四「生徒会の密会」
四
ある日曜日、俺は金木に呼び出された。とある場所に一緒に来て欲しいという。正直な所あまり行きたくはない。折角の休日なのだ。いつもはしない場所の掃除や、少し凝った料理を作るなどやりたいことは沢山ある。
当然俺は断った。頑として断った。だが哀しいかな、人質を取られてしまったのだ。
昨日、俺は学校に課題を忘れた。しかし、丁度嵐士がまだ学校にいたので、運良く保管してもらっていたのだ。嵐士には報酬として牛丼一杯で手を打ってある。我ながらナイスだと思う。
しかし、今日の電話の時点では何故か俺の課題は金木の家にあるらしい。しかもその課題は週初めに必ず提出しなければならない代物。最早俺に断わる権利など無かったのだ。
……嵐士よ。日曜日を失ったこの恨み、必ず返すぞ。
仕方なく俺は、バス停と乗るバスを指定されたので、重い腰を上げて街を行った。家の近くではなく、少し離れた場所から出ている直行バス。三十分に一度しかバスは来ないので、逃したら間違いなく遅刻必至だ。何とかバスに乗れた俺は息を切らしながら、閑散としたバス内でジッと電光掲示板の文字を読んだ。
「……辻沢総合病院か」
どうやら俺の好んでいる、普通の休日にはならなそうだ。
病院の待合室で行き交う人々に目移りさせる。不意に左腕の時計を覗くと、既に待ち合わせの時間は過ぎていた。
正直、病院は嫌いだ。あまり良いイメージが湧かないし、経験上長くいて良かった事がない。ここは入院施設も兼ねているから、時折車椅子の患者らしき人々も前を通り過ぎていく。明るい表情をしている時は良いが、暗い表情や何とも読み取りにくい表情の時は、勝手に変な想像ばかりしてしまい座りが悪くなる。
俺は受付のお姉さんと目が合い、逸らすことが出来ずにぎこちなく笑った。相手も同じだった様で、二人の間に微妙な空気が流れる。頼む、早く来てくれ。
想いが通じたか、金木がやってきたのは俺の腕時計が約束の十三時半から三十分程遅れた時間を示した時だった。広い病院内をキョロキョロと見渡し、少ししてから俺を見つけた金木は、力の抜けた様なデニムの装いをしていた。すぐさま俺に近づくと、顔の前に手を出して軽く頭を下げた。
「ごめんね。遅れちゃった」
俺は、いいさ、と言う代わりに手をひらひらと振る。金木はもう一度謝る様に軽く頭を下げると、ついてきて、と言って歩き出した。少しの不安を抱きながら、俺は黙ったままついていった。
街一番の大きさを誇る辻沢総合病院。入口からエレベーターを七階程上がった後、更に東側へ奥に進むと入院病棟があるらしい。金木は目的地までの世間話として軽い病院の説明をし、それに対し俺は、入院病棟に来ることになるのは今際の際か食中毒になった時位だと思っていた、と言った。金木は俺の解答にらしくもなくフフッと上品に笑った。気を使われているのか、それとも緊張しているのか、ただ一つ、いつもの金木らしくないのは俺にも分かる。
お互いの会話に間隔が空き、一時の沈黙が流れた時、金木の足は止まった。どうやら目的地についたようだ。病室のナンバープレートには、
俺は無意識に息を呑んだ。金木が扉に手を掛ける。ゆっくりと、開かれた扉の先には、大きなたった一つのベッドの上で寝る女性の姿があった。女性の身体からは痛々しくも、いくつもの管や器具が繋がれている。
なんとなく、想像はしていた。目的地を病院に指定された時も、入院病棟に向かって歩いている時も、ある程度は。
開け放たれた扉の前で立ち尽くす俺を置いて、金木は女性に近づいていく。
「……おばあちゃん、来たよー。花蓮だよー」
細々とした声を掛ける金木は、今日初めて年相応の顔をしている様に見えた。俺は女性の周りを慣れた手つきで片付ける金木を、ただ呆然と見つめるしかなかった。
病室から数メートル西に進んだ所にある休憩スペースで、俺は腰を下ろした。金木が目の前の自販機から缶コーヒーを買い、差し出してくる。
「はい。今日遅れたお詫び」
俺は、ありがとう、と言いそれを受けとると、そのまま机に置いた。金木は俺の向かいに座ると、自分用で買った缶コーヒーのラベルを見ながら何やら手遊びをしている。このまま放って置くとしれっと帰ってしまうのではないか。少しだけ不安に思った俺は、こちらから仕向ける事にした。
「今日は何の用なんだ」
「あ、今日はありがとね。おばあちゃんも嬉しそうにしてたわ」
話を逸らしているのか、天然か。どちらにせよ話が進んでいない。
「何のために俺をこの病院まで呼んだんだ」
漸く空けた缶コーヒーを器用に無音で啜ると、わざとらしく笑った顔をして、金木は首を傾げた。
「何の話?」
「帰るわ」
「ああっ、ごめん! ごめんって!」
缶コーヒーを置き、手を前に出しながら、金木は俺をもう一度座るように促した。
「ジョークよ、ジョーク。場を和ませようとしたのよ」
いや、多分緊張しているのだろう。今日一日の行動や表情を見ればそれくらい分かる。出会ってからさほど日は経っていないが、今日の金木はどう見ても様子がおかしい。表情も硬いし挙動も不審だ。これが嵐士相手なら軽口の一つや二つ叩いただろうが、相手は心臓どころか臓器全てに毛の生えた嵐士ではない。さっきより更に深く腰を下ろし、金木の言葉を待った。
金木は一度咳払いをすると、居住まいを正す。
「本当なら、誰かに話したい事でも、話していい事でもないと思う。だから園原にお願いをしたいけど、しづらい。取り敢えず、話だけでも聞いてくれないかしら」
金木はもう手遊びはしそうにない。なるほどな……。暗い話は好みじゃないが、仕方ない。
「分かった。聞くよ」
「うん。ありがとう」
それから、一回首を鳴らすほどの時間が空いて、金木はゆっくりと話し始めた。
「さっき病院で寝てたのは、私のおばあちゃん。家が近くで、昔から良く遊んでくれてたの。数年前からこの病院で入院してて、最近は喋るのも難しくなってきた。
子どもの頃から私は、ゲーム好きのおばあちゃんと良く遊んでた。ゲームって言っても、おばあちゃんの考えた問題を解くっていう、簡単なやつね。だから私にとっておばあちゃんは、とっても優しい人だった」
「そうか、良い人だったんだな」
「そうね。自慢のおばあちゃんよ」
嬉しそうにそう語る金木は、見ていてこちらも気持ちがいい。
「それで、頼みっていうのは何なんだ? まさかまたお見舞いに一緒に来て欲しい、なんてことはないだろうよ」
「違うわよ。それくらい一人で来れるわ。私が園原に頼みたい内容は、ここからが本題よ」
さいですか。俺は背もたれに寄りかかり、黙る事で金木の言葉を待った。
「……おばあちゃんは、そういう時代ってこともあって、お見合い結婚だったの。両家の為にってね。でもおばあちゃんは全く不幸には思っていなかった。寧ろ、どんな出会い方をしても、相手の事を愛そうって決めてた、って言ってたわ」
殊勝な心がけだ。時代のせいとはいえ、きっと断る選択肢などなかっただろう。そんな中で、それを心に決めることが出来る人間が、あの時代に何人いただろう。きっとそう多くはない。強い人なんだな。
「でも、おじいちゃんは違った」
そう言うと、金木の顔は急激に緊張感を持った。
「おじいちゃんには好きな人がいたの。幼馴染で、昔から仲の良かった女性が。けど、その子とは結婚させてもらえなくて、結局おばあちゃんと結婚をした」
よく聞く話ではある。だが改めて聞くと重いな。まさか休みの日にこんな話を聞くことになるとは。
「ここからが本題。これを見て」
そう言いながら差し出されたのは、小さい一枚の封筒だった。
「……開けていいのか?」
「どうぞ」
確認するようにもう一度金木の顔を見てから、俺は封筒を開けた。
封筒の中には手紙が入っていた。手紙の内容はこうだ。
内ナル想イハ我ガ青春ノ地ニ
この一枚だけか。最早手紙というよりもこれは……。
「遺書みたい、よね」
俺の次の言葉を予測する様に、金木はそう呟いた。
確かにそうだ。これは手紙ではなく、まるで遺書のように見える。だが金木もそれは気づいているようだ。俺は訊いた。
「金木、お前の祖父はもう亡くなってるのか?」
「ええ。私のお父さんが小さい頃にはもう亡くなってたって聞いてるわ」
なるほどな。ならばこれは祖父からの遺書で決まりではないか? いや、それは金木も分かっているはずだ。つまり、俺への頼み事は遺書かどうかを判断する事ではない。俺は金木の次の言葉を持つために黙る。
「園原には、この遺書の本当の意味を考えてほしいの」
そこまで話して、金木は一旦話を切った。なるほどな。金木の祖父の遺書の本当の意味を当てる、か。正気か?
「馬鹿げてる」
「ごめん。ちょっと急ぎ過ぎたかも。私もおじいちゃんの事は、人から聞いた話だから、もう少しまとめるわね」
金木は味目当てではない缶コーヒーを一口啜った。多分、一度整理するためだ。それから少し声を抑えて、続ける。
「初めておじいちゃんの話を聞いたのは、小学生の時。無口で、硬派で、あんまり笑わない人だったって聞いて、変な人だなって思ったのを覚えてる。それで元高校教師なのよ。ビックリしちゃうわよね」
小学生の頃など元気なやつが一等賞だ。当時の金木から見たらおかしなやつなんだろうな。何よりその少女は、数年後には負けず嫌いで突っ走りがちの金木花蓮なのだから。
「私はそれから色んなおじいちゃんの話を聞いたわ。戦時中の話、結婚、戦後、お父さんが生まれた時、おばあちゃんはどの話でも嬉しそうに語ってた。でもある日、二年前かしら。ふとおばあちゃんがこんな事を言ったの」
「どんな事だ」
「「私は、本当はあの人には愛されていないんじゃないかしら」って」
「何故だ」
「私もそう訊いたわ。そしたら、おばあちゃんがさっきの手紙を見せてくれた。【内ナル想イハ我ガ青春ノ地ニ】って書かれた紙を。……園原はどう思った?」
どう思った、か。それまで、自分の孫に嬉しそうに愛する夫との思い出を語っていた人が、突然自分が愛されていたかを不安に思った。
そんなもの簡単だ。俺は缶コーヒーを握った。
「祖父に幼馴染がいたのは知ってたんだろ。自分が病気になり、身の回りを整理してる時にそんな匂わせる手記がでたんじゃあ、不安に思うだろ」
金木は表情は変えないまま缶コーヒーを啜った。
「そうね。私もそう思うわ」
ジッと見つめられる視線。コーヒーのおかわりはないのか。
「それから私は、祖父の本当の想いを知りたいと考えるようになったわ。色んな人に聞いて回ったり、家中漁ったりね。二人の故郷に行ったりもした」
流石の行動力だな。最早疑いはない。
「でも分からなかった。おじいちゃんは親しい友人が本当に少ないし、おじいちゃんの通ってた学校はどれも戦争で無くなってた。殆ど手がかりがなかったのよ。もう私には、方法は一つしか思いつかなかった」
「なるほどな。やはり生徒会に入る理由の『地域との連携を深めたい』は嘘か」
金木は申し訳なさそうに笑った。
「全部が嘘ではないけど、私そこまで地域とか学校の事とか考えてないもの」
だろうな。俺も興味はない。
そして何より、ここまでの話で大体予想はついたが、金木がこの高校に入った理由は……、
「祖父は辻工の教師か」
「"元"ね」
そんな事分かってる。今もいたら仙人だし、ギネス記録だろ。
「おじいちゃんは生徒会の担当でもあったらしくて、何か分かるかなって思ってた。まあ、実際はそんな昔の事を知ってる人なんていなかったけど」
「そこまでは分かってる。で、何で俺だ。何で俺に助けを求める」
「それは……」
不意に金木が言葉を切ると、病院内にアナウンスの声が響いた。誰かを呼ぶ声が数秒続き、音が止むと、金木は思い出したかのように残りのコーヒーを啜った。
「……ピアノの音の正体も、消えた選挙活動用道具の時も、園原はピタリと言い当てた。きっと、園原なら私の知りたい真実まで連れてってくれるんじゃないかと思うの」
俺は無意識に眉間にシワを寄せていた。
「買い被るな。その時々で言ってる様にあれは"運"だ。"運"さえ良ければ誰でも辿り着ける」
「なら、その"運"を私にも分けてよ」
「断わる」
嫌に決まってる。確かに金木の祖母の件は気の毒とは思う。しかし仮にこの件を引き受けたら、それは俺にも責任が乗ってしまう事になる。責任が乗ると判断は鈍る。何より真実まで辿り着けなかった時、俺はきっと金木に申し訳なくなり、自分の能力の無さを憂うだろう。そんなのは、知恵比べの推理ゲームではない。金木の、ひいては金木家の、重要なルーツに関わる話に責任など負えない。実に非効率的で、無謀だ。
「俺以外にも出来そうなやつはいるだろ」
金木はフッと笑った。俺はその意味などは考えず続けた。
「多くの人に頼れよ。お前は俺と違って友達や知人も多いはずだ。俺一人に頼るより遥かに有意義だろうよ」
しかし、金木はすぐには言葉を返さなかった。それどころか、少し残念がっているようにも見えた。
「私ね。おばあちゃんの事が大好き。優しくて、頭が良くて、人気者のおばあちゃんが」
「……」
「本当は、私も一人で解決したかった。もし真実を知っても、おばあちゃんに話せない事かもしれないから」
そう言うと、金木はジッと黙り、少ししてからまた続けた。
「……でも無理だった。私だけじゃ何にも分からなかったわ。情けないわよね」
その時の金木の顔は、とてもいつもの雰囲気からは想像が出来ないほど、悲しい表情をしていた。
俺はアホだ。わざわざ俺を休日に呼び出してまで時間を作ったのだ。それはきっと他の人に話を聞かれないためだろう。何より、自分の祖父母が本当は愛し合っていませんでした、なんて話を誰が好き好んでするだろうか。
言ってしまってはもう遅いが、自分が恥ずかしい。きっと姉さんがここにいたら引っ叩かれてるな。
俺は少し訪れた沈黙を、無理やり破るように言った。
「すまん。配慮が欠けていた」
金木はもう一度フッと笑った。さっきとは違い、優しく。許してくれたのだろう。
俺は少し考えてから、金木に向かって、言った。
「……他の家族には頼れないのか」
「おばあちゃんと秘密って約束してるから。本当なら園原にも話せないけど、園原ならおばあちゃんも許してくれると思う」
「何で……」
「だって、おばあちゃんから聞いたおじいちゃんと、園原って似てるから」
何だそれは。いや、最早野暮なことは聞くまい。
「なら生徒会の任期は一年ある。更にもう一年延ばすことも可能だ。気長にゆっくりと解けばいいんじゃないか? それでもどうしても、って言うなら俺も力を貸さない訳じゃない」
しかし、金木は首を横に振った。
「それじゃあ遅いの。私は、おばあちゃんが生きてる内に真実に辿り着きゃなきゃいけないのよ」
「生きてる内に?」
「おばあちゃんは去年から入院中に何度も危篤になってる。今じゃこっちの話を聞いてるかもわからない。……担当医の話じゃ、もう年を越す事はないそうよ」
そう言うと、金木はふと視線を落とした。多分、もう金木が俺に伝える事はないのだろう。
少し、羨ましい。
俺は小さい頃に不慮の事故で両親を亡くしてから、ずっと姉さんと二人で生きてきた。姉さんは生活の為に仕事に奔走し、俺も家事や炊事の為に、普通の生活を捨ててきた。周りには効率的な生活を望む、などと言って。
別にそれ自体に悔いはない。しかし、ふと考える事がある。もしも今俺に、父や母がいたらどんな生活だったろうか、と。姉さんは今より子供っぽいだろうから、喧嘩は絶えないだろう。俺もここまで家事をしたりしないから、文句や𠮟りは家中に響くだろう。
けど、それはきっと、とても幸せなはずだ。
だからこそ、俺は金木の事が羨ましい。きっと祖父について知りたいのは、祖父の事も好きだからだろう。祖母に、大切な思い出として持っていてほしいからだろう。それはこれまでの人生で、金木が祖母や、両親、友人達と、幸せな日々を過ごしたからこその想いだ。大切な思い出を、大切なままで取っておきたいからだ。
ふと、嘗ての自分の言葉が蘇る。――時間は有限、効率的に、だ。
ふん。まさかこんな所で自分に首を絞められるとはな。そうとも、俺は効率主義の合理的人間。ここで金木の頼みを乗るか反るかなど考える時間は、どう見ても無駄じゃないか? ならば、今ここで頼みを聞いた方が効率的ではないだろうか。
無茶苦茶な理由をつけたまま、俺は中身のない缶コーヒーを指で弾いた。金木の視線がこちらを向く。
「俺はやっぱり、責任は取りたくないし、取れない」
「……」
「だから、ゲームをしよう」
「?」
「お前のお得意のやつだ。互いに時間の許す限り情報を集め、推理ゲームをするんだよ。平等に情報共有をしてもいい」
「それって……」
「それで良ければ、俺もやってやっても良い」
我ながら無茶苦茶な方法だ。だがこれなら、互いに責任を乗せることはなくなる。
金木はすっと立ち上がると、深々と頭を下げた。
「ありがとう。……私も園原に負けないように頑張るね」
負けないように、ね。
どうやら俺の三文芝居はバレバレのようだ。だが、悪くない気分だ。きっと姉さんと嵐士が聞いたら、卒倒するだろう。俺がこんな理由をつけてまでこの話に乗っかるなんて、と。
まあ、その時はいつも通り適当に受け流せばいいのだ。それこそ、俺の得意技なのだから。
――――第四話 完
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