドラゴンを含む魔物たちはみなその力に飲み込まれ俺は圧倒的な勝利を手にした。ドラゴンの死体からは魔力の塊が溢れ出し、俺の体に吸い込まれていった。その瞬間、俺は自分の中に眠っていた力に目覚めたのを感じた。それは、この世界の全てを変えることができる力だった。
注)違います。経験値が大量に流れ込んだだけ
「これが…ウィッシュ…」
俺は呟いた。ウィッシュとはダンジョンの最深部にあると言われる、願いを叶えるという伝説の魔法だった。俺は、シズクとの約束を果たすために、ダンジョンに挑んだのだ。しかし、その途中で、俺は仲間たちとはぐれてしまった。そして、一人で最深部にたどり着いたのだ。
注)記憶の混濁で中2病的な冒険をしたように思い込んだだけ
「シズク…」
俺は彼女の名前を呼んだ。彼女は、俺のクラスメイトで、アーチェリー部の後輩だった。俺は彼女に惹かれていた。彼女は俺に惹かれていた。だから、俺たちは約束したのだ。このダンジョンをクリアしたら、お互いの気持ちを告白しようと。
しかし、俺は彼女に会えなかった。俺はこの世界に取り残されたのだ。ウィッシュは俺の願いを叶えてくれなかったのだ。それどころか、俺の記憶を書き換えてしまったのだ。そうしてシズクのことを忘れてしまった・・・
「シズク…誰だっけ?」
俺は自分の言葉に戸惑った。彼女のことを好きだったはずなのに、なぜか名前しか思い出せなかった。顔や声、笑顔も何もかも忘れてしまったのだ。
「なんでだ…なんでだよ…」
俺はほんの僅かな間涙を流し、何か大切なものを失ったのだと感じ、それを取り戻したいと思ったが、気持ちを切り替える事にした。、
「ってまあしょんぼりしててもしょうもないよな。忘れたもんはしょうがない。まあ、そのうち思い出すだろうさ。シズクとリナって誰か覚えていないけど、手掛かりがない訳じゃないしさ。取り敢えずメモメモ」
そうして鞄の中にあった生徒手帳に、最初に思いついた2つの女性と思われる名前しか覚えていなかった事を記した。
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